ういろうとは - スイーツモール

ういろうとは

ういろうとは

日本の伝統的なお菓子の中には、その独特の美味しさと洗練された美しさで、日本人だけでなく外国人からも親しまれているものが数多くあります。それらのなかでも、特に注目すべき一つが「ういろう」という和菓子です。とろけるような口当たりと、ほんのりとした甘さが特徴的なこのお菓子は、視覚から味覚まで日本の伝統美を五感で感じさせてくれます。今回は、「ういろう」にスポットライトを当て、その美味しさの秘密や歴史、しむための情報をお届けします。

ういろうとは?

ういろうは、日本の伝統的な和菓子で、丸形に作られたものを特製の竹ケースで包む特性があります。名前の表記は地域により「外郎」や「外良」、または「ういろ」とも呼ばれます。起源は中国で、江戸時代に侍や貴族層から親しまれ、日本全土に広まりました。


これは、もち米の粉と砂糖を使用して作ったものを、細長く伸ばして竹皮で包み、蒸すことで作られます。外観は羊羹に似ているものの、もちもちとした食感と上品な甘さが特徴です。さまざまに風味付けがされ、抹茶やあんこ、桜などの定番の味わいから季節限定のバージョンまで多種多彩です。


地域や店舗によっては、美しさを追求したカラフルな色合いのういろうや、贈り物適のデザインの包装を用意しているところもあります。見た目はシンプルながらも、絶妙な繊細さと風味が混じり合い、日本独特の和菓子として、洋菓子が中心の現代でも愛されています。


その独特の風味と上品な触感は、訪問客や大切な人に贈るのにふさわしく、伝統として守り続けたい和菓子の1つと言えるでしょう。

ういろうとは

ういろうの歴史とは

ういろうの起源は数百年前、室町時代にさかのぼるとされており、その誕生に絡むエピソードは様々あります。中でもよく知られる話としては、亡命し日本に来た医師、陳宗敬の息子が作り出したという説があります。有力な説として、当時の将軍、足利義満公へ献上された「外郎薬」という薬の口直しとして生み出されたのが最初だと言われています。


その一方で、中国の漢方薬である「透頂香」が実はういろうの起源であるという説も存在します。この薬の苦みを和らげるために一緒に口にしたのが、後のういろうの形をつくったとも言われています。


現在では名古屋で有名なういろうではありますが、創始の地については博多や京都など、定かでない部分も存在します。


なお、このういろうは主に米の粉、水、砂糖などから作られ、その素朴な材料からは様々なバリエーションが生まれています。そして、それらを守る立場とともに新たな味を追求する試みがなされており、ういろうの多様性と進化性は、その魅力の一部とも言えるでしょう。

ういろうとは

ういろうが名古屋名物になった経緯とは

「ういろう」は、茶道の茶菓子やお土産として選ばれることが多い和菓子で、名古屋が有名産地であることは広く知られています。この名古屋で人気となったういろうの歴史は、遡ること戦国時代まで。織田信長から徳川家康といった武将たちが好んだとされ、そのじっくりとした甘さと保存性の高さが、戦場を転々とする武将たちに欠かせない存在だったといわれています。また、名古屋が交通の要所であったことも、ういろうが全国に広まった一因とされています。


幕末に創業した「餅文総本店」は、ういろう製造の元祖とされ、明治中期から販売を始めました。さらに、昭和時代初頭、名古屋駅で「青柳総本店」が立ち売りを開始、名古屋市内に次々と店舗を増やし、名古屋名物として認知されるようになりました。


名古屋ういろうは、白砂糖を主成分とし、その独特な上品な甘さが特徴。多くの観光客が訪れ、その魅力に引き寄せられています。様々な歴史と地理的要素が融合し、こうして「ういろう」は名古屋名物として定着したのです。

神奈川県のういろうとは

神奈川県に伝わる伝統的な和菓子である「ういろう」は、特に小田原市での人気が高い一品です。その歴史は江戸時代にさかのぼり、東海道小田原宿の旅人たちの間でありがたく口にされていました。


一見、お菓子とみなすだけでなく、薬としても重宝されてきました。今日でも、その医療的価値が認められ、漢方製品としても手に入れることが可能です。


その歴史の深さは、名古屋のういろうと同等で、味覚のバリエーションも豊富です。「白・茶・小豆・黒」の基本の四種類に加え、特別な味わいとして「栗ういろう」や季節限定の「杏仁ういろう」も楽しむことが出来ます。


小田原市には、この伝統的な和菓子を紹介する外郎博物館もあります。そこでは、ういろうの歴史や製造方法を学ぶことができ、小田原市へ足を運んだ際にはぜひ訪れてみることをおすすめします。その洗練された味と美しさが手土産やおもてなしにもぴったりで、神奈川県の風土を感じることができる一品です。この風味豊かなういろうを、ぜひ一度ご賞味いただきたいと思います。

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京都府のういろうとは

「ういろう」と聞けば、京都からその名が広まったとされる和菓子とすぐに頭に浮かぶでしょう。しかしその中でも、京都府のういろうで特に有名なのが老舗の「五建ういろう」です。その歴史は、古都である京都の五条の地に1855年に店を開設したところまで遡ります。


当時は三角形のういろうが主流だったといいますが、現在では見た目も味わいも多様化。スッキリと細長いスティック状のういろうを筆頭に、上品な甘さともちもちとした食感が口いっぱいに広がる味わいが評価され、小豆や抹茶、白と黒の砂糖、柚子、黒豆、栗、そして抹茶小豆など、季節や素材に合わせた様々なフレーバーを展開しています。


なお、京都府では「夏越の大祓」という祭事が行われる頃には、「水無月(みなづき)」という名の小豆をトッピングしたういろうが登場します。これもまた地元の伝統と文化を色濃く反映した一つの風習であり、「五建ういろう」が誇る京都らしさの象徴とも言えるでしょう。


なにより、この京都府のういろうを手にすれば、香りも食感も風味も、すべてが一つの特別な体験へと変わります。それは自分用に試すのも良し、大切な人に贈るのも良し。日常の一コマを京都の伝統と文化に浸しながら、楽しむことができるのです。

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山口県のういろうとは

山口県のういろうは、一般的なういろうとは一線を画しています。その一番の特徴は、従来のもち米の粉ではなく、わらび粉を使っている点です。その結果、通常のういろう独特のもちもちした食感が薄れ、よりわらび餅に近いとろっとした口当たりが魅力となっています。


更に、そのういろうに加える小豆や抹茶の配合も演出の一つとなっており、それが多くの人々に愛され続けています。この山口県のういろうは、江戸時代から地元の人々に親しまれてきた歴史があり、そこまでさかのぼるくらいその風味は絶大です。事実、詩人でもある中原中也もこのういろうを愛していたと言われています。

この地域特有の技や風味を受け継ぐ山口県のういろうは、一度口にすれば忘れられない存在となるでしょう。その伝統ある味わいをこれからも、そして未来へと続けていきたい一品です。

宮崎県のういろうとは

「宮崎県のういろう」は、素朴な甘さと滑らかな食感が魅力の伝統的な和菓子。明治時代から続くその歴史は、まさしく宮崎の風土とともに育まれた逸品の証です。


全国的に有名なういろうは、ねばり気のあるテキスチャーが特徴ですが、宮崎のういろうはその例外。「うるち米」と「砂糖」を原料にした「白ういろう」と、「黒砂糖」を主成分とした「黒ういろう」の2種類が存在します。そのどちらも、南国宮崎のフレッシュな地元産の果物や野菜を巧みに練り込んで作られ、独自のしっとりとした舌触りを実現しています。

ういろうの色味と形状も、一つ一つが手造りというこだわりが随所に見え隠れ。視覚的にも楽しく、地元の抹茶や玉露を用いた緑色のういろう、マンゴーやパッションフルーツがもたらす黄色等、美しい配色が目を引きます。

宮崎県青島エリアの静かな街角で手作りされているこのういろうは、注文を受けてから製作が始まるため、素材の新鮮さと軽やかな口溶けを存分に堪能できます。また、リッチな味わいを生む甘さは控えめに設定されており、休憩時間のティータイムや贈り物にも適しています。

地元の魅力と伝統技術が融合した宮崎県のういろう。上質な甘さが調和したその味わいは、まさしく宮崎の自然を感じられる逸品です。是非とも一度、その特別な味わいをお試し下さい。
ういろうとは

まとめ

ういろう、その製法に伝統が息づき、食べる者を洗練された和の世界へと誘います。その美味しさを肌で感じ、歴史を理解し、"ういろう"という日本の美食文化を全身で堪能することができるでしょう。この魅力溢れる和菓子の世界へ、どうぞ皆さんも一緒に足を踏み入れてみてください。