毎年5月の第2日曜日に訪れる母の日。日本では、日頃の感謝を込めて母親にプレゼントを贈ったり、共に食事をしたりする習慣が根付いています。カーネーションを贈るのが定番ですが、その由来や、地域ごとの祝い方、近年人気のギフトなど、母の日には様々な側面があります。この記事では、母の日の歴史と、現代の多様な祝い方について掘り下げ、改めてお母様への感謝の気持ちを深めるきっかけとなるような情報をお届けします。
母の日の日付とカーネーションの起源
母の日のルーツは国によって異なり、祝う日も様々ですが、日本ではアメリカの慣習に従い、5月の第二日曜日に祝われます。アメリカで母の日が始まったのは、アン・ジャービスという女性の娘、アンナ・ジャービスがきっかけです。アンナは1907年5月12日、亡き母を偲び、母が教鞭をとっていた教会に、母の愛した白いカーネーションを飾りました。この行為に感銘を受けた人々は、翌1908年5月10日、同じ教会で470人の生徒とその母親たちが集まり、初めて「母の日」を祝いました。この時、アンナは参加者全員に白いカーネーションを配りました。これがきっかけとなり、白いカーネーションは母の日の象徴とされ、1914年にアメリカでは5月の第二日曜日が「母の日」として公式に定められました。今日では赤いカーネーションが主流ですが、もともとは白いカーネーションが母の日のシンボルだったのですね。
母の日が日本に伝わったのは大正時代
アメリカ発祥の母の日は、どのように日本に根付いたのでしょうか。日本に伝わったのは、明治時代末期から大正時代にかけてのことです。青山学院の教授であったアレクサンダー女史が、アメリカの母の日を紹介したことがきっかけとなり、キリスト教関係者を中心に広まっていきました。(一説には、1913年にアンナ・ジャービス自身が青山学院にメッセージを送ったとも言われています。)そして、1949年頃から、日本でも5月の第二日曜日が「母の日」として広く認識されるようになったのです。
母の日のカーネーション、定番が白から赤へ変わった理由とは?
現在、母の日の象徴として広く知られる赤いカーネーションですが、その起源は白いカーネーションにありました。では、どのようにしてその色が変化したのでしょうか。キリスト教徒の間では、白いカーネーションは受難前のイエス・キリストと聖母マリアを象徴し、赤いカーネーションは十字架にかけられた後のキリストの血の色を表すと解釈されています。アンナの母親もクリスチャンであったため、彼女もまた、カーネーションの花に込められた意味を理解していたと考えられます。その後、カーネーションの色は、以下のように区別されるようになりました。・母親がご健在の方は赤いカーネーション・母親を亡くされた方は白いカーネーション(本来は、白の方が純粋さを表す色のように思えますが、アンナは亡き母に白いカーネーションを送りました。)しかし、この区別は、母親を亡くした子供たちの心を傷つける可能性があるとの懸念から、赤いカーネーションが一般的に用いられるようになりました。