砂糖の歴史とは

甘さが生み出す美味しさは、誰しもが一度は体験したことでしょう。その甘さの源である「砂糖」は、我々の食生活に欠かせない存在となっています。しかし、この当たり前のように使われる砂糖は、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか?本記事では、素朴な疑問から導く形で砂糖の歴史について探っていきます。生産方法の変化から、世界各地でどのように利用・受け入れられてきたのか、砂糖とは一体何なのか―砂糖の面白さと深さを紐解きます。
砂糖のはじまりはインド
さまざまな料理やお菓子に欠かすことのできない甘い調味料、それが「砂糖」です。皆さんは、この砂糖の起源がインドであることを知っていますか?
砂糖の歴史は、古代インドにその起源を持つとされています。アレキサンダー大王の遠征記録には、インドでのサトウキビの栽培が記されています。この技術はインドから周辺地域のペルシャやエジプトにも広まり、これらの地域で砂糖の製造方法が伝えられました。このように、砂糖の製造技術は古代の交易や交流によって広がり、各地の食文化に影響を与えていきました。

砂糖が日本に来たのは奈良時代とは
砂糖が日本に伝わったのは奈良時代で、初めて記録されたのは825年の「正倉院献納目録」の「種々薬帖」にあります。ここには「蔗糖二斤一二両三分并椀」という記録があり、当時は非常に貴重で、主に上流階級が薬用として使用していました。鎌倉時代末期になると、大陸との貿易が活発になり、砂糖の輸入も増加しました。
さらに、1543年にポルトガル人が種子島に上陸し、砂糖を使ったカステラやコンペイトウなどの南蛮菓子を日本に持ち込みました。この時期、砂糖は生糸や絹織物、綿織物と並ぶ重要な輸入品として扱われるようになりました。
日本での砂糖の製造とは
日本での砂糖の製造の歴史は、江戸時代初期に始まります。1623年、琉球(現在の沖縄県)で儀間真常が中国に使者を送り、砂糖の製造方法を学びました。これにより琉球で黒糖が製造されるようになり、奄美大島、喜界島、徳之島でもさとうきびの生産が増加しました。この地域からの砂糖は、薩摩藩に多大な収益をもたらしました。
当時、日本は鎖国状態であったため、砂糖は主に長崎の出島を通じて輸入され、大阪の問屋で販売されました。江戸やその他の地域に出荷される砂糖もここから供給されていました。しかし、砂糖の輸入に伴い金や銀が国外に流出することを懸念した幕府は、1715年に輸入制限を行い、砂糖の国産化を推進しました。その結果、さとうきびの作付けが奨励され、江戸時代中期以降、西南日本の温暖な地域で「和糖業」として広まっていきました。
1798年には、讃岐(現在の香川県)で生産された砂糖(和三盆)が大阪の中央市場に初めて登場しました。これにより、国内での砂糖製造がさらに進展しました。

近代精糖工場の誕生とは
明治時代に入り、鎖国が解かれたことで不平等条約の影響で輸入砂糖が国内に流入しました。このため、沖縄や奄美を除く日本の零細な和糖業は大きな打撃を受け、多くが壊滅しました。日清戦争後、台湾では製糖業が中心産業として発展し、機械化された大規模な工場が近代製糖業を確立しました。これを受けて、日本国内でも近代的な精糖工場が建設され、砂糖の生産体制が整えられました。
しかし、太平洋戦争が勃発すると、台湾で生産された粗糖の国内輸送が困難になり、日本国内では砂糖不足が深刻な問題となりました。

戦後復興と砂糖の役割とは
戦後復興の中で、砂糖は一角を担っていました。日本が火の海から立ち上がる過程で、食事さえきちんと摂ることができない国民を支えた力の源が、ビート糖により実現した低価値な砂糖だったのです。ポツダム宣言の後、一旦は生産が停止した砂糖ですが、政府の主導により国策として生産が進められ、その配布が統制されて供給が確保されました。
砂糖は食糧生産の足りない部分を埋めるだけでなく、飲み物や菓子など多種多様な製品に貢献し、業界の再建に寄与しました。特に、酒と菓子の生産は高級品でありながらも、人々に安らぎを提供し、経済を支えました。また、カロリーを補完するための要素としても欠かせない砂糖は、肉体労働のエネルギーとなり、国の再建を支援しました。
戦後の混沌とした時代を生き抜くための「生命の甘さ」であった砂糖は、復興の象徴でした。現代の砂糖は健康上の問題から「敵」と見なされがちですが、復興期には、心と体を結びつけ、不可欠な存在であったと言えるでしょう。1952年(昭和27年)まで配給制だった砂糖は、食事が保証されない状況下では、甘い味は非常に重要な存在でした。
物足りないニーズに対して、人工甘味料が使われましたが、安全性の問題で使用することはできませんでした。しかし、戦後復興期間とともに、砂糖の使用は大幅に増加し、一人あたりの年間消費量は、1973年(昭和48年)には29キログラムに達しました。不適切な解釈や甘さの嗜好の多様化により、現在は20キログラム程度になっています。
砂糖はかつては貴重な薬だけでなく、高級な品でもありました。しかし、現在では必需品となり、あらゆる食品に使われており、日本人の食生活を豊かにしています。砂糖という安全で安心な自然食品の価値を再考する機会が訪れたら、それが健康に欠かせないことを再認識できるでしょう。

まとめ
我々の日々の生活に不可欠なエネルギー源、そして豊かな甘みを提供してくれる砂糖。しかし、その存在の裏側に広がる広大でときに波瀾万丈な歴史について、あなたはどれほど知っていましたか?これまでの長い歳月を通じて、甘さを求める人間の心情や文化、技術革新が反映されてきた砂糖の物語を、本稿を通じて一緒に感じていただけましたら幸いです。