カステラ歴史 - スイーツモール

カステラ歴史

カステラ歴史

黄金色の甘さが舌を包み込み、ほろ苦い砂糖のカリッとした感触が余韻を残す。そんな深みのある味わいを持つ「カステラ」は、いつからともなく我が家庭の団らんの時間やお茶うけなど、多くの場面で見かけるようになりました。しかしその誕生秘話は、実は国境を越えた長い歴史の中に息づいています。今回は、ポルトガルから日本へと伝わり、多くの日本人に愛されるようになったカステラの歴史をひも解いていきます。あの馴染み深い味が、どのようにして生まれ、そしてどのようにして日本人の心を掴んできたのか。カステラの旅路をご一緒に辿ってみませんか?

カステラの歴史とは

1543年、ポルトガルの船員たちが初めて長崎に足を踏み入れたとき、彼らが持ってきた食品の中に長年日本人に愛され続けることとなる一品、「カステラ」がありました。彼らが与えたこの菓子は、その名が示す通りポルトガルの「パオ・デ・カステラ」で、""城のパン""という意味を持っていました。このパンが日本でのカステラのルーツとされています。


当初はパンの形態だったカステラですが、日本人の嗜好に合わなかったため、徐々に売れ行きが下火になりました。しかし、砂糖を豊富に使うスイーツに進化し、さらには江戸時代には蜜を用いた豪華版が造られるようになり、これが現代のカステラの起源となっています。このルクセリアスなカステラは、169侯爵や大名たちからの贈り物として格別に好まれ、その結果、上流階級からの愛され続ける菓子として広く認知されました。


現在のカステラは、その深みある味と微細な食感から、日本はもちろん海外の菓子愛好家からも多くの人々に愛されています。特に、カステラ発祥の地とされる長崎県北部の小浜町では毎年、カステラに敬意を表する「カステラ祭り」が開催され、その地での歴史と住民の愛情が感じられます。贅沢な宮廷菓子から手頃なおやつへとその地位は移り変わりながらも、華麗さと洗練された風味は受け継がれ、その美味しさは今日まで続いています。

カステラ歴史

日本全国にカステラが広がったのは明治以降

カステラは、現在では国民が愛するスイーツとなっていますが、そこまでの普及はその最初の登場から数百年を要しました。ポルトガルから来た宣教師により16世紀に日本に伝えられましたが、当初は特定地域、特に長崎でのみ愛されている状態で、全国規模での普及はありませんでした。その当時、カステラは優雅で豪華なお菓子とされ、大名たちが統治地の贈り物として利用するなど、ごく一部の人々の間でしか知られていませんでした。


全国的な普及のきっかけは、明治時代になってからのことです。それまで閉ざされていた日本が南蛮文化を吸収し始め、和洋折衷の料理がブームになる中で、カステラも再び脚光を浴びることとなりました。その風味の良さとユニークな食感が評価され、多くの人々がこれを楽しむようになりました。さらに、その耐久性と運搬性の良さが評価され、贈り物としても頻繁に使われるようになりました。


その結果、カステラは各地で独自のアレンジがなされ、現在では多くの種類のカステラが存在します。これらすべてが、日本独自のカステラ文化が歴史を経て進化した結果であり、今や日本全国の人々に愛されています。

砂糖の輸入が長崎カステラを生み出した

かつて、甘さの源は果物や蜂蜜であった日本。しかし16世紀、初めて日本に足を踏み入れたポルトガル人が持ち込んだ砂糖は、その価値の高さから一部の上流階級だけに使用されるほどの貴重品でした。


鎖国時代にも世界との交流を保ち続けた長崎は、他の地方とは異なり、この砂糖が豊富にありました。多量の砂糖を背景に、長崎では甘味のあるカステラや南蛮菓子が数多く誕生しました。これは砂糖が普及して日常的に利用されていたからこそ可能だったのです。


長崎に限らず、全体の九州地方では砂糖の存在が料理の味付けに影響を与え、他の地域と比べて甘味が強い傾向がみられます。これは多くの砂糖が存在し、料理や菓子作りに使用されていたからなのです。


そして、その中でも特に注目を集めたのが長崎カステラです。砂糖、卵、小麦粉を混ぜ合わせて焼き上げるだけの簡単な作り方ですが、その風味は日本人の味覚にぴったり合い、短期間で広まりました。それ以来、一世を風靡し、長崎カステラは日本を代表するスイーツとして親しまれ続けています。ゆえに、砂糖の輸入が日本の菓子文化に及ぼした影響を象徴するものと言えば、このカステラが挙げられるでしょう。この美味しさの秘訣を辿っていくと、その起源はまさしく16世紀の甘い出会い、砂糖の到来にあります。

カステラ歴史

カステラは和菓子か洋菓子か?

カステラは、見た目や起源から考えると洋菓子と分類されがちですが、その歴史の経緯からすると、むしろ和菓子として考えることも可能なのです。


元々、カステラはポルトガルから日本に伝えられた南蛮菓子でした。しかし、日本へ伝わってからは、日本人の味覚にあわせて素材や製法が独自に改良され、一般的にイメージする長方形の形状に至りました。


実際、ポルトガルにおいては「カステラ」に相当する名前のお菓子や、その見た目が同じものは存在しません。この事実からも、日本独立のお菓子としての「カステラ」は、和菓子としての性格を持つと言えるのです。


その甘さとふんわりとした口当たり、そして日本人の手によって磨き抜かれた技術などから、カステラは和菓子、洋菓子の枠を超越した、和洋折衷のお菓子とも定義されるでしょう。そのため、「カステラは和菓子か、洋菓子か?」と問われた際には、「双方の要素を併せ持ち、かつそのいずれにも完全に該当しない」という回答が、カステラの特異な性質を最も適切に示しているかもしれません。

「カステラ」の名前の由来

「カステラ」という名の由来は、かつて存在したスペインのカスティーリャ王国からとるという説があります。この説によれば、15世紀のポルトガル人のキリスト教宣教師が日本にこの洋菓子を紹介しました。当時、日本人との会話中に彼らポルトガル人が「ボロ・デ・カステラ」(カスティーリャ地方のお菓子)と述べたところ、それが日本人に「このお菓子はカステラだ」と取り違えられ、広まっていったとされています。


カスティーリャ王国は1035年から1715年まで栄え,現在のスペインに該当します。美味しくそして栄養満点なカステラは、日本人の舌を魅了し、国民の間で一世を風靡しました。


一方、カステラの名前の由来については別の説も存在します。それは、「カスティーリョ」(スペイン語で城)説と言われています。この説はスペインの人々がお菓子を作るときに、メレンゲをしっかり泡立てて高く盛り上げる際、「お城のように高くなれ」と声を掛け合った名残から来ているとされます。


カステラが初めて紹介されたときの鮮烈な風味と、伝えられる名前の由来は、今日まで人々の好奇心と愛情を掴み続けています。特に有名な長崎カステラは、その特異な甘さと軽い食感で初めての食べ手を常に驚かせ、取り込んできました。それは今でも日本の伝統的な洋菓子として、その地位を堅持しています。

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長崎カステラの原型には2つの説がある

カステラの原型説① ポルトガルのパン・デ・カスティーリャ

16世紀のポルトガルから伝わったとされる「パン・デ・カスティーリャ」は、小麦粉と卵、そして砂糖を主成分とする、味の深いシンプルなお菓子。このパン・デ・カスティーリャは時と共に変化し、現在はその進化形として私たちにとって身近なスイーツ「カステラ」になったとされています。


パン・デ・カスティーリャは、その安易なレシピたるや、各家庭で色々なバリエーションを楽しむことができたこともあり、日本に根付いたといえるでしょう。


カステラの原型説② 南蛮菓子の影響

では、別の視点から見てみましょう。当時、長崎は鎖国下の日本において数少ない異国文化の窓口であり、そこには数々の南蛮菓子が伝わっていました。その中で、カステラと似た原材料の菓子が自然と進化し、現在のカステラへと繋がったという説もあります。


その名も、「南蛮菓子」説。全く新しいカステラの原型と言えるかもしれませんね。長崎の異国情緒としっかりと結びついた、その歴史深い風味はカステラの美味しさにつながったことでしょう。


結局のところ、カステラの起源がどこにあるのかは定かではありませんが、外国からの良き影響と長崎独自の風土が作り上げたカステラの美味しさは間違いない事実です。

長崎カステラの名店

カステラの名店として輝く「福砂屋」


ポルトガル起源の日本の美食、カステラ。その中でも長崎名産として別格の存在が「福砂屋」です。長崎カステラの進化を牽引し続ける福砂屋のカステラは、一度味わうとその美味しさを忘れることはできません。


福砂屋のカステラ製造は、素材選びからスタートします。特筆すべきは、地元長崎産の新鮮な鶏卵と奄美大島の黒糖の使用です。これらが見事な調和を醸し出し、甘さとふんわりとした食感が引き立っています。


さらに特徴的なのが、上質なシロップをたっぷりと使用し、しっとりさせている点です。その結果、口の中で広がる甘さはしつこさを感じさせず、すっきりとした後味をもたらします。これは、福砂屋の長きに渡る匠の技術による、伝統と革新が融合した結果なのです。


視覚で楽しむ美しさと、食べると広がる絶妙な味わい。これが長崎のカステラ老舗、「福砂屋」の魅力であります。これからも「福砂屋」の創造力と粘り強い努力が続く限り、更なる美味しいカステラに出会えることでしょう。

まとめ

カステラの歴史は、ポルトガルから海を越えて日本で広まりました。当初は贅沢なお菓子とされ、室町時代から続く長い歴史のなかで、数々の変化を経て現代の味わいが生まれました。現在では日本全国のどこでも楽しむことができ、家庭の団らんやお茶うけに欠かせない存在へと発展。これこそが、黄金色の口溶けとともに語られるカステラの歴史であり、その味の奥深さを物語っています。