平安時代の貴族たちは、季節の行事や儀礼に合わせて繊細で美しい菓子を楽しんでいました。その中でも『枕草子』に登場する「青ざし」は、端午の節句の贈り物として登場する、珍しいお菓子のひとつです。青麦を炒って粉にし、糸状にねじった形状は、素朴でありながらも上品な趣があります。美しい硯箱の蓋に青い薄紙を敷き、そこに載せて献上された青ざしは、食べ物としてだけでなく、美意識をも含んだ贈答品だったのです。今回はこの「青ざし」を通して、清少納言が生きた時代の食文化と、平安貴族の美意識に触れてみましょう。
和菓子のルーツ:万葉集にみる果実の姿
現在の和菓子とは異なり、その原点とも言える時代、「菓子」とは主に果物を意味していました。餡や砂糖、米、小麦を使ったお菓子が生まれる以前の話です。日本最古の歌集である万葉集には、様々な果樹を題材とした歌が収められています。モモ、柿、梅、スモモ、梨、枇杷、橘、ヤマモモ、棗(なつめ)、アケビなど、日本に自生する果物が歌に詠まれました。中でも橘は、聖武天皇(701-756)が「橘は菓子の最上であり、人々が好むものである」と評するほど、特別な存在でした。橘にまつわる伝説は、『日本書紀』や『古事記』にも記されており、垂仁(すいにん)天皇(生没年不明)が病に伏した際、田道間守(生没年不明)が不老不死の理想郷である常世(とこよ)へ、非時香果(ときじくのかぐのこのみ)、すなわち橘を求めて派遣されたという物語が語り継がれています。
平安時代の菓子:貴族文化を彩る甘味
平安時代の文学作品や随筆には、時折、お菓子と思われるものが登場します。その描写は、単に美味しいというだけでなく、宴の華やかさや趣向を凝らした盛り付けなど、当時の貴族文化を彷彿とさせます。『源氏物語』宿木には、女二の宮が御前に粉熟(ふずく)という菓子を献上する場面があります。源氏物語の注釈書によると、これは米、麦、豆などの穀物を粉にし、青、黄、赤、白、黒の五色で彩り、餅状に仕立てた菓子のようです。餅自体にも甘みがあり、さらに麝香(じゃこう)の香りを加えた甘葛を銀や瑠璃の器に添えて供されたとされ、その豪華さが伝わってきます。また、『枕草子』には、清少納言(生没年不明)が5月5日の端午の節句の準備中に「青ざし」が届けられたという記述があります。この青ざしは、青麦を炒って臼で挽き、糸状にねじったお菓子と言われています。美しい硯箱の蓋に青い薄紙を敷き、その上に青ざしを載せて中宮定子(976-1000)に献上するという、清少納言の細やかな心遣いが表れています。
枕草子と菓子:清少納言が味わったもの
清少納言が生きた時代、「菓子」という言葉は現代とは意味合いが異なっていました。平安時代においては、「菓子」は基本的に「果物」を指す言葉でした。しかし、和菓子の原型をたどると、唐菓子に行き当たります。唐菓子は、ごま油などで揚げた揚げ菓子で、現在の奈良の「ぶと」(餡なしのぶと饅頭)や沖縄の砂糖なしアンダギーに近いものを想像すると理解しやすいでしょう。清少納言の『枕草子』には、和菓子のルーツとして、4種類の菓子と思われるものが登場します。それは、第40段の「削り氷」(かき氷)、第83段の「ひろき餅」(のし餅)、第127段の「餅餤(へいだん)」、第223段の「青ざし」の4つです。しかし、清少納言自身が、これらの菓子を必ずしも美味しいと感じていたわけではありません。そのほとんどが餅類であるため、現代の視点から菓子の原型と捉えるのは難しいかもしれません。
江戸の庶民と餅:広がる餅文化
お正月や祝い事に欠かせない餅は、稲作文化と共に東南アジアから伝わったとされています。古くは貴族の菓子として食されていましたが、江戸時代になると餅や餅菓子が発展し、庶民の間でも日常的に親しまれるようになりました。落語や狂言、歌舞伎などの演目を通じて、当時様々な種類の餅菓子が作られていたことがわかります。例えば、狂言『餅酒』では、在原業平が玉津島明神参詣の途中で、餅の代金として餅にまつわる歌を披露します。その歌は、「人の指ざし蕨餅、恥をかき餅悲しみの泪は雨やさめがい餅、瀧の白餅寒の餅、降るは雪餅氷餅、彌勒(みろく)の出世に粟餅と、くりこの餅とくり事を、いふてはもはやよもぎ餅~」と、まさに餅尽くしです。
江戸の味:餅菓子今昔
江戸時代、庶民の間では様々な餅菓子が楽しまれていました。特に人気を集めたのが「幾世餅」。元禄時代に吉原の遊女であった幾世が、ひいき客に身請けされた後、その人物が始めた店で売り出されたことが名前の由来とされています。また、もち粟を使った鮮やかな黄色の「粟餅」も人気を博し、きな粉をまぶしたり、餡を包んだりして食されました。江戸時代後期には、独特な餅つきパフォーマンスで客を魅了する粟餅屋が登場し、その様子は歌舞伎の題材にもなりました。「花競俄曲突」「契恋春粟餅」「あわ餅」「黄金餅」といった演目が現在も上演されています。
まとめ
「青ざし」は単なる甘味ではなく、平安時代の貴族文化や贈答の習慣、美意識を映し出す鏡のような存在です。現代の私たちには馴染みのない素材や製法も、その背景を知ることで、当時の人々の感性や季節の行事への思いが感じられます。清少納言の細やかな描写からは、味覚だけでなく、贈る相手への気遣いや礼儀、そして日本の和菓子文化の源流が見えてきます。「青ざし」は、まさに文学と食文化が交差する、貴重な歴史の一片と言えるでしょう。
質問1: 和菓子のルーツはどこにありますか?
回答1: 和菓子のルーツは、非常に古い時代に遡ります。最初は果物をそのまま食していたのが始まりで、その後、中国から伝えられた唐菓子が原型となり、日本の気候や文化に合わせて独自の進化を遂げました。
質問2: 『枕草子』には、どのようなお菓子が描かれていますか?
回答2: 『枕草子』には、「削り氷(かき氷)」、「ひろき餅(のし餅)」、「餅餤」、「青ざし」といったお菓子が登場します。ただし、当時の「菓子」は現代のイメージとは異なり、果物や餅なども含まれていたことに留意が必要です。
質問3: 文学界で和菓子を愛した著名人は誰でしょう?
回答3: 夏目漱石、与謝野晶子、芥川龍之介といった文豪たちが、和菓子をこよなく愛したことで広く知られています。中でも夏目漱石は羊羹を好んで食し、与謝野晶子は実家が羊羹店を営んでいたという背景もあり、和菓子にまつわる様々な逸話が今日まで語り継がれています。