ロシアの伝統的な料理のひとつに、薄く焼いたパンケーキのような「ブリヌイ」があります。この料理は、その柔らかさと軽やかな食感から、多くの人々に愛されています。特に、ロシアの寒い冬に温かい紅茶やスメタナと一緒に楽しむブリヌイは、家族や友人との団らんの中心となることが多いです。ブリヌイの起源を探求し、その魅力を再発見してみましょう。
ブルヌイとは
ブリヌイ(ロシア語:блины́ブリヌィー、単数:блин[blʲin]ブリーン、英語:blini)は、クレープやパンケーキに似ているロシアの伝統料理で、直径約13センチから18センチの薄さが特長です。かつてソ連時代には食堂で見かけることは少なかったものの、ソ連崩壊後には外食の一環として人気を取り戻しました。現在、ロシア国内にはブリヌイを専門に提供するファーストフード店もあります。
どんな材料から作られている?
小麦粉やそば粉、オート麦粉、米粉などと卵や牛乳、塩、砂糖、ヨーグルトを組み合わせた生地をイーストで発酵させ、専用のフライパンでひまわり油やバターを用いて薄く焼きます。生地を長時間寝かせて、発酵で炭酸ガスを多く生じさせることで、軽やかな食感に仕上げ、焼成も迅速にできるのです。焼き上がりにはバターをたっぷり塗り、スメタナ、キャビア、ザワークラウト、魚の燻製などをトッピングして前菜として楽しんだり、ジャムを添えてお茶うけやデザートとして堪能できます。
ブリヌイの歴史
記録によると、16世紀から17世紀のモスクワの市場ですでにブリヌイが販売されていました。
ロシアでは普段の食事として親しまれるブリヌイですが、特に2月末に行われる四旬節前の一週間、マースレニッツァ(ロシア語: Масленица, Maslenitsa、「バター祭り」)では大量に消費されます。このお祭り期間中、丸い形をしたブリヌイは太陽の象徴とされていて、キリスト教以前のスラブ人の儀式に利用されていました。キリスト教が根付いた後も正教会によってこの伝統は引き継がれ、冬の終わりを祝い、新しい太陽を迎えるこの祭りで祖先の霊に捧げる料理や、貧しい人々への施しとして用意されます(cf. 冬至、クリスマス)。また、マースレニッツァが終わると四旬節が始まり、復活祭まで肉や魚、乳製品、卵が禁止となるため、祭りの間にこれらを使い切るという実用的な意味もあります。マースレニッツァ最終日には消費しきれなかったブリヌイが、冬を象徴するマースレニッツァ姫(藁で作られた巨大な人形、マレーナやコストロマーとも呼ばれる)と一緒に燃やされ、その灰は豊作を願って畑にまかれます。
ブリヌイをマースレニッツァで食べる習慣は比較的新しいという見解もあるようです。
そのまるく欠けのないブリヌイの形は、満月や人生の充実も象徴しています。葬儀の際には、故人を偲んでブリヌイが供され、祖先の魂の象徴として棺桶の中に入れられ、出産後の母親にも提供されます。また、巡礼者や貧しい人々のために家の窓辺にブリヌイを置く風習もありました。特別な日にゲストを歓迎するシンボルとしてもブリヌイが振る舞われ、これを断ることは礼儀に反するとされています。
ロシアでは「最初のブリーンは失敗するもの」という諺があり、最初の失敗を受け入れる教訓として親しまれています。
ブルヌイの語源とは?
ブリヌイはもともとスラブ地域の食文化に根差したものであり、穀物を細かく砕いて作る粉を使って作られていました。このため、古スラブ語の「ムリン」(すりつぶす)が語源となっています。時が経つにつれ、語頭が「m」から「b」に変わり、単数形では「ブリーン」、複数形で「ブリヌイ」と呼ばれるようになりました。小型のものはしばしば「ブリンチキ」とも呼ばれます。しかしながら、一部の専門家によれば、ブリンチキは「ブリンツ」という別の揚げ料理に起源があり、イーストを使用せずに具材を包む点で、ブリヌイとは異なると考慮されています。