茶道と和菓子

日本の伝統文化である茶道は、お茶を点てるだけでなく、心を込めたもてなしと、静寂の中での人と人との交流を大切にします。そして、その茶道のひとときをさらに豊かにするのが、共に供される和菓子の存在です。和菓子は、視覚的な美しさと季節感、そして風味が調和する芸術品とも呼べるもので、茶道において欠かせない役割を果たしています。本記事では、茶道における和菓子の魅力とその役割について詳しく解説します。

茶道と和菓子の歴史的繋がりを探る!

抹茶と聞くと、餡がたっぷり詰まった和菓子を思い浮かべませんか?その独特の渋みと甘さの調和が、非常に見事なものです。千利休が侘び茶を確立した頃、砂糖は存在せず、お菓子作りはとても難しかったに違いありません。なぜこのような組み合わせが生まれたのか、最初は非常に不思議でした。今回は、和菓子の歴史や、茶道と和菓子の関わりについてお話ししたいと思います。

和菓子の起源とその発展の歩み

和菓子って何?それは、日本の伝統的な手法で作られたお菓子です。明治時代以降にヨーロッパから日本に入った洋菓子とは異なり、昔の唐菓子や南蛮菓子も和菓子に含まれることが一般的です。「和菓子」という言葉が一般的になったのは、第二次世界大戦後のことで、その頃から辞書に載るようになったそうです。以前までは和菓子という言葉は広まっていなかったんですね、驚きです。日本統治時代の台湾では、今も和菓子を作るお店が多く、饅頭や大福、最中などは日本とほぼ同じ作り方で作られています。和菓子は味だけでなく見た目の美しさにも力が入れられてきたお菓子です。日本茶や抹茶と一緒に楽しむことが多く、甘いものが人気で、油はほとんど使いません。これが洋菓子との大きな違いの一つですね。少ない種類の材料、例えば砂糖や水飴、米、小麦、小豆から、多様な和菓子が作られます。新鮮な果物は洋菓子ほど使われませんが、煮た果物や干した果物は使われることがあります。砂糖を和菓子に使い始めたのは近世からで、特に和三盆は手に入りにくかった白砂糖の代わりに用いられ、和菓子の発展に寄与したと言われています。ちなみに砂糖が使われる前は、柿が最も甘いおやつだったそうです。和菓子には芸術的な要素も求められ、素材の選定や温度管理など、四季に応じた作品を作り上げるためには、職人の特別なセンスが必要です。和菓子は、水分量によって干菓子、半生菓子、生菓子の三種類に大別されます。

茶道とのつながり

鎌倉時代に禅僧たちは喫茶の習慣を取り入れました。その際に「点心」と呼ばれる簡単な軽食が採用され、これが後に「おやつ」の元になったと言われています。同様に、中華料理には点心という概念もありますね。この時期、肉や野菜を詰めた甘くない饅頭が伝わり、後に小豆餡を使用した甘い饅頭へと変化しました。室町時代になると、武士の精神と禅宗が結びつき、茶の湯は武家社会の間で広まり、ついに茶道が確立し、茶席の菓子も発展しました。この頃には、例えば木の実やアワビ、松茸の煮物、味噌を付けた餅、さらには焼き栗などが使用されました。また、「茶の肴」とも呼ばれる料理の一部としても機能していたようです。安土桃山時代の頃には、砂糖が流行して南蛮貿易によって、ポルトガルから金平糖や有明糖、カステラが伝わりました。その結果、生菓子が茶の湯に取り入れられました。この時、茶菓子は主題と季節感を取り入れ、亭主が個性的な趣向を凝らすようになりました。そして五味(甘、酸、渋、苦、辛)五感(視、触、味、嗅、聴)を大切にし、歴史の中で、季節の移ろいに応じて、自然の変化を色や形に反映した和菓子が進化したのです。茶道の菓子は、専門店のものでなくても、人々が産地名物や一般的な和菓子に趣を感じれば、亭主の茶心により選ばれることがあります。正式な茶会では、「主菓子」(生菓子、半生菓子)は濃茶の前に提供され、茶菓子の味を楽しむものであり、「干菓子」は薄茶で提供され、お茶と菓子の調和を楽しむものとされます。

 

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