サツマイモの原産地:知られざるルーツを辿る
ホクホクとした甘さが魅力のサツマイモ。焼き芋やスイートポテトなど、様々な料理やお菓子で私たちを楽しませてくれます。しかし、そのルーツについて深く考えたことはありますか?実は、サツマイモの原産地は日本ではないのです。今回の記事では、サツマイモがどのようにして世界に広がり、日本に辿り着いたのか、その知られざる歴史を紐解きます。意外な発見があるかもしれません。さあ、サツマイモのルーツを辿る旅に出かけましょう。

サツマイモの魅力:特徴、歴史、栽培方法から人気品種、国内外の産地、活用法まで徹底解剖

サツマイモ(学名:Ipomoea batatas)は、ヒルガオ科に属するつる性の多年生植物で、その根が肥大化した塊根部分が食用として利用されます。甘藷(かんしょ)や唐芋(からいも)といった別名を持ち、英語ではSweet potato(スイートポテト)として親しまれています。原産は中南米の熱帯地域と考えられており、そこから世界各地へ伝播し、今では様々な地域で栽培されています。食用となる塊根は、豊富なデンプンと食物繊維を含み、主食やおかずとしてはもちろん、デンプン原料、焼酎などのアルコール製造、バイオエタノールの材料など、多岐にわたる用途があります。日本の一部地域(福岡県や沖縄県など)や韓国、東南アジアなどでは、葉や茎も野菜として食べられており、サツマイモは植物全体が有効活用される、非常に価値の高い作物と言えるでしょう。

サツマイモの名前の由来

サツマイモという名前は、江戸時代に中国から琉球(現在の沖縄県)を経由して薩摩(現在の鹿児島県)に伝わり、そこで広く栽培されるようになったことに由来します。「薩摩から全国に広まった芋」という意味合いが込められているとされています。甘藷(かんしょ)という別名は、中国での植物名でもあり、「甘い芋」という意味を持ちます。英語圏でのSweet potato(スイートポテト)、フランス語のpatate douce(パタートゥ・ドゥース)、イタリア語のpatata dolce(パタータ・ドルチェ)など、多くの言語でその甘さにちなんだ名前が付けられています。イタリア語ではpotata americana(パタータ・アメリカーナ:「アメリカの芋」の意味)とも呼ばれ、和名のアメリカイモと同様に、新大陸原産の作物であることを示唆しています。英語圏の一部では、サツマイモを「Yam(ヤム)」と呼ぶ場合があります。これは、アフリカからアメリカへ連れてこられた人々が、故郷のヤム芋(ヤマノイモ科の植物)に似た、アメリカ産の水っぽいサツマイモを「ヤム」と呼んだことが始まりです。現在、アメリカでは本来のヤム芋は専門店でしか見られないため、「ヤム」と表示されていれば、特に断りがない限りは「ソフト」スイートポテト(サツマイモの一種)を指すことが一般的です。
日本国内でも、地域や歴史的背景によって様々な呼び方が存在します。例えば、「唐芋(からいも、とういも)」や「琉球薯(りゅうきゅういも)」は、「中国(唐)や琉球から伝わった芋」という意味合いを持ちます。特に九州地方では、中国(明)からの伝来にちなんで「唐芋」と呼ばれることが多いです。琉球では、中国から導入された当初、「蕃薯(ばんしょ、はぬす、はんす、はんつ)」と呼ばれていました。沖縄地方では、「とん」や「うむ(芋の沖縄方言)」といった呼び名もあります。朝鮮半島へは対馬から伝わり、「孝行いも」という名前が変化して、韓国語ではコグマ(고구마)と呼ばれています。これらの多様な名称は、サツマイモが様々なルートで伝播し、各地で独自の文化に根付いていった証と言えるでしょう。

サツマイモの特徴:植物としての特性と形態

サツマイモは、世界中で栽培されているつる性の多年草であり、高温や乾燥に強く、やせた土地でも育ちやすい丈夫な作物です。食用にするのは、養分を蓄えて肥大した根、つまり塊根です。葉はクワやアサガオの葉に似ており、花もヒルガオ科特有のアサガオに似た形と色をしています。ただし、サツマイモは高温を好むため、温暖な日本では花が咲きにくい傾向があり、日照時間だけでなく、乾燥などのストレスが加わることで稀に開花することがあります。開花しても花の数は少なく、実を結びにくい上に、受粉後に寒さで枯れてしまうことも多いため、日本ではアサガオなどの近縁植物に接ぎ木を行い、台木から送られる養分やホルモンによって開花を促す技術が用いられています。塊根である芋は、根が肥大化したものであり、茎が肥大した塊茎を持つジャガイモとは植物学的に異なります。1970年代には、メキシコでサツマイモの原種に近い野生種「イポメア・トリフィーダ(Ipomoea trifida)」が発見され、日本の研究者によって形態、遺伝的性質、染色体数などが調査され、その祖先種であることが確認されました。このトリフィーダが、長い年月をかけて突然変異を起こしたり、他の野生種と交雑したりすることで多様な変異を生み、その中から人為的に選抜されて、現在のサツマイモが誕生したと考えられています。現在では、栽培は世界中に広がり、熱帯、亜熱帯を中心に、温帯地域でも栽培されています。近年では、若い葉やツルを野菜として利用することに特化した品種も開発され、これらの部位も広く食用として利用されています。
サツマイモの塊根の皮の色は様々で、代表的な紅色や赤紫色の他に、黄色や白色の品種も存在します。また、中身の色も主に白色から黄色ですが、橙色や紫色になる品種もあります。特に、全体が紫色で、中身がアントシアニン色素によって鮮やかな紫色を呈するサツマイモは、「紫イモ」と呼ばれ、近年はその健康効果や鮮やかな色彩から注目を集めています。これらの色のバリエーションは、品種改良によってさらに多様化しており、食卓を豊かに彩るだけでなく、加工食品の原料としても重宝されています。

世界のサツマイモの歴史:起源と大航海時代

サツマイモの原産地として有力なのは、中米から南米北部にかけての地域です。紀元前3000年頃には、すでにメキシコでサツマイモの栽培が行われていたと考えられています。その後、南米大陸の太平洋沿岸地域に伝わり、古代ペルーの遺跡からはサツマイモの葉や花、根を描いた土器や綿布が見つかっており、この地域で重要な作物として扱われていたことが伺えます。また、サツマイモはアステカやインカの主要な食料源でもありました。
大航海時代に入り、15世紀末にクリストファー・コロンブスが新大陸を発見し、スペインのイサベル女王にサツマイモを献上したことから、アメリカ大陸からヨーロッパへと広がりました。しかし、サツマイモは元々熱帯作物であったため、冷涼な気候のヨーロッパでは、ジャガイモほど普及しませんでした。一方、熱帯に近いスペインやポルトガルでは、その甘みが好まれ、特にスペインでは15世紀末から16世紀初頭にかけて盛んに栽培されました。当時、スペインではこの芋を、ペルーでの塊茎を意味する言葉「batata(バタタ)」から「patate(パタート)」と呼んでいました。その後、16世紀末にジャガイモ(potato)が普及するにつれて、区別するためにサツマイモは「sweet potato(スイートポテト)」と呼ばれるようになりました。アジアへの伝播も大航海時代に始まり、記録に残るものでは、16世紀にインド、マレー、インドネシア、フィリピンへと伝わり、中国の福建省には1584年に伝えられています。1498年にコロンブスがトリニダード・トバゴを訪れた後、1521年にはフェルディナンド・マゼランが船隊を率いて南米大陸南端のマゼラン海峡を発見し、太平洋を横断してフィリピンに到達しました。これにより、16世紀に頻繁に大陸にやってきたスペイン人またはポルトガル人によってフィリピンにサツマイモが導入されました。フィリピンから中国(明)を経て、17世紀初頭には東南アジア各地へと伝わっていきました。また、オセアニアのポリネシア地域へは、ヨーロッパ人の来航以前、紀元前1000年頃に南米から海路で伝わったと考えられており、紀元1000年頃にはハワイ、イースター島、ニュージーランドへと伝播し、「クマラ(kumara)」という名前で広く消費されていたことが知られています。

日本列島における栽培と普及の歴史

サツマイモは、南方の地域や中国大陸から日本へ伝わり、栽培されるようになったと考えられています。特に、飢饉の際に食糧として全国に普及したとされています。

本土への伝来と多様な経路

一般的に、サツマイモは琉球を経由して日本に伝わったとされています。17世紀初頭には中国(明)から琉球王国(現在の沖縄県)へ導入され、その後、薩摩藩(現在の鹿児島県)へと伝わりました。薩摩藩で栽培が広まったことが、「薩摩芋」として全国に広まり、定着するきっかけとなりました。日本への伝来ルートは複数存在するとされ、1597年に宮古島に伝わったとする説もありますが、年代に疑問があり、宮古島から他地域への大規模な伝播の記録は見当たりません。より確実な記録では、1605年に中国の福建省から琉球へ導入され、1609年以降、薩摩藩の領有支配に伴い、薩摩へと伝わりました。主に九州地方で栽培されるようになったとされています。また、中国や東南アジアから直接、九州各地の貿易港や平戸のオランダ商館などを経由して琉球や九州に伝わった可能性も考えられます。しかし、これらの経路の多くは栽培に成功せず、定着には至っていません。日本本土で最初にサツマイモが定着したのは薩摩藩であったとされています。

救荒作物としての普及と民間の貢献

薩摩藩が藩を挙げて栽培を奨励した一方で、サツマイモは主に民間の力によって広まりました。江戸時代、西日本で大飢饉が発生した際、鹿児島で餓死者が出なかったことから、サツマイモは不作の年でも収穫が見込める救荒作物として認識されるようになりました。最初に本格的な栽培に成功したのは、飢饉に見舞われることの多かった芸予地方とされています。その後、土壌や土地の傾斜などが耕作に適さず、食糧生産力が低い、つまり気候変動などにより飢饉が発生しやすい地域を中心に、救荒作物として普及していきました。薩摩藩においても、領内の約半分を占めるシラス台地が米作に不向きであったことが、サツマイモ栽培を奨励する大きな理由でした。江戸時代初期から中期にかけて度重なる飢饉が発生したことで、サツマイモは救荒作物として注目され、西南暖地を中心に全国へと広がっていきました。

幕府の奨励と全国普及の基盤

享保の飢饉対策に尽力していた江戸幕府8代将軍徳川吉宗の命により、1735年、蘭学者の青木昆陽が薩摩から種芋を取り寄せ、小石川御薬園(現在の小石川植物園)などで試験栽培を行いました。これがきっかけとなり、東日本各地でもサツマイモの栽培が広がり、全国的な普及の基盤が築かれました。
当時の栽培方法については、「蕃藷考」という古書に記録が残っています。青木昆陽が関東にサツマイモを伝えた当初は、芋をヤマノイモのように切って植える方法が試みられました。しかし、この方法では腐敗が多く発生し、欠株が生じて収量が上がらなかったため、現在のような苗の移植栽培へと移行していきました。江戸時代後期には、すでに苗床で苗を作り、施肥、作畦、採苗、挿苗、貯蔵といった一連の栽培管理が行われており、その技術水準は高かったとされています。当時の収量は10アールあたり1500㎏と記録されており、これは現代の水準と遜色ない多収であったことから、当時の農業技術の高さがうかがえます。

庶民への浸透と文化としての定着

時を経て、サツマイモは一般の人々の暮らしや文化に深く根を下ろしました。その証拠に、サツマイモを題材にした俳句や短歌が数多く存在します。特に20世紀の第二次世界大戦中、食糧事情が深刻化する中で、サツマイモの栽培は国策として推奨され、国民の食料確保に大きく貢献しました。

明治以降の利用と加工品の登場

明治時代以降も、サツマイモは重要な農作物として栽培が続けられ、食生活の変化に伴い、様々な加工食品が開発されました。現代では、お菓子や焼酎など、幅広い分野でその価値が再評価されています。

大学芋の誕生と広がり

「大学芋」は、明治時代から大正時代にかけて、東京の学生街で販売されていたことが名前の由来とされています。学生に人気があったことからこの名が広まり、手頃な価格で栄養価が高く、満腹感を得られることから庶民の間にも広まり、今日まで愛されるサツマイモを使った代表的なお菓子となりました。

まとめ

サツマイモは、熱帯アメリカが原産のつる性多年草であり、その肥大した根は世界中で重要な食料源、または加工原料として活用されています。その名称は伝来の経路や特徴に由来し、世界中で様々な名前で親しまれています。乾燥に強く、痩せた土地でも育つ丈夫さが特徴で、食用から加工用、色素抽出用まで、品種も多岐にわたります。栽培方法は、種芋から苗を育てて植え付けるのが一般的で、「つるボケ」を防ぐための肥料管理や「つる返し」という独特な作業を行います。病害虫には比較的強いものの、特定の地域ではイモゾウムシなどの対策が重要であり、国内では検疫制度も設けられています。世界の生産量では中国が大部分を占め、日本では鹿児島県が最大の産地であり、シラス台地という特殊な土壌が栽培に適しています。食材としては栄養価が高く、様々な調理法や保存法が工夫されており、食中毒にも注意が必要です。さらに、デンプン、焼酎、芋蜜、飼料、バイオ燃料など、多岐にわたる用途に利用されており、健康機能性に関する研究も進められています。歴史的には飢饉を救う作物として重要な役割を果たし、日本の食文化にも深く根ざしてきたサツマイモは、現代においてもその多様な利用価値と栄養価の高さから、世界中で愛され続けています。

質問:サツマイモはどこから来たの?

回答:サツマイモのルーツは、中央アメリカから南アメリカ北部の熱帯地域と考えられています。メキシコでは、少なくとも紀元前3000年前から栽培されていた証拠があり、古代ペルーの遺跡からは、サツマイモを描いた土器や綿の布が見つかっています。日本の研究者によって、野生種のイポメア・トリフィーダがサツマイモの原種であることが突き止められています。

質問:「サツマイモ」という名前の由来は?

回答:「サツマイモ」という名前は、江戸時代に中国から琉球(現在の沖縄)を経由して薩摩(現在の鹿児島)に伝わり、そこで広く栽培されるようになったことに由来します。「薩摩から広まったイモ」という意味合いが込められています。琉球には1605年に、薩摩には1609年以降に伝来し、この経路が名前の定着に影響を与えました。

質問:サツマイモとジャガイモは何が違うの?

回答:サツマイモとジャガイモの大きな違いは、食用とする部分です。サツマイモは「根」が大きくなった塊根であり、ジャガイモは「茎」が肥大した塊茎です。また、植物学的な分類も異なり、サツマイモはヒルガオ科、ジャガイモはナス科に分類されます。
さつまいも