シュガーロードとは
シュガーロードとは、長崎街道に由来する独自の愛称であり、その魅力的な歴史と文化は、多くの人々に感動を与えてきました。この街道は、時に甘いもので、時に苦いもので彩られた、旅路の象徴でもあります。この記事では、シュガーロードが持つ独特の魅力を深く掘り下げ、その本質を明らかにしていきます。
シュガーロードとは
シュガーロードは、長崎街道に由来する愛称で、シルクロードになぞらえた呼び名です。長崎街道は、現在の福岡県、佐賀県、長崎県にまたがる九州の主要な街道で、長崎から小倉(北九州市)まで約228キロメートルを結びます。この街道は、急峻な山道を超える厳しい道のりであったことから、多くの人々が利用し、江戸時代には長崎奉行や大名、オランダ商館長、商人、文人など様々な身分の人々が行き交いました。シュガーロードという名称は、長崎街道が日本と西洋、特に砂糖の交易を繋ぐ重要な役割を果たしていたことを反映しています。
シュガーロードの歴史
シュガーロードの歴史は、16世紀中頃のポルトガルとの貿易から始まります。1571年にポルトガルが長崎に貿易港を開いたことがきっかけで、日本と西洋との交流が進みました。しかし、幕府のキリスト教禁止政策や外国商人との交易制限が進む中で、日本は「鎖国」状態に突入しました。にもかかわらず、長崎は西洋や中国との貿易が許されており、多様な品物が集まりました。特に砂糖は、西洋からの重要な貿易品であり、最盛期には年間1500トンから2000トンが輸入され、日本各地へ広がりました。長崎街道は、この砂糖を含む貿易品が各地に運ばれる主要なルートでありました。
深く結びついた長崎と砂糖
「長崎の遠か」という言葉が示すように、長崎は砂糖と深い関係があります。砂糖を節約することが、甘い料理を避けることとされていたことから、長崎=砂糖、砂糖=長崎と見なされていたのです。長崎から運ばれた砂糖や他の異国の品々は、当時の日本の食文化に大きな影響を与えました。シュガーロード、すなわち長崎街道は、その象徴的な役割を果たし、砂糖の普及に寄与しました。
代表的なシュガーロードのお菓子
シュガーロードの代表的なお菓子には、以下のような種類があります。
カステラ(長崎県長崎市)
カステラは16世紀の南蛮貿易を通じて伝わったお菓子で、ポルトガルからもたらされたとされています。長崎の老舗「福砂屋」の創業者・寿助はポルトガル人から製法を学び、カステラを初めて製造したとされています。
諫早おこし(長崎県諫早市)
諫早おこしは、佐賀藩の干拓や米の増産による余剰米を利用して作られたお菓子です。砂糖と余剰米を組み合わせて作られ、シュガーロードの一環として広まりました。
へこはずしおこし(長崎県大村市)
へこはずしおこしは、黒糖と自家製の水あめを使用して作られるお菓子です。中国の欣済上人に伝わった伝統的な製法を守り続けており、その名前はおいしさに気づかずに「へこ(ふんどし)」が外れてしまう逸話からきています。
逸口香(佐賀県嬉野市)
逸口香は、黒糖の餡を皮で包んで焼き上げることで空洞になるお菓子で、中国の空心餅を原形として生まれました。独特の食感と風味が特徴です。
小城羊羹(佐賀県小城市)
小城羊羹は、黒糖の餡を外側の皮で包み、シャリ感とやわらかさを兼ね備えたお菓子です。明治時代に始まった羊羹製造の伝統が続いており、独特の味わいが楽しめます。
丸ぼうろ(佐賀県佐賀市)
丸ぼうろは、ポルトガル語で菓子を意味する「ボーロ」に由来する南蛮菓子です。鍋島藩の御用菓子司である横尾市郎右衛門が長崎で製法を学び、佐賀に持ち帰りました。藩や寺院に納められるお供え菓子として広く愛されました。
千鳥饅頭(福岡県飯塚市)
千鳥饅頭は、千鳥屋という店で誕生した焼きまんじゅうで、南蛮菓子の製法を取り入れています。カステラ生地で白餡を包み焼き上げた菓子で、新しい味わいが楽しめます。
金平糖(福岡県北九州市)
ポルトガルから伝わった金平糖は、ケシの実やゴマを核としたものでしたが、日本では砂糖のみを使った金平糖が生まれました。宣教師ルイス・フロイスによって北九州に持ち込まれ、その後普及しました。
これらのお菓子は、シュガーロードを通じて伝わった異国の影響や技術が結びついて生まれたものであり、地域ごとの特徴や歴史が反映されています。
まとめ
シュガーロードは、異なる文化や国際交流が交わる場としての重要性を持ちながらも、日本の歴史や地域の特徴を反映したお菓子や文化の広がりの一例でもあります。その名は、長崎街道を通じて伝わった砂糖の歴史と交易の重要性を象徴しています。