「東の女峰、西のとよのか」――かつて日本を二分したイチゴの代表品種、女峰。その名は、1990年代後半まで東日本を中心に広く親しまれ、今もなお多くの人々の記憶に鮮やかな赤色とともに刻まれています。粒揃いの良さ、深紅の果皮、そして甘味と酸味の絶妙なバランスが織りなす濃厚な味わいは、まさに時代を彩った「凛とした甘さ」そのものでした。この記事では、女峰が人々に愛された理由、その特徴、そして現代に与えた影響を紐解きます。
女峰イチゴの概要と特徴
「女峰(にょほう)」は、1990年代後半まで東日本を代表するイチゴとして親しまれ、その名前は今もなお多くの人々の記憶に残っています。かつて東日本では女峰、西日本では「とよのか」が広く栽培されており、「西のとよのか、東の女峰」と称されるほど、全国的にこの2つの品種が大きなシェアを占めていました。女峰は、形が整っており、果皮が鮮やかな赤色で見た目が美しいのが特徴です。サイズはそれほど大きくありませんが、芳醇な香りを持ち、果汁が多く、甘味と酸味のバランスがとれた奥深い味わいを楽しめます。その上品な甘さと爽やかな酸味のハーモニーは、多くのイチゴファンを魅了しました。果肉は中心まで美しい赤色をしており、カットした断面も美しく、ジャムやソースに加工した際にも鮮やかな赤色を保ちます。さらに、完熟状態で収穫しても実が比較的硬く、傷みにくいため、輸送にも適しているという利点も兼ね備えています。
品種登録と名前の由来
女峰が品種登録されたのは1985年(昭和60年)1月のことです。この品種は、栃木県農業試験場において「はるのか」とアメリカ原産の品種「ダナー」の系統を交配させ、さらに千葉県で生まれたイチゴ「麗紅」を掛け合わせて開発されました。親品種を詳しく見ていくと、「はるのか」は福岡県で生まれ、「とよのか」の種子親でもあります。また、「麗紅」は「はるのか」と「福羽」を交配した品種です。女峰という名前は、日光を象徴する山である女峰山にちなんで名付けられました。この名前には、「数あるイチゴの中でもひときわ高くそびえ立つ存在となるように」という開発者の願いが込められています。
栃木県での育成試験と新品種誕生
女峰の開発は、栃木県におけるイチゴ栽培の歴史と深く関わっています。栃木県では当初、「福羽」や「宝交早生」などのイチゴ栽培が盛んでしたが、昭和40年代に入ると九州地方での促成栽培や近畿東海地方での電照促成栽培の出荷量が増え、栃木県産イチゴの半促成栽培は相対的に収益性が低下していました。この状況を打開するため、半促成栽培の技術改良が試みられましたが、品種の適性や技術的な限界があり、北関東の気候風土に適した新しい品種の育成が強く求められるようになりました。これを受け、1970年度から栃木県農業試験場佐野分場で新品種の育成試験がスタートしました。1970年代には「宝交早生」と「ダナー」を掛け合わせた試験品種が用いられましたが、いずれも「宝交早生」に及ばないと判断され、選抜は中止されました。しかし、その中でも「系210」と名付けられた品種は、小ぶりながらも果実が硬く、香り、糖度ともに優れており、さらに早生であるという特徴を持っていたため、その後の開発の足がかりとなりました。この特性を生かすため、1979年からは「系210」と「宝交早生」との交配試験が行われることになりました。「系210」と「麗紅」から生まれた4系統、すなわち栃木2号、4号、8号、9号が選抜され、栃木県内の主要なイチゴ産地(鹿沼、小山、真岡、佐野、那須)で現地試験が行われました。その結果、早期収量と品質が特に優れていた「栃木2号」が最終的に選ばれ、現在の女峰へと繋がる新しい品種が誕生しました。
「とちおとめ」への世代交代
女峰の全盛期は長くは続きませんでした。1996年(平成8年)に栃木県が開発した新品種「とちおとめ」が登場すると、東日本におけるイチゴの人気は一変します。「とちおとめ」は女峰に比べて大粒で、酸味が少なく甘みが強いという特徴があり、その後のイチゴ業界をリードしていくことになります。これにより、東日本では女峰からとちおとめへと急速に切り替わっていきました。この品種改良の流れは、女峰の生産量を年々減少させる大きな要因となりました。また、女峰は「とよのか」と同様に炭疽病にかかりやすい性質があったことも、品種改良が進む中で栽培が難しくなった理由の一つとして挙げられます。実際、炭疽病は女峰の普及をきっかけにイチゴの重要な病害として広く認識されるようになりました。
現在の生産状況と業務用としての価値
現在、女峰の栽培量は激減しており、一般のスーパーマーケットで生の女峰を目にする機会はほとんどありません。かつては主要品種でしたが、「まぼろしのいちご」と呼ばれる日が来るかもしれません。しかし、女峰はその独特な性質から、新たな価値が見出されています。特に、しっかりとした酸味は、ケーキやタルトといった洋菓子や、ジャムやソースなどの加工品に最適で、業務用としての需要が非常に高くなっています。2012年11月時点のデータでは、女峰の生産量の約9割が香川県で栽培されており、香川県が主な産地となっています。香川県でも品種の切り替えが進んでいますが、一部の農家はその価値を認識し、高品質な女峰の栽培に尽力しています。
花房ごとの実の数制限
高品質な女峰いちごを育てるには、丁寧な手入れと徹底した管理が不可欠です。香川県の苺ファーム森本では、いちごをたくさんつけすぎると、一つひとつの実が小さくなり、味も落ちてしまうという経験から、一つの花房につける実の数を5~7個に限定しています。これ以上についた蕾は、開花する前に摘み取ります。この作業は一見無駄にも思えますが、いちごは開花時に最も多くのエネルギーを使うため、不要な花蕾を取り除くことでエネルギーの消費を抑え、残された実に十分な栄養を行き渡らせるために重要な作業となります。
「手入れ」作業の徹底
苺ファーム森本が最も重要視している作業が「手入れ」です。この「手入れ」とは、いちごの葉やランナー(細長い茎)、脇芽、そして余分な実を取り除く作業のことです。葉が茂りすぎると、実が葉の陰に隠れて太陽光が当たらなくなり、結果としていちごの色、つや、味が悪化します。また、光合成に必要な葉の面積は約5~6枚とされており、それ以上の葉が生えてくると、新しい葉一枚の大きさが小さくなり、株全体の光合成効率が低下します。そのため、葉が生えてくるスピードに合わせて毎日少しずつ手入れを行い、1週間から10日ほどでハウス内を一周し、この作業を継続的に繰り返すことで、常に最適な生育環境を維持し、高品質な女峰イチゴの生産につなげています。
新鮮な女峰の選び方(見分け方)
女峰イチゴを選ぶ際には、いくつかのポイントがあります。まず、果皮が鮮やかな赤色で、形が整った円錐形のものを選ぶのがおすすめです。色が濃すぎるものは熟しすぎている可能性があるため、注意が必要です。女峰は香りが強い品種なので、手に取ったときに良い香りがするかどうかも、新鮮さを見極める上で重要なポイントです。香りが強く、色つやが良く、ヘタが生き生きとしているものを選びましょう。
女峰の最適な保存方法
せっかく購入した女峰いちごは、できる限り早く味わうのが一番です。もし保存が必要な場合は、冷蔵庫の野菜室を活用しましょう。乾燥を防ぐため、購入時のパックごとポリ袋に入れるか、密閉できる容器に入れると良いでしょう。女峰は比較的果肉がしっかりしていますが、他の品種と同様に日持ちは短いので、できるだけ新鮮なうちに食べきってください。洗うのは食べる直前に。水分が付着すると傷みの原因になります。
女峰を美味しく味わう食べ方
女峰の特徴は、そのさわやかな酸味です。生のまま食べることで、甘さと酸味の絶妙なバランスを堪能できます。酸味が気になる場合は、練乳をかけたり、牛乳と混ぜていちごミルクにするのもおすすめです。この酸味は、加熱調理や加工にも活かすことができます。ジャムにすれば、香り高く、美しい赤色のジャムが作れます。また、生クリームとの相性も抜群なので、ケーキやタルトなどのデザートに使うと、見た目も風味も格段に向上します。その鮮やかな赤色としっかりした果肉が、スイーツをより魅力的に演出してくれるでしょう。
女峰イチゴの旬(出回り時期)
女峰いちごの収穫のピークは、通常12月頃から4月頃です。しかし、以前に比べると市場に出回る量は減ってきています。店頭で見かける機会は少なくなりましたが、特定の地域や農家では、この時期に丁寧に栽培された女峰が、オンラインショップや農産物直売所などで販売されています。旬の時期に、貴重な女峰いちごを見つけたら、ぜひその特別な風味を味わってみてください。
まとめ
女峰いちごは、かつて「東の横綱」とも呼ばれ、日本のいちご市場をリードした品種です。その濃い赤色の果皮、芳醇な香り、そして甘味と酸味の調和のとれた奥深い味わいで、多くの人々を魅了しました。栃木県で誕生し、日光の女峰山にちなんで名付けられたこのいちごの歴史は、日本のいちご産業の発展を物語っています。しかし、近年では、より大粒で酸味が少ない「とちおとめ」などの新しい品種が登場し、生食用としての市場シェアは大きく縮小しました。現在、生産量の多くは香川県で栽培されており、そのしっかりとした果肉、鮮やかな赤色、そして程よい酸味は、ジャムやケーキなどの加工用として高く評価されています。一部の農家では、一房あたりの実の数を制限したり、丹精込めて「手入れ」を行うなど、独自の栽培方法によって、希少な女峰いちごを守り続けています。収穫時期は12月から4月頃ですが、お店で見かける機会は限られています。もし見つけた際には、その歴史と独特の風味をぜひお楽しみください。女峰いちごは、単なるいちごの品種というだけでなく、日本のいちご文化の一時代を築いた、まさに「忘れられないいちご」として、その存在感を放ち続けています。
女峰イチゴ、その名のルーツとは?
女峰イチゴという名前は、栃木県日光市にそびえる美しい女峰山から取られました。「数あるイチゴの中でも、ひときわ高く、秀でた存在になるように」という開発者の願いが込められています。
女峰イチゴの際立った特徴は何ですか?
女峰イチゴは、その鮮やかな深紅色の果皮が目を引く、美しい外観を持っています。芳醇な香りと豊富な果汁が特徴で、口に含むと甘さと酸味が絶妙なバランスで感じられ、奥深い味わいを楽しめます。果肉も鮮やかな赤色で、果肉がしっかりとしているため、加工用としても非常に価値が高いとされています。
女峰イチゴが店頭で見かけにくいのはなぜ?
1996年以降、「とちおとめ」を始めとする、より大粒で酸味が穏やかな新品種が登場し、消費者の好みがそちらへ移行しました。そのため、女峰イチゴの生産量は減少し、現在ではスーパーマーケットなどで生の女峰イチゴを目にする機会は少なくなっています。
女峰イチゴ、おすすめの食べ方は?
女峰イチゴは、その特有の甘酸っぱさをダイレクトに味わえる生食が一番のおすすめです。酸味が気になる場合は、練乳をかけたり、イチゴミルクにするのも良いでしょう。また、その酸味と美しい赤色を活かして、ジャムやケーキ、タルトなどの加工品に使用すると、その美味しさが際立ち、格別な味わいを楽しめます。
女峰イチゴ、現在の主要産地は?
かつては日本各地で見られた女峰イチゴですが、栽培農家の減少に伴い、現在ではそのほとんどが香川県で栽培されています。2012年11月の時点では、国内生産量の約9割を香川県が占めていました。香川県では、女峰イチゴ特有の風味を守り、品質を維持するための努力が続けられており、希少な品種を支える重要な産地となっています。