笹屋 伊織 どら焼きとは
笹屋伊織のどら焼きは、伝統と歴史が息づく和菓子の名品です。江戸時代末期、五代目当主・笹屋伊兵衛が京都・東寺の僧侶からの特別な依頼を受けて創り出したこのどら焼きは、独特の製法と形状が魅力です。今回は笹屋伊織のどら焼きについて詳しくご紹介します。
笹屋 伊織 どら焼きとは
笹屋伊織のどら焼きは、江戸時代末期に誕生しました。創業当初、笹屋伊織は家元や京都御所、さらには神社仏閣からの注文にも応えていました。その中で、五代目当主の笹屋伊兵衛が東寺からの注文を受けたことがきっかけで、どら焼きが生まれました。
東寺からは副食にもなる菓子を求められたため、寺でも作れるように工夫が必要でした。専門の鉄板ではなく、銅鑼(どら)を代用することを考え出し、銅鑼を熱して生地を焼き、棒状に成形した餡を包む方法を取ることで、現在のどら焼きが完成したのです。このため、笹屋伊織のどら焼きは、独特の形状と風味を持つ和菓子として評価されています。
笹屋 伊織 どら焼きを3日しか販売しない理由は?
笹屋伊織のどら焼きが月に1日だけ販売される理由は、歴史的背景とお坊さんたちへの敬意から来ています。江戸時代末期に、五代目当主の笹屋伊兵衛が東寺からの注文を受け、銅鑼を使って作られたこのどら焼きは、寺の副食として非常に評価されました。そのため、弘法大師のご命日である21日だけでなく、その前後の3日間に限定して販売されるようになりました。この限定販売は、弘法大師を敬う意味と、どら焼きをお土産として楽しんでもらいたいという思いから来ているのです。
笹屋 伊織 どら焼きの名前の由来
笹屋伊織のどら焼きは、江戸時代末期に五代目当主・笹屋伊兵衛が、京都・東寺のお坊さんから「副食となる菓子を作ってほしい」と依頼されたことに由来しています。当初は鉄板で焼くつもりでしたが、寺で使用されている銅鑼(どら)を代用し、銅鑼の上で焼いたことから「どら焼き」と名付けられました。この由来が、どら焼きの名前の由来となっています。
笹屋 伊織 どら焼きのカタチの不思議
笹屋伊織のどら焼きの形は、独特で美しい年輪状の模様を持っています。これは、熱した鉄板の上に生地を流し込み、棒状にしたこし餡を転がしながら包み込むという方法によって形成されます。この製法によって、モチモチとした秘伝の薄皮がまるで年輪のように美しく巻かれ、円柱型の形状が生まれます。これにより、どら焼きの形状はまるで年輪のように見え、羊羹の次に古い棹菓子とも言われています。
笹屋 伊織 どら焼きの卵が入っていない不思議
笹屋伊織のどら焼きには卵が含まれていません。その理由は、お坊さんの副食として作られたためです。仏教の教えにより、「殺生」を禁じられていたお坊さんたちは動物性食品を摂らなかったため、卵は使用されていません。これが、笹屋伊織のどら焼きが卵不使用である理由です。
まとめ
笹屋伊織のどら焼きは、江戸時代末期に五代目当主・笹屋伊兵衛が、京都・東寺の僧侶からの依頼で開発した和菓子です。元々は副食として作られ、鉄板の代わりにお寺の銅鑼を用いて焼き上げられたことから「どら焼き」と名付けられました。その独特の製法で、モチモチとした薄皮が年輪のように美しく巻かれ、円柱型の形状が特徴です。現在では、月に1日だけ販売される貴重な存在で、弘法大師のご命日にちなんだ3日間のみの販売が行われています。