毎年2月14日、世界中が愛で彩られるバレンタインデー。チョコレートを贈る習慣が定着していますが、その起源は古代ローマ時代にまで遡ります。。この記事では、バレンタインデーが辿ってきた歴史を紐解き、日本でのバレンタインの発展についてお伝えします。
バレンタインデー
2月14日は、バレンタインデーとして知られています。英語ではValentine's Day、アラビア語ではعيد الحبと表記され、聖バレンタインデーとも呼ばれます。もともとはキリスト教の祝日であり、欧米では毎年この日を家族や親しい友人と共に祝います。この記念日は、西暦269年にローマ皇帝の迫害により殉教した聖バレンタインに由来すると伝えられています。特に西方教会圏において、この聖人の命日を記念する日として広まりました。キリスト教圏では、バレンタインデーは家族間で贈り物を交換する習慣がありますが、日本では独自の発展を遂げました。日本では伝統的に、女性が男性にチョコレートを贈る日として定着しています。しかし、近年ではその慣習に対する批判や不満の声も上がっており、バレンタインデーのあり方は変化しつつあります。日本、中国、台湾、韓国などでは、バレンタインデーに加えて、ホワイトデーという習慣も存在します。
沿革
日本におけるバレンタインデーは、1958年頃から広まりを見せましたが、その内容は日本独自の進化を遂げています。第二次世界大戦以前にも一部の外国人によって行われていましたが、戦後、流通業界や製菓業界が販売促進のために普及を試みたものの、定着したのは1970年代後半でした。当初は男女関係なくチョコレートを贈る習慣として宣伝されていましたが、2月の売り上げ低迷に悩む菓子店主が「女性から男性へ親愛の情を込めてチョコレートを贈る」という日本独自のスタイルを発案しました。これは、日本の男性が女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため、女性から贈るという形に変えたことで徐々に受け入れられたのです。菓子店の企画、広告戦略、キャッチコピー、百貨店との連携などが功を奏し、商戦は成功しました。一説には、メリーチョコレートカムパニーの原邦生が最初にバレンタインデーにチョコレートを贈ることを提案し、「一年に一度、女性から愛を打ち明けていい日」というキャッチコピーを付けたと言われています。このアイデアは口コミで広まり、マスコミにも取り上げられました。原の著書によると、彼がヨーロッパのバレンタインデーの習慣を誤解したことがきっかけだったとされています。また、ウーマンリブ運動の盛り上がりや、主な購買層が女性であったことも影響したと考えられています。しかし、原邦生がイベントを行ったとされる1958年よりも前の1936年、モロゾフ製菓が外国人向け英字新聞に「あなたのバレンタインにチョコレートを贈りましょう」という広告を掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に仕掛けたという説が有力です。さらに、日本チョコレート・ココア協会によると、1992年には聖バレンタイン殉教の地であるイタリアのテルニ市から神戸市に愛の像が贈られており、その理由は「神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と判明したから」とされています。
特徴
日本では、バレンタインデーに女性が想いを寄せる男性へ、愛情表現として本命のチョコレートを贈るという特別な習慣があります。欧米では、恋人や親しい人にチョコレートを贈ることはありますが、それはバレンタインデーに限定されたものではありませんし、チョコレート以外の物を贈ることもあります。女性から男性へ贈るのが主流で、贈る物がほぼチョコレートに限られるという点が、日本のバレンタインデーの大きな特徴と言えるでしょう。ただし、近年では本命チョコに限らず、クッキーやケーキ、マフラーなどを贈る人も増えてきています。さらに、恋人未満の友人へ贈る「義理チョコ」、同性の友人同士で贈り合う「友チョコ」、男性から女性へ贈る「逆チョコ」、自分用に購入する「自己チョコ」、男性同士で贈り合う「強敵(友)チョコ」といった多様なバレンタインの形も生まれています。これらの点を踏まえると、日本のバレンタインデーは、特定の相手にチョコレートを贈るという習慣が定着していると言えます。職場での贈答習慣が強く残っていることや、キリスト教との直接的な関連が薄いことも、日本のバレンタインデーならではの特徴です。
起源と変遷
バレンタインデーとチョコレートが日本で結びつくまでの経緯には諸説ありますが、その起源は明確ではありません。当初は大きな反響はなく、チョコレートの販売も伸び悩んだようです。様々な説が存在しますが、バレンタインデーが日本で広まった後に、企業が自社の宣伝のために主張したものが誇張されている可能性も否めません。昭和30年代には、「バレンタインデーにはチョコレートを贈る」という認識はまだ一般的ではありませんでした。当時の新聞広告を見ても、チョコレートは贈答品として前面に出てくることはなく、森永製菓の広告でさえ、チョコレートはあくまでおまけのような扱いでした。1960年の森永製菓の広告では、「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて贈る日」とされており、贈答の主体も女性に限られてはいませんでした。しかし、「愛の日」という概念は強調されており、それは夫婦の日として捉えられていました。当時の社会通念からすると、見合い結婚が主流で、恋愛結婚は少数派でした。また、結婚を前提としない恋愛や、未成年者の恋愛は想定されていませんでした。そのため、製造販売業者の思惑と実情との乖離が、チョコレートの売上を大きく伸ばすには至りませんでした。
日本社会への定着と展開
バレンタインデーの普及期、百貨店は販売促進に力を注ぎましたが、1968年を境に客足は鈍化し、定着は困難との見方も強まっていました。しかし、1970年代初頭のオイルショックを機に、チョコレートの売り上げは急伸します。不況にあえぐ小売業界が積極的に販促を展開したことが要因の一つと考えられ、消費社会の成熟も後押ししました。特に、小学校高学年から高校生の間でバレンタインにチョコレートを贈る習慣が広まり、1980年代後半には主婦層も夫や父親などに贈るようになります。さらに、アイドルやスポーツ選手、ゲームキャラクターへの贈呈も見られ、後の「推しチョコ」へと繋がりました。中には、フードバンクに寄付されるケースもありました。当初はチョコレートに限らず、特定の異性への贈答でもなかったバレンタインデー。商業的な影響があった一方、日本社会に受け入れやすい要素とそうでない要素があったと指摘されています。現在では「チョコレート業界の陰謀」という認識も広まっていますが、定着には学生たちの主体的な選択が深く関わっていたと考えられています。
20世紀後半から2000年代初頭にかけて
日本では、年間チョコレート消費量の約2割が2月14日に集中すると言われるほど、バレンタインデーは国民的なイベントとして定着しています。2000年代以降、その形態は多様化を見せています。かつては、女性が男性にチョコレートを贈り、愛を告白するというのが主な目的でしたが、現在では恋人同士や夫婦、子供同士でも贈り合うようになり、憧れの相手や、上司、友人など恋愛感情を伴わない相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」の習慣も定着しました。しかし、義理チョコは1990年代後半から衰退傾向にあり、2000年代後半から2010年代前半にかけてもその傾向は続いています。一方で、2000年代初頭から女性同士でチョコレートを贈り合う「友チョコ」が広まり、バレンタイン市場を支える存在となっています。特に2000年代後半以降、友チョコの市場規模は拡大しています。バレンタインデーにおけるチョコレートの売上が伸び悩む中、関連業界の企業は、友チョコを重視したキャンペーンや、男性が女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」といった新たな展開で消費の活性化を図っています。特に森永製菓は逆チョコに力を入れており、期間限定で「逆ダース」を発売するなど積極的なキャンペーンを展開しています。この時期には、チョコレート販売店に特設会場が設けられ、商品の種類も多様化するため、試食を楽しんだり、輸入品や高級品など珍しい商品を自分用に購入する「自分チョコ」をする人も増えています。バレンタインデーの市場規模は2017年以降、縮小傾向にあります。2020年には前年比4%の増加が見られましたが、2021年は前年比20%減の1050億円となる見込みです。