羊羹の由来:古代中国の煮込み料理から日本の国民的お菓子へ

しっとりとした甘さと、独特の食感が魅力の羊羹。和菓子の定番として、多くの人に親しまれています。特に、小豆を寒天で固めた煉羊羹は、その上品な味わいから贈答品としても人気です。しかし、「羊羹」という名前からは想像もつかないほど、そのルーツは意外なところにあります。実は、羊羹の起源は、現代の甘味とはかけ離れた、古代中国の煮込み料理だったのです。この記事では、羊羹がどのようにして中国から日本へ伝わり、独自の進化を遂げて国民的なお菓子となったのか、その歴史を紐解きます。

「羊羹」という言葉のルーツ:中国の「羊の羹」とは

「羊羹」という言葉の始まりは、現在の和菓子とは全く異なる中国の料理にあります。漢字をそのまま訳すと「羊のスープ」となり、「羊」が動物を表すことは理解しやすいですが、「羹」という言葉の意味は少し分かりにくいかもしれません。「羹」は、肉や野菜などを煮込んだ温かい汁物を指します。つまり、本来の「羊羹」は、羊肉を使った煮込み料理という意味だったのです。中国では、「羊羹」は羊肉やゼラチンを使ったスープを意味し、当時、様々な種類の「羹」が存在していました。現在の和菓子としての羊羹が、なぜ「羊」という漢字を使っているのか、そのルーツを探ることで、その謎が少しずつ解き明かされていきます。

中国における「羊羹」の種類と調理方法

古代中国の食文化において、「羊羹」は様々な「羹」の中の一つでした。「羊羹」以外にも、肉の種類によって「鼈羹(すっぽんのスープ)」、「雉羹(キジのスープ)」、「猪羹(イノシシのスープ)」などがあり、どれも肉と野菜を煮込んだ温かい汁物でした。これらのスープの中には、冷やすとゼラチンの作用で自然に固まり、煮凝りのようになるものもありました。特に、中国北東部の遊牧民がよく食べていた羊肉のスープは、冷めると固まり、それを細かく切って食べていたのが「羊羹」の始まりと言われています。この固まった羊肉の煮込みは、保存食としても重宝され、人々の生活に深く根付いていました。

中国の歴史書に見る「羊羹」

「羊羹」は、料理名としてだけでなく、歴史上の人物のエピソードにも登場します。中国の南北朝時代(375年 – 446年)に、東晋・北魏の武官で料理上手だった毛脩之(もうしゅうし)という人物が「羊羹」を作ったとされています。現代の中国では、この元祖「羊羹」に直接つながる料理を見つけるのは難しいですが、北京料理の「羊肉(ヤンロウ)」が、その名残をとどめていると言われています。かつては羊肉と野菜の煮込みだったものが、現在では日本の「しゃぶしゃぶ」のように食べる鍋料理に変化しており、食文化の変遷を感じさせます。

「羹」の読み方とその意味:日本への伝来と漢字の奥深さ

漢字が日本に伝わるにつれて、その発音も様々な変化を遂げました。「羹」という漢字もその一つです。漢音では「コウ」または「カウ」、唐音では「カン」と発音されます。「カン」という発音は、現代中国語の「コン(geng)」に近いとされています。漢字の音読みには、伝来の時期や経路によって「呉音」「漢音」「唐音」「慣用音」などがあります。呉音は、漢音よりも前に日本に定着した古い発音で、仏教用語に多く見られます。漢音は、7世紀から8世紀にかけて遣唐使などによって伝えられた唐代の発音です。唐音は鎌倉時代以降、禅宗の僧侶や貿易商人によって伝えられました。このように、中国からの文化の流入とともに、漢字の読み方も多様化していったのです。現代では「ようかん」と平仮名で書かれることが多いですが、漢字で書くことによって、その歴史的な背景を理解することができます。「羹」という漢字は汁物を意味しますが、お菓子の羊羹の形とは異なります。そのルーツが、肉を蒸して煮込んだ料理にあることを知ることで、現代の羊羹が持つ漢字の秘密が明らかになります。この「カン」という唐音が、日本の「羊羹」という和菓子の名前に大きな影響を与えたのです。

Image

和菓子としての羊羹の確立と独自の進化

室町時代、茶道の発展は日本の文化に大きな影響を与え、羊羹もその影響を受けました。茶道の点心として用いられる中で、羊羹は料理としての側面を薄め、お菓子としての側面を強めていきました。特に戦国時代から安土桃山時代にかけて、その変化は決定的となり、羊羹は和菓子の一つとして定着し、茶席の菓子として重要な存在となりました。羊羹のルーツには、中国のスープ『羊の羹』に由来するという説が有力ですが、一方で菓子としてのルーツとして、中国の餅菓子『羊肝糕』が原型だとする説もあります。江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』には、「菓子の羊羹は羊肝糕という餅の一種が伝わったものだ」と記されており、当時の人々もそのルーツを認識していたことが分かります。禅僧が日本にもたらした喫茶の習慣と点心に、甘味が加えられた「羊羹」が茶菓子として用いられるようになったのは、自然な流れだったと言えるでしょう。茶道の精神性と結びつき、羊羹は洗練された和菓子としての地位を確立しました。また、この過程で「芋羊羹」や「ういろう」のように、初期の蒸し羊羹の製法から派生したお菓子も生まれ、羊羹が日本の菓子文化に与えた影響の大きさがうかがえます。

蒸羊羹から煉羊羹、そして水羊羹へ:砂糖の普及と製法の革新

和菓子として確立されていく中で、羊羹の製法も大きく進化しました。室町時代には、「砂糖羊羹」という名前が記録に残っています。当時の羊羹の甘味付けには、主に甘葛という植物の樹液が使われていましたが、砂糖は日本では生産できなかったため非常に高価で、使用した場合は「砂糖羊羹」と呼ばれていました。江戸時代以前の羊羹は、すべて蒸し羊羹であり、現在のういろうに近いものでした。しかし、琉球王国や奄美群島などで黒砂糖の生産が始まり、薩摩藩によって砂糖が日本本土に持ち込まれると、砂糖の希少性は薄れていきました。江戸時代の後期(1800年頃)には、製菓技術の発展とともに、寒天を利用した煉羊羹が登場しました。寒天を用いることで、蒸し羊羹とは異なる、独特の食感と透明感を持つ羊羹が生まれ、形も細長い棒状が主流となりました。さらに、煉羊羹を半煉り状にした羊羹も作られるようになり、後に水分を多く含んだ水羊羹へと進化しました。水羊羹は、そのさっぱりとした口当たりから、おせち料理の一部として冬に食べられることが多かったとされています。しかし、冷蔵技術が普及すると、季節を問わず生産できるようになり、夏に出回ることが多くなりました。このように、羊羹は時代の変化に伴い、砂糖の普及や寒天の利用などによって多様な種類と製法を生み出し、日本の食文化に深く根ざしていったのです。

現代における羊羹の新たな役割と国際的な展開

羊羹は、長い歴史の中で培われた普遍的な魅力と高い品質から、現代においても様々な役割を担い、国境を越えてその価値を認められています。伝統的な贈答品や日常のお菓子としての地位を保ちつつ、その特性が現代社会のニーズに合致し、多様な場面で活用されています。

保存食・非常食としての価値と宇宙食への認定

羊羹の特筆すべき点として、日持ちの良さが挙げられます。この特性から、羊羹は単なるおやつとしてだけでなく、緊急時の食料や、体を動かす際のエネルギー源としても注目を集めています。持ち運びやすく、手軽にカロリーと糖分を補給できるため、登山やアウトドアといった活動時の携帯食としても重宝されています。その栄養価、保存性、そして日本ならではの味が認められ、2020年代にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)が宇宙飛行士へ提供する食品の一つとして採用されるという名誉を得ました。これは、羊羹が過酷な環境下での栄養補給に適した、世界に誇れる食品であることを示しています。

世界各国への伝播と多様な進化

羊羹の魅力は、日本国内にとどまらず、世界へと広がっています。第二次世界大戦中には、満州、朝鮮半島、台湾といった地域にも羊羹の文化が伝わりました。これらの地域では、日本から伝わった製法をベースに、それぞれの食文化に合わせた独自の羊羹が作られるようになりました。例えば、中国では「ヤンカン」と呼ばれ、日本の小豆や栗を使った羊羹だけでなく、りんごやサンザシを加えたフルーツ風味の羊羹など、中国ならではのアレンジが加えられています。現代では、ニューヨーク、パリ、シンガポールといった世界の主要都市でも羊羹が支持されており、和菓子が洋菓子に比べて一般的ではないという考えは、もはや当てはまらないと言えるでしょう。海外のパティスリーやカフェでも、羊羹を使ったデザートが登場するなど、そのオリジナリティとヘルシーなイメージから、世界中の食通を魅了し続けています。

Image

まとめ

羊羹は、中国の肉料理「羊の羹」に起源を持ち、日本へ伝来後、禅宗の精進料理として独自の進化を遂げました。室町時代には茶菓子として確立し、江戸時代の製法革新を経て多様な種類が生まれました。現代では、保存食としての価値に加え、国際的な和菓子として世界中で親しまれています。

羊羹はなぜ「羊」の字を使うのですか?

羊羹という名前の由来は、その原型となった中国の羊肉を使った煮込み料理「羊の羹(ひつじのかん)」にあります。これは元々、羊肉と野菜を煮込んだスープで、冷えるとゼラチンの作用で固まり、煮凝りのようになるものでした。日本に伝わった後、肉食が禁止されていたため、小豆などで羊肉を模した“代替料理”が作られるようになり、料理の内容は変わりましたが、その名前だけが受け継がれたのです。

羊羹はもともと中国の料理だったのでしょうか?

その通りです。羊羹のルーツは、中国の「羹(あつもの)」と呼ばれる汁物料理にあります。もともとは羊肉を蒸したり煮込んだりした料理でした。日本には奈良時代に一度伝来しましたが、当時は肉食が禁じられていたため、広くは普及しませんでした。その後、鎌倉時代になって禅僧によって精進料理として再び伝えられました。現代の中国では、羊肉を使った「ヤンロウ」という鍋料理が、その流れを汲む料理として知られています。

日本では羊羹はどのように変化したのでしょうか?

日本に伝わった羊羹は、肉食を避ける禅宗の文化の中で、羊肉の代わりに小豆や山芋、小麦粉、葛粉などを使用した“もどき料理”として発展し、蒸し羊羹の原型となりました。室町時代には茶道が盛んになるにつれて菓子としての性格を強め、甘みが加えられて茶菓子として定着しました。江戸時代になると、琉球や奄美で砂糖の生産が盛んになり、寒天を使った煉羊羹が登場し、さらに水分を多くした水羊羹へと進化を遂げました。芋羊羹やういろうも、この蒸し羊羹から派生したものです。

羊羹