知られざる日本の食文化を支える海藻「てんぐさ」のすべて:ところてん・寒天との関係から栄養、歴史、未来まで
夏の涼味を代表する、つるりとした喉ごしのところてん。そして、ヘルシーなデザートや料理の材料として親しまれる寒天。これら日本の食文化に深く根ざした食材を語る上で欠かせないのが、海藻「てんぐさ」です。一見地味な存在ながら、古くから日本人の食生活を支えてきたてんぐさ。本記事では、その知られざる魅力に迫ります。生育環境、歴史、そしてところてんや寒天との関係性、栄養価まで、てんぐさのすべてを紐解き、その奥深さに触れていきましょう。

てんぐさの定義、種類、生育環境とその歴史

てんぐさは、ところてんや寒天の原料となる紅藻類の海藻の総称であり、特定の海藻の種類を指すものではありません。分類学上は紅藻類テングサ目テングサ科に属する海藻全体を指し、その種類は約30種に及びます。これらの海藻に共通する重要な特徴は、煮出すことでゼリー状の寒天質を効率よく抽出できることです。主な種類としては、産地や地域によって「マクサ」や「オオブサ」などが利用され、それぞれがところてんや寒天の風味や食感に微妙な差を生み出しています。てんぐさは、日本の沿岸部から朝鮮半島にかけて広く分布しており、特に太平洋側や伊豆諸島などの温暖な海域で多く見られます。良質なテングサは、透明度の高い海水と複雑な地形の海岸線によって育まれると言われています。太陽光が届く水深30メートルまでの比較的浅い海域で、岩などにしっかりと付着して成長するのが特徴です。このような自然環境に恵まれた場所で育つてんぐさは、加工食品の品質を大きく左右します。また、てんぐさは万葉集にも記述があるほど、古くから日本人の生活に深く関わってきた食材です。当時は主に交易品として利用され、地域間の交流において重要な役割を果たしていました。ところてんの歴史もてんぐさと同様に古く、奈良時代にはすでに存在していたことが正倉院の木簡に記録されています。この木簡には、てんぐさが貢物として都に送られていたことが記されており、その価値と利用の歴史の深さを物語っています。このように、てんぐさは単なる食材としてだけでなく、日本の豊かな食文化と歴史を築いてきた重要な海洋資源なのです。

てんぐさの収穫、生産量の現状と品質

てんぐさの収穫は、海水温がテングサの生育に適した時期に行われます。一般的にテングサ漁の解禁は4月ですが、海水温がまだ低い場合もあるため、本格的な漁は5月頃から始まることが多いです。テングサの生育には特定の環境条件が重要であり、1月から3月の胞子が付着する時期には水温が13℃~15℃以下であることが望ましく、4月から6月の成長期には海水温が上昇することが必要です。また、4月から8月の採取時期には晴天が続くことが、安定した収穫量と品質を維持するために不可欠です。テングサの採取方法には、海岸に打ち上げられたものを拾う「寄り草」と、海女が素潜りで海底から手で摘み取る「取り草」の2種類があります。特に手で摘み取られた「取り草」は、高品質なテングサとして高く評価される傾向があります。テングサ(天草)を含む『海藻類』の生産量については、水産庁が毎年『海面漁業生産統計調査』として公表している。2023年の『海藻類(テングサ類)』の全国生産量は268トンと報告されている。(出典: 水産庁『海面漁業生産統計調査』令和5年(2023年), URL: https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kaimen_gyosei/index.html, 2024-03-29)
この大幅な減少の背景には、気候変動による海水温の変化が大きく影響しています。具体的には、黒潮の大蛇行や、西日本から東海地方にかけての梅雨の長期化による収穫日数の減少などが、全国的な減産の原因と考えられています。このような国産テングサの減少に伴い、韓国、チリ、モロッコなどからの外国産テングサの輸入が増加しています。外国産は国産に比べて安価で取引されることが多いですが、品質においては国産の方が優れているとされています。特に、外国産テングサは主に寒天製造用として利用されることが多く、ところてんのような風味を重視する食品には国産が好まれる傾向があります。テングサの種類や収穫された場所、天日干しの方法なども、最終的な製品の品質に大きな影響を与えます。良質なテングサは、生育環境から収穫、乾燥に至るまで、様々な要素によってその価値が決まる繊細な海洋資源なのです。

日本有数の産地「伊豆」の高品質なテングサとその背景

「伊豆天草」は、そのブランド名で知られる高級テングサとして全国的に有名です。伊豆半島は、日本でも有数のテングサ産地として高い評価を受けていますが、それには明確な理由があります。まず、伊豆半島の沿岸部には黒潮が流れ込み、テングサの生育に最適な水温環境が年間を通して維持されています。この豊かな海流が、テングサの成長を促進する重要な要素となっています。さらに、伊豆地域の豊かな森林が、テングサの品質に間接的に貢献しています。「豊かな森林は豊かな海を育む」と言われるように、森林から海へと供給される窒素やリンなどの栄養分が、肉厚で高品質なテングサの育成を可能にしています。テングサは、太陽光が届く水深30メートルまでの浅い海で、岩などに付着して成長するため、このような豊かな海洋環境が不可欠です。伊豆におけるテングサ漁は毎年4月に解禁され、5月頃から本格化します。春から夏にかけて、伊豆の海女たちが丁寧に手摘みしたテングサは、地元の人々によって丹念に天日干しされます。この時期、伊豆の海岸には収穫されたテングサが広げられ、「紫色の天草の絨毯」と呼ばれる美しい風景が広がります。この丁寧な手作業こそが、伊豆産テングサの品質の高さとブランド価値を支える理由です。しかし、伊豆産テングサも全国的な傾向と同様に生産量の減少に直面しています。2002年には約202トン、2003年には88トンだった伊豆のテングサ生産量は、2022年・2023年には約40トンと大幅に減少しており、伊豆産のテングサはますます貴重な存在となっています。このような生産量の減少は、高齢化が進む海女の減少とも深く関係しており、伊豆の高品質なテングサを未来に引き継いでいくためには、地域全体での取り組みが重要な課題となっています。

ところてんと寒天:製造方法、風味、用途の違い

ところてんも寒天も、主原料はてんぐさですが、製造工程に違いがあり、それが食感や風味、利用方法に影響を与えています。ところてんは、てんぐさを水で煮て、煮汁を濾過し、型に流し込んで冷やし固めます。固まったものを「ところてん突き」で細くして、おなじみの形状にします。シンプルな製法のため、てんぐさの持つ磯の香りが豊かに残り、つるりとした喉越しが楽しめます。酢醤油や三杯酢、黒蜜など、素材の味を生かす和風の調味料との相性が良く、暑い時期に好まれます。一方、寒天は、ところてんを凍結・乾燥させて作られます。厳寒期に屋外で凍結させ、天日で乾燥させることで水分が蒸発し、海藻の匂いが軽減されます。そのため、フルーツや砂糖、牛乳など、様々な食材と組み合わせて風味を損なわずに使用でき、和菓子や洋菓子、料理の凝固剤として幅広く利用されます。粉末寒天や棒寒天など、様々な形状で販売されており、家庭やプロの現場で重宝されています。このように、ところてんと寒天は、同じ原料から作られていますが、製造工程の違いによって異なる個性を持つ食品として、日本の食文化の中でそれぞれの役割を担っています。

ところてん・寒天の低カロリー性と栄養

ところてんと寒天は、どちらも低カロリーで、健康維持に役立つ栄養成分を含んでいます。日本食品標準成分表2020年版(八訂)によると、可食部100gあたりの栄養価は以下の通りです。ところてんは、ほとんどが水分で、カロリーは2kcalと非常に少ないです。炭水化物は3gで、うち食物繊維は0.6gです。ナトリウム2mg、カルシウム4mg、カリウム4mg、ヨウ素240μgが含まれています。水分は99.1gで、水分補給にも役立ちます。寒天も低カロリーで、特に食物繊維が豊富です。カロリーは3kcal、炭水化物は2gで、うち食物繊維は1.5gと、ところてんの2倍以上です。これは寒天の保水性と網目状の構造によるものです。ナトリウム1mg、カルシウム2mg、カリウム10mg、ヨウ素21μgが含まれており、水分は98.5gです。ところてんと寒天は、ダイエットに適した食品であり、特に食物繊維を摂取したい場合は寒天がおすすめです。両食品に含まれるミネラルは、体の生理機能を正常に保つために重要です。

ヨウ素の重要性:甲状腺ホルモン生成に不可欠なミネラル

ところてんや寒天には、ナトリウム、カルシウム、カリウムの他に、ヨウ素という微量元素が含まれています。ヨウ素は、甲状腺ホルモンを生成するために必要な栄養素であり、健康維持に不可欠です。甲状腺ホルモンは、基礎代謝、エネルギー生産、体温維持、細胞の成長と分化など、体の様々な機能を調整します。心臓の働き、消化器系の活動、神経系の機能など、あらゆるプロセスに影響を与えます。特に、乳児の成長と発達、妊娠期や授乳期の母体の健康維持、胎児や乳児の脳の発達には不可欠であり、ヨウ素の摂取が重要です。ヨウ素が不足すると、甲状腺機能低下症を引き起こし、倦怠感、体重増加、肌の乾燥、精神活動の低下などの症状が現れることがあります。てんぐさ由来の食品は、甲状腺ホルモン生成に必要なヨウ素をはじめとするミネラルを手軽に摂取できる食材として評価されています。日々の食生活にところてんや寒天を取り入れることは、これらの栄養素を補給し、健康的な身体機能を維持する一助となるでしょう。 【出典】日本食品標準成分表 2020年版(八訂) 【参考】厚生労働省『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』ヨウ素(https://www.ejim.ncgg.go.jp/public/overseas/c03/03.html)(2022/01/25)

伊豆産テングサを用いた伝統的なところてん作りの事例

高品質なテングサは、そのまま食べるだけでなく、伝統的な加工食品に利用されています。その例として、創業明治二年の『伊豆河童』のところてん作りがあります。伊豆河童では、伊豆産の天草を100%使用し、富士山の湧き水を用いて、職人が手作りでところてんを製造しています。厳選された原材料と丁寧な製法によって、しっかりとした食感と歯切れの良さが特徴のところてんが生まれます。添加物や粉寒天、天草以外の海藻は一切使用せず、伊豆産テングサ本来の風味を純粋に楽しめます。伊豆河童が伊豆産のテングサにこだわるのは、品質追求だけでなく、地域社会への思いがあるからです。伊豆には多くの海女さんがいますが、高齢化により減少しています。伊豆河童は、伊豆のテングサを使用することで、地元でテングサ漁を続ける海女さんたちを経済的に支え、地域の伝統文化を守りたいと考えています。このような地域に根ざした取り組みは、食の安全だけでなく、持続可能な地域社会の実現にも貢献しています。伊豆河童では、ところてんの多様な楽しみ方を提案しており、酢醤油、三杯酢、黒蜜、ほうじ茶蜜、わさびドレッシング、梅しそつゆ、胡麻ダレ、抹茶蜜、玄米黒酢、柚子みつ、コーヒーみつ、めんつゆ、白蜜糖、サウナ専用たれなど、13種類のタレを用意しています。全国各地のところてんの味を自宅で気軽に味わうことができ、旅行気分で日本の食文化を体験できるという魅力を提供しています。伊豆河童のところてんは、高品質な原材料、伝統的な製法、地域への貢献、多様な楽しみ方を融合させた製品と言えるでしょう。

まとめ


なめらかな舌触りが人気のところてんや、様々なお料理やおやつに用いられる寒天は、どちらも「てんぐさ」という海藻が原料です。てんぐさとは、特定の海藻を指す名称ではなく、マクサやオオブサなど紅藻類テングサ目に分類される約30種類の海藻の総称であり、日本各地で昔から食されてきた歴史のある食材です。生育には、澄んだ海水や適切な水温、豊かな森からの栄養分が不可欠であり、特に伊豆地方では、黒潮の影響と丁寧な手作業による採取、天日乾燥によって高品質な「伊豆天草」が作られています。しかし、近年の気候変動や漁師の高齢化により、国産テングサの収穫量は激減しており、希少価値が高まっています。ところてんは、てんぐさを煮出した汁をそのまま冷やし固め、専用の器具で細長くすることで、てんぐさ本来の豊かな風味や磯の香りを味わえる伝統的な食品です。一方、寒天は、ところてんを凍らせて乾燥させることで水分や不要物を取り除き、海藻の香りを抑えているため、幅広い料理やお菓子に活用できます。どちらも低カロリーでありながら、食物繊維が豊富で、基礎代謝や成長に欠かせない甲状腺ホルモンの生成を助けるヨウ素などのミネラルも豊富に含んでおり、健康的な食生活を支える食品として注目されています。伊豆河童のような伝統を大切にする企業は、伊豆産のテングサを100%使用し、職人の手作業にこだわり、地域文化の継承と高品質な商品提供を通して、てんぐさの魅力を伝えています。これらの特徴を理解し、それぞれの風味や食感の違いを楽しみつつ、日々の食生活にてんぐさ由来の食品を取り入れてみてはいかがでしょうか。

てんぐさとは具体的にどのような海藻を指しますか?

てんぐさという名称は、特定の海藻の種類を指すのではなく、ところてんや寒天の原料となる紅藻のグループを指します。生物学的には、紅藻植物門テングサ目に属する約30種類の海藻を指し、煮出すとゼリー状になる性質を持っています。主に「マクサ」や「オオブサ」といった種類がてんぐさとして使われ、産地によって利用される種類が異なります。これらの海藻は日本の沿岸に広く分布しており、日本の食文化と深く関わってきました。

ところてんと寒天は、同じてんぐさから作られるのに何が違うのですか?

ところてんと寒天は同じてんぐさを原料としていますが、製造方法に大きな違いがあります。ところてんは、てんぐさを煮て溶かしたものを濾し、そのまま冷やし固めた後、専用の器具を使って細く押し出したものです。そのため、てんぐさ本来の海藻の風味や磯の香りが感じられます。一方、寒天は、いったんところてんを作った後、それを凍結させて乾燥させるという工程を経て作られます。この凍結と乾燥の過程で水分や不純物が除去されるため、海藻特有の香りが大幅に軽減され、様々な料理やお菓子に使いやすくなります。

てんぐさの収穫時期や方法はどのようなものですか?

てんぐさ漁は通常、毎年4月に解禁されますが、海水温が適温になる5月頃から本格的なシーズンを迎えます。採取方法は、浜辺や岩場に自然に打ち上げられたものを拾い集める「寄り草」と、海女が素潜りで海底から手で摘み取る「採り草」の2種類があります。特に「採り草」は品質が高いとされ、手摘みされたてんぐさは、その後、地元の人々によって丁寧に天日干しされ、品質が向上します。

てんぐさにはどのような栄養成分が含まれていますか?

てんぐさから作られる食品、例えばところてんや寒天は、カロリーが非常に低い一方で、食物繊維やミネラルを豊富に含んでいる点が特徴です。特に重要な栄養素として挙げられるのは、甲状腺ホルモンの生成に不可欠なヨウ素という微量元素です。その他にも、ナトリウム、カルシウム、カリウムといったミネラルが含まれており、これらは身体の正常な機能を維持するために重要な働きをします。特に寒天は、ところてんと比較して、食物繊維が非常に豊富に含まれています。

なぜ伊豆産テングサは高品質とされ、その生産量はどのように変化していますか?

伊豆産のテングサは「伊豆天草」というブランド名で知られ、その品質の高さで評価されています。その理由は、伊豆半島の沿岸を流れる黒潮が、テングサの生育に適した水温を保っていること、そして周辺の豊かな森林が、海に栄養を供給することで、肉厚で高品質なテングサが育つ環境が整っているためです。さらに、海女による手摘みや、丁寧な天日乾燥といった伝統的な製法も、その品質を支える要因となっています。しかしながら、伊豆におけるテングサの生産量は、全国的な傾向と同様に減少しており、2002年の約202トンから、2022年・2023年には約40トンへと大幅に減少しており、その希少性が増しています。

近年の国産テングサの生産量減少の主な原因は何ですか?

国産テングサの生産量は、2002年の約800トンから2023年には268トンへと大幅に減少しています。この主な原因は、気候変動の影響によるものです。具体的には、黒潮の大蛇行による海水温の変化や、西日本から東海地域にかけての梅雨の長期化による収穫可能日数の減少などが挙げられます。これらの環境的な要因が、テングサの生育や採取に悪影響を及ぼし、全国的な生産量減少につながっています。
てんぐさ 食べ物