内藤とうがらしとは?江戸野菜の歴史、特徴、再生プロジェクト

内藤とうがらしは、かつて江戸の食文化を彩った「江戸野菜」の一つで、現在の東京都にあたる武蔵国周辺で栽培されていました。江戸っ子にとって欠かせない香辛料であり、特に七味唐辛子の材料として広く知られていましたが、都市化の進展とともに栽培地が減少し、姿を消してしまいました。しかし近年、この貴重な伝統野菜を復活させようという試みが始まり、地域全体を巻き込む大規模な再生プロジェクトによって、見事にその姿を現しました。この記事では、内藤とうがらしがどのように江戸の名産品となり、時代の流れの中で消滅し、そして現代にどのように蘇ったのか、その詳細な歴史、品種の特徴、そして多岐にわたる再生プロジェクトの活動を深く掘り下げ、その魅力を詳しく解説します。

内藤とうがらしのルーツと江戸の食文化への貢献

内藤とうがらしは、江戸時代に武蔵国豊島郡の内藤新宿周辺で栽培されていた唐辛子の一種で、「江戸東京野菜」として知られています。その起源は、元禄11年(1698年)に高遠藩主の内藤氏が、江戸最初の宿場町である内藤新宿(現在の新宿御苑の場所)に開設した下屋敷に深く関わっています。当時、江戸の大名たちは屋敷内に菜園を作り、自家消費するだけでなく、余った作物を販売していました。内藤家の下屋敷でも唐辛子や南瓜などが栽培され、特に唐辛子は評判となり、その名が広まりました。

内藤とうがらしは、「八房(やつぶさ)系」という品種に分類されます。八房系は、実が空に向かって房状に生えるのが特徴で、真っ赤に熟した実は、漬物や香辛料として広く使われました。江戸の食卓に欠かせない調味料であり、七味唐辛子の代名詞としても親しまれていました。当時の内藤新宿から大久保にかけての畑は、夏から秋にかけて赤い唐辛子の実で覆われ、その美しい風景は「新宿の今昔」にも記録されているほどでした。この地域の唐辛子は、文化・経済の中心地であった内藤新宿を通じて、江戸の食文化を支える重要な名産品として発展しました。

江戸時代の記録が語る内藤とうがらしの評判

内藤とうがらしの評判とブランドは、江戸時代の様々な文献にも記録されています。平和な時代の中で庶民文化が発展した寛政から文化・文政年間(1793年~1841年)に作られた幕府の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「蕃椒(とうがらし)内藤宿乃其邊の村々にて、作る世に内藤蕃椒と呼べり」と書かれています。また、幕府の地理学者であった古河市兵衛が江戸周辺を調査してまとめた『武江産物史』でも、産地が明記された野菜36品目の中に「とうがらし 内藤宿」と記載されており、その品質と知名度の高さがうかがえます。

さらに、江戸と関西の風俗を紹介する近世風俗誌である喜多村信節の『嬉遊笑覧』には、「城西新宿の内藤邸辺を蕃椒の名産とす。故に江戸にてこれを売る詞、内藤とうがらし、云々」と記されています。この「売る詞」は、当時の唐辛子売りたちが使っていた「入れますのは、江戸は内藤新宿八つ房が焼き唐辛子」という口上と一致しており、内藤とうがらしが単なる農産物ではなく、江戸の人々の生活に深く根ざしたブランド品として親しまれていたことを示しています。これらの記録は、内藤とうがらしが幕府の調査に基づいた書籍にも記録され、庶民の生活文化においても高く評価されていたことを証明しています。

内藤とうがらしの品種特性と多彩な利用方法

内藤とうがらしは、「八房系」という品種に分類されます。八房という名前は、実が空に向かって房状に密集して生えることに由来します。一般的な唐辛子が下向きに実をつけるのに対し、内藤とうがらしの赤い実は葉の上に出るように成長するため、収穫時には畑一面が赤く染まり、美しい景色を作り出します。この見た目の特徴は、かつて内藤新宿周辺の畑を彩り、人々の目を楽しませた風景と一致しています。

辛さの程度としては、内藤とうがらしは中程度の辛味を持ち、料理の風味を引き立てるのに適しています。また、葉が大きいことも特徴の一つです。この豊富な葉は、実だけでなく「葉唐辛子」としても利用できます。葉唐辛子は、佃煮や炒め物などにして食べられ、独特の風味と栄養を提供します。このように、内藤とうがらしは実と葉の両方を利用できるため、江戸時代から現代に至るまで、様々な形で日本の食文化に貢献してきました。その適度な辛味と豊かな香りは、漬物や七味唐辛子だけでなく、様々な創作料理にも活用され、幅広い料理シーンでその魅力を発揮しています。

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消えゆく記憶からの再生:内藤とうがらし、現代に息吹を吹き込む

かつて江戸の人々の食生活を彩った内藤とうがらしは、明治維新後の都市開発の進展とともに、その姿を消し去っていきました。旧高遠藩邸は政府に接収され、その跡地は農業試験場、植物御苑と変遷し、現在の新宿御苑となっています。新宿エリアの急激な発展に伴い、農地は減少し、内藤とうがらしを育む環境は失われ、いつしか「幻の江戸野菜」と呼ばれるようになりました。しかし、21世紀に入り、その状況は一変します。伝統的な食文化への関心の高まりとともに、内藤とうがらしを再び世に出そうという試みが始まったのです。

2009年、「江戸東京野菜」の活動の一環として、内藤とうがらしの復活プロジェクトが本格的にスタートしました。それは単に作物を復活させるだけでなく、失われた地域の歴史と文化を再認識し、現代社会に役立てようとする壮大な挑戦です。スローフード江戸東京の提唱に応じ、新宿区内の様々な場所で、多彩な普及活動が展開されることになりました。地域住民、学校、企業、行政が協力し、栽培から加工、販売、食文化の普及まで、内藤とうがらしを中心とした新たな地域社会と経済圏を作り出すことを目指しています。

地域全体を巻き込む、内藤とうがらし復活プロジェクトの多角的な展開

内藤とうがらしの復活プロジェクトの特徴は、活動の幅広さにあります。基本となるのは、もちろん内藤とうがらしの栽培です。地域の人々が中心となり、毎年1000株もの唐辛子が栽培され、かつての新宿の農地の風景が再現されています。この栽培活動には、区内の中学校も積極的に参加し、苗の植え付け体験を通じて、生徒たちが地域の歴史と食文化を学ぶ機会を得ています。

教育現場での取り組みは、栽培だけに留まりません。唐辛子を使った料理の提案や、絵画・手芸作品の制作など、内藤とうがらしの文化的価値や多様な活用方法を伝える講座が開かれています。特に、四谷中学校コミュニティークラブの協力のもと、収穫と調理に関するワークショップが定期的に開催され、参加者は実際に内藤とうがらしに触れ、その魅力を体感することができます。これらの活動は、次世代に内藤とうがらしの歴史と文化を伝える上で重要な役割を果たしています。

さらに、地域経済との連携も強化されています。早稲田・高田馬場地区の企業や学校など17団体が協力し、200株の内藤とうがらしを栽培しています。収穫された唐辛子は、地域通貨「アトム通貨」に参加している飲食店で、内藤とうがらしを使ったオリジナルのメニューの開発・提供に活用されています。これにより、地域内での経済循環が活性化され、内藤とうがらしのブランド価値を高めています。創作料理研究会や地域食文化発信店認定委員会が定期的に開催され、内藤とうがらしのブランド化と、それを利用した地域特産品の開発が積極的に進められています。

このような包括的な取り組みは、その先進性と地域への貢献が評価され、2012年度には農林水産省の「知的財産戦略・ブランド化総合事業」のうち「食文化活動・創出事業(地域段階)」に選ばれました。この選定は、内藤とうがらしプロジェクトが単なる地域活動にとどまらず、国レベルで認められ、支援を受ける価値があることを示しています。

「内藤とうがらし」地域団体商標登録と未来への展望

内藤とうがらしのブランド価値をさらに向上させ、その保護と発展を確実にするために、2018年9月7日、「内藤とうがらし」は特許庁の地域団体商標として登録されました。地域団体商標は、特定の地域で長年培われたブランドを保護する制度であり、内藤とうがらしの品質、歴史、地域とのつながりが正式に認められた証となります。現在の地域団体商標の権利者は、特定非営利法人おいしい水大使館です。

地域団体商標の登録により、内藤とうがらしの名称が不正に使用されるのを防ぎ、消費者が安心して本物の内藤とうがらしを選べるようになります。また、生産者や関連事業者がブランドとしての価値をさらに高めていく上での大きな力となります。これにより、内藤とうがらしは江戸時代に確立された名産品としての地位を現代でも確立し、持続可能な形でその文化と産業を未来へとつなぐための強固な基盤を得たと言えるでしょう。現在(2018年時点)においても、栽培、商品開発、販売イベント(新宿内藤とうがらしフェア)などが実施されており、内藤とうがらしは地域活性化のシンボルとして、その存在感を高めています。

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まとめ

内藤とうがらしは、江戸時代に内藤氏の屋敷と内藤新宿を中心に広まり、江戸の食文化を豊かにした貴重な江戸野菜です。その歴史は古く、当時の文献にも名産品として記録されており、八房系という独自の品種特性と程よい辛さ、そして葉も食用にできるという特徴を持っていました。都市化の波に一度は消え去りましたが、2009年に「江戸東京野菜」プロジェクトによって復活し、地域住民、教育機関、企業が一体となって多角的な活動を展開しています。特に、中学校での食育活動、地域住民による栽培、飲食店でのメニュー開発といった取り組みは、内藤とうがらしを単なる農産物としてではなく、地域文化と経済を活性化させる象徴へと進化させました。2018年には地域団体商標にも登録され、そのブランド価値と未来への持続可能性が確立されています。内藤とうがらしは、過去と現在、そして未来をつなぐ生きた文化遺産として、これからもその魅力を発信し続けていくでしょう。

内藤とうがらしとはどのような唐辛子ですか?

内藤とうがらしは、江戸時代に現在の新宿区周辺で栽培されていた、由緒ある「江戸東京野菜」の一種です。その品種は「八房系」に属し、果実が空に向かって房のように実る独特な形状をしています。辛味は中程度で、主に漬物や香辛料、七味唐辛子の原料として用いられ、江戸の人々の食生活を豊かに彩ってきました。また、葉も葉唐辛子として食用にされるなど、様々な用途に活用されていました。

内藤とうがらしはなぜ一度姿を消したのですか?

内藤とうがらしが一時的に市場から姿を消したのは、明治維新以降の急速な都市開発、特に新宿エリアにおける開発が大きく影響しています。農地が次々と失われたことで栽培が難しくなり、生産量が激減しました。かつて内藤家の広大な下屋敷があった場所は、明治政府に没収され、農業試験場や植物御苑として利用された後、現在の新宿御苑となっています。

どのようにして現代に復活したのですか?

内藤とうがらしが現代に蘇った背景には、2009年に始まった「江戸東京野菜」の復興プロジェクトがあります。「スローフード江戸東京」の呼びかけに応じて、新宿区の住民、中学校、企業などが協力体制を築き、栽培技術の確立、普及活動の推進、ブランドイメージの構築に尽力しました。これらの取り組みが実を結び、内藤とうがらしは再び食卓を飾る存在となりました。

内藤とうがらしの「八房系」とは何ですか?

「八房系」とは、内藤とうがらしの品種を特徴づける重要な要素であり、唐辛子の実が地面に向かって垂れ下がるのではなく、空に向かって房状に密集して生える性質を指します。この独特な生え方が「八房」という名前の由来となっており、収穫期には畑一面が鮮やかな赤色に染まり、その美しい光景は見る者を魅了します。

内藤とうがらしは地域ブランドとして保護されていますか?

はい、内藤とうがらしは、2018年9月7日に特許庁によって地域団体商標として正式に登録されています。この登録により、その独特の品質、長い歴史、そして地域との深い繋がりが公的に認められました。ブランド価値の維持と、さらなる発展が期待されています。現在は、特定非営利活動法人おいしい水大使館が権利を保有しています。

内藤とうがらしはどのような用途で使われていますか?

内藤とうがらしは、その程よい辛さと豊かな風味を活かして、伝統的に漬物や香辛料、七味唐辛子の原料として使用されてきました。近年では、復活プロジェクトの一環として、地域通貨アトムが使える飲食店で独自のメニューが開発されたり、創作料理研究会を通じて様々な料理に活用されています。葉唐辛子としても楽しまれています。

内藤とうがらしの再興には、どのような組織が協力していますか?

内藤とうがらしの復活プロジェクトには、スローフード江戸東京のほか、新宿区の地域住民、四谷中学校をはじめとする教育機関、早稲田・高田馬場地域の企業や学校など、多様な組織が関わっています。これらの協力体制により、栽培から食育活動、新しい商品の開発、そして地域の活性化まで、幅広い取り組みが進められています。

唐辛子