みかんの正式名称とは?ウンシュウミカンの秘密と多様な品種
冬の食卓を彩る代表的な果物、みかん。誰もが親しむこの愛称の裏に、実は「ウンシュウミカン」という正式名称があるのをご存知でしょうか?鹿児島県長島が原産とされるウンシュウミカンは、甘くてジューシーな果肉と、種がほとんどない食べやすさが魅力です。この記事では、ウンシュウミカンの知られざるルーツや、地域によって異なる多様な品種、そしてその美味しさの秘密に迫ります。さあ、みかんの世界を深く探求してみましょう。

ウンシュウミカンとは:定義と名称の奥深いルーツ

ウンシュウミカン(学名:Citrus unshiu)は、日本を代表する柑橘類であり、その果実そのものを指すこともあります。発祥の地は鹿児島県長島とされ、様々な品種が存在し、地域ごとに独自のブランド名で愛されています。種がほとんどなく、さっぱりとした甘さで食べやすいのが特徴で、一般的に「みかん」と言うと、このウンシュウミカンを指すことが多いです。

「蜜柑」という言葉のルーツと日本における歴史的変遷

「みかん」という言葉は、「蜜のように甘い柑橘」に由来し、「蜜柑」「蜜橘」「樒柑」などと表現されました。記録に残る最初の使用例は、永享26年(1454年)の後崇光院の日記『看聞日記』で、室町殿や仙洞への贈答品として「蜜柑」が登場します。1540年頃のものと推定される伊豆国の三島氏からの献上品に対する領主の礼状には、「みつかん」と「みかん」の両方の表記が見られ、この頃が発音の変化期であったと考えられます。江戸時代には、甘い柑橘の種類が増加し、「橘」を「みかん」と読んだり、甘い柑子を「蜜柑(みつかん)」と呼んだり、「柑類」でみかん類全体を指したりするなど、名称の混乱が見られました。「みかん」がウンシュウミカンを指すようになったのは明治時代以降で、それ以前は、種がないことが「不吉」とされ、普及が遅れました。江戸時代には、紀州ミカン(小ミカン、Citrus kinokuni)が広く栽培され、「みかん」の代表でした。

「温州」という名称の意味と歴史的背景

「温州蜜柑」という名前は、約500年前に中国の蜜柑の名産地である温州から種子が伝わり、日本で栽培されたという説に由来しますが、実際には鹿児島県長島が原産地です。ウンシュウミカンという名前は江戸時代後半に付けられましたが、九州地方では古くから「仲島ミカン」と呼ばれていました。中国浙江省の温州は古くからミカンで有名な地域であり、そのミカンのように素晴らしいという意味を込めて名付けられたと言われています。学名(Citrus unshiu)にも「unshiu」が使われるほど、国際的にも認知されています。中国の韓彦直が1178年に著した『橘録』には、「温州のものが最も優れている」と記されており、当時から温州が上質な柑橘の産地として知られていました。日本でも、『和漢三才図会』(1712年)に「温州橘は蜜柑である。温州は中国の南にあり柑橘の産地である」と記述され、『桂園橘譜』(1848年)も「温州橘」の味を評価しています。このため、「温州」という名前が、甘みに優れた本種に付けられた可能性がありますが、確証はありません。『和漢三才図会』には「紅蜜柑」「夏蜜柑」「温州橘」「無核蜜柑」「唐蜜柑」が蜜柑の品種として挙げられていますが、「温州橘」や「無核蜜柑」が現在のウンシュウミカンであるかは断定できません。また、「雲州蜜柑」という表記もあり『増訂豆州志稿』には「雲州蜜柑ト称スル者、味殊ニ美ナリ」とあり、これは今日のウンシュウミカンを指すと考えられています。1874年(明治7年)から全国規模の生産統計が始まり(『明治7年府県物産表』、当初は多様な名称で記録されていた柑橘類は、名称統一の過程で、小蜜柑などが「普通蜜柑」、李夫人などが「温州蜜柑」と分類されました。明治中期以降、温州蜜柑は全国に広まり、他の柑橘類を圧倒しました。1904年刊行の『日本の蜜柑』では、「紀州蜜柑」「温州蜜柑」「柑子蜜柑」が蜜柑の種類として挙げられています。(

国際的な名称:Satsuma MandarinとTV Orangeの由来

ウンシュウミカンは英語圏では「satsuma mandarin」と呼ばれ、欧米では「Satsuma」や「Mikan」という名称が一般的です。"satsuma"の由来は、1876年(明治9年)に日本の薩摩地方からアメリカ合衆国フロリダ州に導入されたことです。その後、愛知県尾張地方からもアメリカへ渡り、"Owari satsuma"と呼ばれることもありました。植物学的には、ウンシュウミカンはタンジェリンやマンダリンと近縁であり、それらから派生した栽培種とされています(学名は共にCitrus reticulata)。また、手軽に皮がむけ、テレビを観ながらでも食べられることから、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどでは「TV orange(テレビオレンジ)」とも呼ばれています。

温州ミカンの植物学的特徴:発祥、生育環境、そして生態

温州ミカンの原産地は、日本の南西部に位置する沿岸地域であると考えられています。数ある柑橘類の中でも、特に寒さに対する抵抗力が強い品種として知られており、その植物学的な特性は、日本の気候風土によく適応しています。

温州ミカンの発祥に関する学説と、それを裏付ける根拠

温州ミカンの発祥については、日本の南西沿岸地域が原産地であると推測されています。特に植物学者の田中長三郎博士は、文献調査と現地調査の結果から、鹿児島県の長島(現在の長島町)が温州ミカンの原生地であるという説を提唱しました。田中博士がこの説の根拠として挙げたのは、長島が古くから中国との貿易港として発展し、新しい品種の導入が容易であったこと、多種多様なミカンの変種が集中して存在していたこと、ミカンの遺伝的な多様性が高い地域であったこと、そして長島が昔からミカンの一大産地として知られていたことなどです。田中博士は、温州ミカンが中国から天台宗の僧侶によって長島に持ち込まれた「早キツ」や「マンキツ」から自然に生まれた実生(親の品種が特定できないまま自然に発生し、果樹として優れた性質を持つもの)によって誕生したと推論しました。この長島原産説を裏付けるものとして、江戸時代末期に長崎を訪れたドイツ人医師シーボルトが温州みかんの押し葉(標本)を作成し、そこに「Nagashima」と記録していたという史実があります。この田中説は、1936年(昭和11年)に鹿児島県果樹試験場の岡田康男氏が、長島町の山崎宅地内で樹齢300年と推定される温州ミカンの古木(幹周180センチメートル、樹高7メートル、樹幅27メートル)を発見したことによって、さらに強固なものとなりました。残念ながらこの古木は第二次世界大戦中に枯れてしまいましたが、原木から穂木を採取して接ぎ木されたものが現在も長島町に現存しており、最初の原木は400年から500年前に発生したと推察されています。その後のDNA解析研究によって、温州ミカンの母系の祖先は小ミカン、父系の祖先はクネンボであることが判明しました。日本では主に静岡県以南の温暖な地域で栽培されており、特に和歌山県、愛媛県、静岡県、熊本県などが主要な産地として知られています。温暖な気候を好む一方で、他の柑橘類と比較して寒さに強いという特徴を持っています。

温州ミカンの形状と生態

温州ミカンは常緑性の小高木で、成長すると高さは3〜4メートル程度になります。日本で一般的に使用されるカラタチなどの台木に接ぎ木された場合、樹高は2〜4メートル程度に成長することが一般的です。「台木」は、果樹栽培において非常に重要な役割を果たします。開花時期は5月頃で、直径約3センチメートルほどの白い5枚の花びらを持つ合弁花を咲かせます。秋になると果実が実り、その成熟時期は品種によって異なり、9月から12月にかけて収穫されます。果実は直径5〜7.5センチメートル程度の扁平な球形で、熟すにつれて緑色から鮮やかな橙黄色へと変化します。温州ミカンは一般的に種子が少ないことが特徴で、単為結果性を持つため、受粉しなくても結実します。植物学的には単胚性ですが、受粉しても雌性の性質が強いため種子ができにくく、通常は種なし(無核)となります。ただし、晩生品種の中には雌性不稔性が弱いものもあり、近くに甘夏などの花粉源がある場合には種子ができることがあります。もし種子ができた場合、その種子は多胚性であり、播種しても交雑した胚が成長することは稀で、ほとんどの場合は珠心細胞に由来する珠心胚が成長します。そのため、種子繁殖によっても母親と同一の形質を持つクローン苗が得られることになります。しかしながら、種子繁殖は主に品種改良の際に用いられ、未結実期間の短縮、樹勢の制御、果実の品質向上などを目的として、日本では通常、接ぎ木によって増殖が行われます。台木としては多くの場合、カラタチが用いられますが、ユズなどの他の柑橘類を用いることもあります。また、病害虫としては、カイガラムシ、ハダニ、アブラムシなどが知られており、適切な防除対策が不可欠です。

日本のミカン史:伝来から現代までの温州ミカンの足跡

温州ミカンは日本の食文化に深く根付いていますが、その歴史は遠くアジア大陸に遡り、様々な変遷を経て現在の地位を確立しました。

柑橘類が日本へ伝来し、初期にどのように利用されたか

柑橘類の起源は、およそ3000万年前のインド北東部付近と考えられています。長い時間をかけて多様な種類へと変化し、中東、ヨーロッパ、中国などアジア各地へ広がっていきました。中国では古くから柑橘が栽培されており、紀元前3世紀に成立したとされる書物『晏子春秋』には、「橘化為枳」という故事が記されています。これは、環境によって性質が変わるという意味で、当時の柑橘栽培の様子をうかがい知ることができます。日本には、シークヮーサーやオキナワミカンが昔から自生していましたが、3世紀の『魏志倭人伝』には、日本には生姜、橘、山椒、茗荷があるものの、食用として利用されていないことが記されています。日本の文献で柑橘が初めて登場するのは、8世紀に編纂された『日本書紀』や『古事記』です。これらの書物には、田道間守が常世の国へ遣わされ、非時香菓の実と枝を持ち帰ったという記述があります。この非時香菓は、現在の橘であるとされていますが、タチバナなのか、コウジや小ミカン(キシュウミカン)なのかは определенаではありません。その後、中国からコウジやウスカワミカンなど様々な柑橘が伝来しましたが、当時は食用としてよりも薬用として用いられることが多かったようです。

「ミカン」の普及とウンシュウミカンの登場

日本で「ミカン」として最初に広く普及したのは、紀州ミカン(小ミカン)でした。中国との貿易港として栄えていた肥後国八代(現在の熊本県)に、中国から小ミカンが伝わり、「高田みかん」として栽培され、朝廷にも献上されていました。この小ミカンが15世紀から16世紀ごろに紀州有田(現在の和歌山県)に移植され、一大産業へと発展したことから「紀州」の名が付けられました。江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門が、江戸で高騰していたミカンを紀州から運んで巨万の富を得たという伝説がありますが、これは事実ではないとされています。また、江戸時代初期に徳川家康が駿府に隠居した際、紀州から小ミカンが献上され、家康が植えたこの木が静岡のミカンの起源であるという話もあります。ただし、静岡のミカンの起源には、旧幕臣の農夫が外国から移植したという経緯もあり、家康起源説とは異なるルーツも存在します。一方、ウンシュウミカンは当初「長島蜜柑」や「唐蜜柑」などと呼ばれていましたが、種がないことから「子孫が絶える」と連想され、縁起が悪いとされてあまり栽培されませんでした。しかし、江戸時代後期になると、その美味しさと種なしの便利さが評価され、栽培されるようになります。明治27年(1894年)ごろからは生産量を増やし、徐々に小ミカンに取って代わる存在となっていきました。「温州蜜柑」という名前が一般的に定着したのもこの頃です。

ウンシュウミカンの栽培拡大期と市場の変化

明治時代に入ると、以前からミカン栽培に力を入れていた紀州有田をはじめ、静岡県や愛媛県などでもウンシュウミカンの栽培が本格化しました。産地の拡大に伴い競争が激化し、栽培技術の改善や経営の合理化が求められるようになります。また、1876年(明治9年)に苗木が北米に送られたのをきっかけに、ヨーロッパなど海外への輸出も始まり、ウンシュウミカンは国際市場にも進出しました。昭和初期にはネーブルオレンジやアメリカから輸入されたグレープフルーツなども広く栽培され、日本の柑橘市場は最初の成長期を迎えます。その後、第二次世界大戦が始まると、食糧増産のためにミカンの栽培面積は減少し、資材不足や労働力不足により多くの果樹園が荒れてしまいました。戦後の復興期も、食糧難の解消が優先されたため栽培面積の減少が続きましたが、数年後には増加に転じ、1952年には戦前の水準まで回復しました。この回復に乗じて、ミカン栽培は飛躍的に成長します。戦後の復興ブームによる消費の増加によってウンシュウミカンは高値で取引されるようになり、「黄色いダイヤ」とも呼ばれました。1960年以降は行政の支援もあり、全国的に過剰なまでに増産が進み、1968年の豊作時には計画生産量を上回る事態となりました。1972年には豊作とオレンジの輸入自由化が重なり、ミカン価格は暴落しました。生産量のピークは1975年で、終戦直後の約8倍にあたる366.5万トンに達しました。

現代のウンシュウミカン産業の動向と新たな挑戦

生産過剰に加え、1970年代からアメリカからの輸入枠拡大の要請が強まったことで、日本政府はミカン栽培縮小へと方針を転換しました。政府の政策は、ウンシュウミカン以外の品種への転換を促すことにも繋がり、ウンシュウミカンの栽培面積が減り続ける一方で、他の柑橘類の栽培が拡大しました。1980年代からの日米貿易摩擦の中で、1991年にはオレンジの輸入自由化が始まりました。円高も影響しオレンジの輸入が増える一方で、北米向けに行われていたウンシュウミカンの輸出は途絶え、日本のミカン栽培は大きな危機を迎えました。これに対し、各産地では生産調整、品質向上、高価格な早生品種への切り替えなどで対応し、一時的にウンシュウミカンの価格は上昇しました。しかし、農家の後継者不足や消費者の好みの変化など、日本のミカン栽培は今も様々な問題を抱えています。2006年度は、1963年以来43年ぶりに収穫量が100万トンを下回る事態となりました。原因としては、開花後の日照不足や夏季の少雨などが挙げられます。農林水産省の2021年予想生産量は76万トンで、2020年実績より6000トン少ないとされています。農家の高齢化などにより供給量が需要を下回るようになっており、2020年産からは過剰栽培を抑制するために公表していた「適正生産量」を示す緊急需給調整事業を廃止し、増産を促す意味合いを持つ「予想生産量」へと公表形式を切り替えました。近年では、国内市場の課題に対応するため、海外への輸出拡大が試みられており、従来の主な輸出先である北米に加え、EUやシンガポール、タイなどアジア諸国への輸出も始まり、国際競争力強化を目指しています。

海外における温州みかんの評価と歴史的背景

海外、特に欧米地域では、温州みかんは「Satsuma」または「Mikan」という名で広く知られています。これらの名称が普及した背景には、いくつかの説があります。一つは、1862年のロンドン万博において、薩摩藩が英国へみかんを贈呈したという説です。また、別の説としては、駐日米国公使であったヴァン・ヴァルケンバーグ将軍の妻が、1878年に温州みかんの原産地とされる薩摩からアメリカへ苗木を送ったことが影響したとも言われています。特に後者の説は、アメリカでの「Satsuma mandarin」の普及に大きな役割を果たしたと考えられています。20世紀初頭の1908年から1911年にかけて、日本から約100万本もの温州みかんの苗木がアメリカに輸出され、フロリダ北部の海岸地域からテキサスにかけてのメキシコ湾岸南部諸州で栽培が開始され、大規模なみかん産業が発展しました。しかし、その後の度重なる寒波により、栽培面積は縮小を余儀なくされました。現在でも温州みかんは、メキシコ湾に面した州の南部地域において、重要な農作物として栽培されています。

温州みかんの代表的な品種と旬の時期

温州みかんは、収穫時期の違いによって、「極早生温州」、「早生温州」、「中生温州」、「普通温州(晩生温州)」の4つの主要なタイプに分類されます。それぞれの品種は、独自の特性と風味を持っており、9月から12月にかけて、様々な味わいのみかんを楽しむことができます。

極早生温州:秋の到来を告げる先駆け

極早生温州は、温州みかんの中で最も早い時期に収穫される品種であり、9月~10月頃に市場に出回ります。この品種の研究が進展した背景には、1970年代の第一次オイルショックがあります。当時の石油消費量削減を目的に、早期に収穫できる品種の開発が積極的に推進されました。近年では、極早生温州の生産量が需要を上回る傾向も見られますが、その爽やかな味わいは、秋の訪れを感じさせるものとして人気があります。

早生温州:市場価値の高い人気品種

早生温州は、10月から12月にかけて収穫される品種です。極早生温州と比較して、甘みと酸味のバランスが優れており、より豊かな風味が特徴です。市場での取引価格も比較的高いため、多くの産地では、収益性向上のために中生や普通温州といった品種から、早生温州への転換を進める動きがみられます。消費者にとっても、本格的なみかんシーズンの到来を告げる、人気の高い品種です。

中生温州:旬を迎える本格派

11月から12月頃に収穫期を迎える中生温州は、早生温州と比較して糖度が一段と増し、より豊かな味わいが堪能できます。また、貯蔵性にも優れており、冬本番の時期に食卓を彩る果物として広く親しまれています。

普通温州(晩生温州):冬の食卓を豊かにする品種

11月下旬から12月にかけて収穫される普通温州は、ウンシュウミカンの代表的な品種です。特に、「青島」や「十万」といった晩生温州と呼ばれる品種は、貯蔵することで風味がよりまろやかになり、濃厚な甘みと奥深いコクが生まれます。年末年始にゆっくりと味わうのに最適な、冬を代表する味覚として人気を集めています。

ウンシュウミカンの消費動向と主要産地

ウンシュウミカンは、収穫時期によって「極早生温州」「早生温州」「中生温州」「普通温州(晩生温州)」の4つのタイプに分類され、それぞれ異なる特徴と風味を持っています。そのため、9月から12月にかけて、様々な個性のミカンを味わうことができます。

国内消費の推移と現状

かつて日本で最も消費されていた果物であったウンシュウミカンですが、近年では一世帯あたりの消費量でリンゴにその座を譲り、2013年の家計調査ではバナナ、リンゴに次ぐ3位となっています。しかし、家庭の庭で栽培されていたり、産地周辺の農家から分け与えられるなど、統計に表れない消費も少なくないと推測されます。

都道府県別生産量と栽培条件

温州みかんの収穫量は、和歌山県、愛媛県、静岡県が年間10万トンを超え、主要な生産地となっています。続いて、熊本県と長崎県が5万トン以上、佐賀県、愛知県、広島県、福岡県、神奈川県が2万トン以上、三重県、大分県、大阪府、香川県、徳島県、鹿児島県、宮崎県が1万トン以上、山口県と高知県が5000トン以上を収穫しています(2016年度のデータに基づきます)。これらの地域で、国内生産量の大部分である99%以上を占めています。その他、千葉県、岐阜県、兵庫県、岡山県でも1000トン以上の生産があり、茨城県、埼玉県、東京都、新潟県、福井県、京都府、奈良県、島根県、沖縄県などでも栽培されています。温州みかんの栽培に適した環境は、温暖な気候で日当たりが良く、風通しと水はけの良い傾斜地です。そのため、主な産地は海や川に面した沿岸地域に集中しています。

ハウスみかんの生産状況

近年、保存技術の発展と施設園芸の普及により、ビニールハウスで栽培されるハウスみかんが多く市場に出回るようになり、ほぼ一年を通して温州みかんを楽しむことができるようになりました。ハウスみかんの主な産地としては、佐賀県、愛知県、大分県などが挙げられます。

国際的な主要産地

日本以外にも、温州みかんは世界各地で栽培されています。世界最大の産地は中国であり、浙江省、湖南省、江西省などが知られています。その他、アメリカ合衆国(特にメキシコ湾岸の南部諸州)、韓国、トルコ、スペイン、ブラジルなどでも大規模な栽培が行われています。

北限の産地と栽培の可能性

年間収穫量が1000トンを超える経済的な産地としては、岐阜県の山麓や千葉県の周辺地域が挙げられますが、他にも小規模な産地が各地に存在し、それぞれが「北限の産地」と呼ばれることがあります。栽培技術の向上、品種改良、そして気候変動などの影響により、温州みかんの栽培限界地点は年々北上する傾向が見られます。

温州みかんの栄養価と健康への恩恵

温州みかんは、様々な栄養成分が豊富に含まれており、とりわけβ-クリプトキサンチンがもたらす数々の健康効果に、科学的な視線が注がれています。

β-クリプトキサンチンの卓越した健康効果

温州みかんの果肉には、β-クリプトキサンチンというカロテノイドの一種が、他の柑橘類と比較して際立って多く含まれています。この成分は、発がんを抑制する効果が高いことが、果樹試験場(現在の果樹研究所)や京都大学などの共同研究チームによって明らかにされ、近年、特に注目を集めています。

柑皮症の原因と、それ以外の重要な栄養素

温州みかんの鮮やかなオレンジ色の色素成分であるβ-カロテンをはじめとするカロテノイドは、皮下脂肪に蓄積されやすい性質を持つため、大量に摂取すると一時的に皮膚が黄色くなることがあります。これは柑皮症と呼ばれる現象で、一時的なものであり、健康上の心配はありません。その他、ビタミンCやクエン酸なども豊富です。また、果実についている白い筋にはヘスペリジン(ビタミンP)が含まれており、動脈硬化や高コレステロール血症の予防に役立つと考えられています。

温州みかんの多彩な活用法

温州みかんは、そのまま食べるだけでなく、様々な料理や加工品に利用されています。さらに、薬用、工業用、そして文化的な側面においても、幅広い用途を持っています。

食用としての魅力とその活用

温州みかんは、その甘さと酸っぱさの絶妙な調和、そして手軽に食べられることから、日本の食文化に深く根ざした果物として愛されています。

味の決め手と早摘みみかんの利用

温州みかんの美味しさは、含有されている糖分と酸味の割合、そして薄い内皮(じょうのう膜)などが影響します。高い糖度も重要ですが、程よい酸味も味を左右する要素です。夏に収穫される若いみかんは「早摘みみかん」と呼ばれ、果汁は少ないものの、ポリフェノールの一種であるヘスペリジンやシネフリンなどが豊富に含まれています。

多彩な食べ方と剥き方

温州みかんはそのまま食べることが一般的で、内皮(瓤嚢膜)を一緒に食べる人もいれば、取り除いて食べる人もいて、食べ方には様々なスタイルがあります。剥き方も多様で、お尻の部分から剥く方法、ヘタの部分から剥く方法、あるいはナイフなどでカットして食べる方法などがあります。

さまざまな調理法と加工品

そのまま食べる以外にも、地域によっては焼きみかんとして加熱して食べる習慣があります。また、冷凍してシャーベットにしたり、皮を湯船に浮かべて楽しんだりするなど、色々な楽しみ方が存在します。さらに、温州みかんの全生産量の約2割は、ジュースや缶詰、ゼリーなどの加工品として活用されています。

ダイエット効果に関する科学的視点と注意点

温州みかんに多く含まれる食物繊維、特にペクチンは、腸内環境を整えるだけでなく、膵リパーゼという脂肪分解酵素の働きを抑制する可能性が指摘されています。そのため、食事の前に摂取することで、食事に含まれる脂肪分の吸収を抑える効果が期待できます。また、シネフリンは交感神経を刺激し、脂肪の分解や熱の産生を促進する作用があるため、体脂肪を減少させる効果が期待されています。シネフリンは、特に未熟な青い果実に多く含まれています。ただし、これらの成分だけで顕著なダイエット効果が得られるわけではありません。シネフリンを抽出し、ダイエット効果を謳うサプリメントも販売されていますが、シネフリンとカフェインやエフェドリンなどの刺激性物質を同時に摂取すると、健康を害する危険性も指摘されており、注意が必要です。過去には、あるテレビ番組でミカンダイエットが大きく取り上げられましたが、その際に示された脂肪抑制効果を示すグラフが捏造されたものであったことが判明しています。

薬用としての活用:陳皮の効能と利用法

温州みかんの果皮には、リモネンを主成分とする精油成分が豊富に含まれており、その割合は90%以上にもなります。その他、ヘスペリジン(ビタミンP)やノビレチンなどの配糖体も含まれています。ヘスペリジンは毛細血管を強化し、血管の透過性を改善する作用があるほか、血圧を下げる効果、抗アレルギー作用、抗酸化作用などが報告されており、動脈硬化、腎炎、高血圧などの予防に役立つビタミンPとして知られています。漢方医学では、熟した温州みかんの果皮を乾燥させたものを「陳皮(ちんぴ)」と呼び、薬として利用します。陳皮は、一般的に「1年以上経過したもの」を使用することが推奨されており、「古い皮」を用いる方が良いとされています。陳皮は、健胃、去痰、理気、鎮吐などの目的で漢方薬に配合されるほか、七味唐辛子の材料としても用いられ、医薬品の原料としても広く利用されています。ただし、中国の伝統医学である中医学では、みかんは体を冷やす食品とされており、風邪を引いた際には摂取を避けるべきとされています。民間療法では、風邪の初期症状で微熱がある場合に、陳皮1日量10〜15グラムを水600ccで半量になるまで弱火で煮詰めた煮出し液を、蜂蜜や生姜の絞り汁などを加えて甘くしたり、生姜のおろしを混ぜて、食間に3回に分けて飲む方法が知られています。また、食べ過ぎ、食欲不振、消化不良、吐き気には、1日量2〜3グラムを水400ccで煎じて服用すると良いとされています。手軽な胃腸薬として用いられますが、胃腸に炎症がある場合は服用を控えるべきです。さらに、肩こり、冷え性、腰痛、神経痛の緩和には、陳皮を布袋などに入れてお風呂に浮かべ、薬用入浴剤として利用するのも効果的です。

工業製品への応用:溶剤や洗剤としての利用

温州みかんの果皮表面にある油胞という小さな粒には、D-リモネンという成分が豊富に含まれており、樹脂や油を溶解する溶剤として近年注目を集めています。D-リモネンをはじめとする精油成分は、洗剤や香料など、幅広い用途に利用されています。

みかんを使った遊びと文化的側面

温州みかんの果汁は、火で炙ると文字が浮かび上がる「あぶり出し」のインクとして利用できます。特に冬場は手軽に入手できるため、子供たちの遊びとして親しまれています。また、ロウソクなどの炎にみかんの皮を近づけて折り曲げると、飛び散る果皮の油分によって炎の色が変化し、同時に柑橘系の芳香を楽しむ遊びもあります。みかんの皮は剥きやすく、容易に形を変えられる特性を活かし、意図的に様々な形に切り込みを入れて、動物などを表現する「みかんアート」も楽しまれています。特に、8本の足を持つ「タコ」を模したみかんアートは、その代表的な例として知られています。

まとめ

ウンシュウミカンは、日本の食卓に欠かせない柑橘類であり、そのルーツは鹿児島県長島にあります。名前は中国の温州に由来するとされていますが、日本で独自に発展した固有種です。江戸時代には種がないことが普及の妨げになる時期もありましたが、明治時代以降、栽培技術の向上とともに広く栽培されるようになり、今では日本を代表する果物としての地位を確立しています。早生、中生、晩生と多様な品種があり、長い期間、その豊かな味わいを楽しむことができます。また、β-クリプトキサンチンをはじめとする豊富な栄養素を含み、健康への効果も期待されています。生で食べるのはもちろん、ジュースやお菓子などの加工品、さらには医薬品や工業製品の原料としても利用され、私たちの生活を支えています。生産者の高齢化や栽培面積の減少といった課題を抱えながらも、高品質なミカンの生産や海外への輸出など、新たな可能性を追求し続けています。

ウンシュウミカンの「温州」は中国の温州が由来ではないのですか?

ウンシュウミカンの名前の由来となった「温州」は、中国にある有名なミカンの産地である温州から来ています。約500年前、天台宗の僧侶が温州から種を持ち帰ったという言い伝えがあり、「温州のミカンのように素晴らしい」という意味を込めて名付けられたとされています。しかし、科学的な研究や歴史的な背景から、ウンシュウミカンの原産地は日本の鹿児島県長島であると考えられています。したがって、温州から直接伝わったわけではありません。温州という名前は、中国の古い文献である『橘録』に、良質な柑橘の産地として温州が記載されていたことに由来すると考えられています。

「みかん」と「ウンシュウミカン」はどう違うのですか?

現代の日本において、「みかん」という言葉は、一般的に「ウンシュウミカン」を指すことが多いです。かつては、「みかん」という言葉は、小ミカンなど甘い柑橘類全般を指していましたが、明治時代以降にウンシュウミカンの栽培が広まったことで、ウンシュウミカンが「みかん」の代表的な存在となりました。

ウンシュウミカンはなぜ種がないのですか?

ウンシュウミカンは、受粉しなくても実をつける「単為結果性」という性質を持っています。また、植物学的には「単胚性」であり、受粉しても種ができにくい性質があります。これらの特性により、ウンシュウミカンは通常、種なし(無核)の果実となります。

温州みかんの発祥はどこですか?

温州みかんは、日本列島の南西部、とりわけ鹿児島県の長島が発祥の地であると考えられています。この見解は、植物研究者の田中長三郎氏による詳細な文献研究、現地での調査、樹齢が数百年を超える古木の発見、そして遺伝子レベルでの分析によって支持されています。さらに、幕末にドイツ人医師シーボルトが作った温州みかんの標本に「Nagashima」という記述が残されていることも、長島が原産地であるという説を強く裏付けています。

温州みかんは英語でどのように表現されますか?

海外では、温州みかんは主に「satsuma mandarin」という名前で知られています。他にも、「Satsuma」や「Mikan」といった呼び方も広く使われています。これは、1876年に日本の薩摩地方からアメリカのフロリダ州へ持ち込まれたことがきっかけとなっています。また、手軽に食べられることから、「TV orange」という愛称で呼ばれることもあります。
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