日本で最も愛されるイチジク、桝井ドーフィン。スーパーで見かけるイチジクの約8割を占めると言われ、その名は誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。しずく型の愛らしいフォルム、熟すと赤紫色に染まる果皮、そしてとろけるような甘さが魅力です。この記事では、桝井ドーフィンの歴史や特徴、栽培方法から美味しく味わうためのヒントまで、その魅力を余すところなくご紹介します。さあ、桝井ドーフィンの奥深い世界へ足を踏み入れてみましょう。
桝井ドーフィンの基本情報と日本市場における重要性
桝井ドーフィンは、San Pieroとも呼ばれる夏秋兼用のイチジク品種であり、日本国内で広く栽培されています。市場に出回る生のイチジクの約8割が桝井ドーフィンと言われるほど、非常に高いシェアを誇り、日本の消費者に最も親しまれている品種です。果実は特徴的なしずく型をしており、夏果は100~220g、秋果は50~115gと、収穫時期によって大きさが異なります。果皮は黄緑色をベースとしており、熟すと濃い赤紫色に変化しやすいのが特徴です。夏果は帯緑紫色、秋果は紫褐色になる傾向があります。果肉はピンク色から赤色で、やや粗い食感が特徴ですが、果皮に近い白い部分の厚さは栽培環境によって異なります。果実内部にある花(雄花と雌花)は、熟すと淡い赤色を帯びます。桝井ドーフィンの耐寒性は8Bゾーン(-9.3度から-6.7度)に分類され、東北地方の太平洋沿岸、関東地方から四国地方、九州地方の山間部以南の広い地域で露地栽培が可能です。原産国はアメリカであり、夏果は6月下旬から7月上旬、秋果は8月中旬から10月にかけて収穫時期を迎えます。イチジクは収穫後に追熟しないため、木の上で完熟させることが美味しさを最大限に引き出すための重要なポイントです。品種の正式名称は「ドーフィン」ですが、明治時代に桝井光次郎氏がアメリカから日本に持ち帰り、自身の名前を冠して「桝井ドーフィン」と命名したことが由来です。「ドーフィン」という名前はフランス語で「皇太子妃」を意味し、西洋から来た果物らしい優雅な響きを持っています。
桝井ドーフィンの来歴:桝井光次郎氏の挑戦と品種確立の軌跡
「桝井ドーフィン」という名前が日本で広く知られ、国内のイチジク市場を席巻するようになった背景には、広島県佐伯郡宮内村(現在の廿日市市)出身の種苗業者、桝井光次郎氏の多大な努力と功績が深く関わっています。幼い頃から海外で活躍することを夢見ていた光次郎氏は、小学校卒業後、実家の農業を手伝っていましたが、1902年(明治35年)に、得意だったバラの苗木の栽培技術を学ぶため、単身でアメリカへ渡りました。カリフォルニアの農場で6年間、果樹や花木の繁殖・育成技術を習得し、1908年(明治41年)に帰国して桝井農場を設立しました。しかし、研修の目的であったバラの栽培事業は、日本の気候や当時の社会状況に合わず、うまくいきませんでした。もしこの失敗がなければ、今日の「桝井ドーフィン物語」は生まれなかったかもしれません。帰国の際、フランス人の友人から勧められて持ち帰った3本のイチジクの穂から苗を生産・販売し始めた光次郎氏は、当初、北米産のイチジク・ドーフィン種を育てて「ドーフィン」として販売していましたが、この品種は夏にしか実がならない「ビオレ・ドーフィン」だったと考えられています。その後、光次郎氏は本来の「ドーフィン」を再びアメリカから取り寄せ、導入したところ、夏と秋のどちらの季節にも実がなり、さらに夏果の形も以前のものとは異なることがわかりました。この違いを明確にし、日本の栽培に適した優れた品種であることを示すため、光次郎氏は自身の名前を冠して「桝井ドーフィン」という名前で販売を開始しました。
当時、広島にはイチジクの大規模な産地がなかったため、光次郎氏は自ら他県へ販売に出向きました。自転車と汽車を使い、全国の農会(現在の農業協同組合)や各地の農家を訪問して営業するという、当時としては非常に革新的な販売戦略を展開しました。この頃、全国でイチジクの苗木を販売していたのは桝井農場だけだったと言われています。光次郎氏が販売したイチジクは、それまで日本にあった在来種の「蓬莱柿(ほうらいし)」や外来種の「ブラウンターキー」に比べて、果実が2倍の大きさであり、収量も蓬莱柿の2倍、ブラウンターキーの3倍と非常に優れていました。さらに、果皮がしっかりとしていて輸送にも適していたことから、栽培者の間で大きな注目を集めました。「新しいもの好き」で「機転の利く」光次郎氏は、バラの栽培からイチジクの苗木生産・販売へと転換し、全力を注ぎました。アメリカで学んだ苗木生産技術を活かし、日々挿し木を行いながら、この優れたイチジクの普及に尽力しました。また、光次郎氏は「桝井ドーフィン」の普及だけでなく、大正時代にはカリフォルニアからブラウンターキー、ロイヤルビンヤード、サンペドロホワイト、カドタ、ビオレードーフィン、セレスト、ホワイトゼノア、セントジョイン、オズボーンプロフィック、ホワイトマルセイユ、ホワイトアドリアチック、カルフォルニアブラック、ブルンスウィック、ブラックイスキアといった様々なイチジク品種を日本に導入し、日本のイチジク栽培の発展に大きく貢献しました。特に、温暖で降水量が少なく果物栽培に適していた兵庫県川西市の南部地区では、猪名川流域の水はけの良い土壌を活かして、桃やミカンなどの果樹栽培が盛んでしたが、桝井氏は川西地区の前川友吉氏と協力し、この優れた品種の育成に成功しました。この地で栽培と育成が進むにつれて品種は土地に定着し、「桝井ドーフィン」と呼ばれるイチジクは全国へと広がっていきました。
桝井ドーフィンの特徴と食味:完熟の甘さと夏秋果の違い
桝井ドーフィンの果実は、しずくのような形をしており、夏果は100~200gと比較的大きく、秋果は50~110gと少し小さい傾向があります。果皮の色は黄緑色がベースですが、熟すにつれて濃い赤紫色に変化しやすいのが特徴で、時期によって帯緑紫色から紫褐色へと色合いが変わります。果肉は美しいピンク色から赤色で、やや粗い食感ですが、果皮に近い白い部分の厚さは栽培環境によって異なります。果実内部にある花(雄花と雌花)は、熟すと淡い赤色になります。これらの外観上の特徴に加えて、桝井ドーフィンの魅力を語る上で最も重要なのは、その味わいです。イチジクは収穫後に追熟しない性質を持つため、どれだけ木の上で完熟した状態で収穫されたかによって、味が大きく左右されます。一般的に、スーパーマーケットなどで販売されているイチジクは、輸送中の品質保持や日持ちを考慮して、完熟する少し前に収穫されることが多いため、甘みが控えめな傾向があります。一方、樹上で完全に熟してから収穫された桝井ドーフィンは、果実が非常に柔らかく輸送には不向きですが、ねっとりとした舌触りで、口いっぱいに広がる濃厚な甘みが特徴です。しかし、その甘さは決してしつこくなく、後味はさっぱりとしているため、飽きることがありません。
また、桝井ドーフィンは夏秋兼用品種であるため、夏果と秋果の2回、収穫時期がありますが、それぞれ実の大きさや味わいに違いが出やすいと言われています。一般的には、夏果の方が秋果よりも大きく、味も優れているとされています。この違いは、夏果が前年に伸びた枝に秋に花芽をつけ、冬を越してから翌年の初夏に実が成熟するのに対し、秋果はその年の春に伸びた枝に花芽をつけ、夏から秋にかけて実が成熟するためです。夏果は木になっている期間が長く、その間にしっかりと栄養を蓄えられるため、より風味豊かで糖度が高い果実になる傾向があります。このような生育過程の違いが、夏果と秋果の味わいの差に影響していると考えられています。
桝井ドーフィンの主な産地とブランド化への取り組み

桝井ドーフィンは日本のイチジク市場で高いシェアを占めているため、主な産地は国内のイチジク生産をリードする地域とほぼ一致しています。現在、イチジクの生産量では愛知県が全国1位、和歌山県が2位であり、その他には兵庫県が国内収穫量で3位、大阪府なども主要な産地として挙げられます。特に、桝井ドーフィン発祥の地である兵庫県川西市では、その歴史と品質を活かしたブランド化に積極的に取り組んでいます。川西市は大阪や神戸などの大都市に近い立地条件と温暖な気候に恵まれた風土を生かし、長年にわたり都市近郊農業を展開してきました。市南部の久代、加茂、栄根地区を中心に、約100戸の農家が約12ヘクタールの畑で桝井ドーフィンを栽培しており、京阪神地域を中心に年間約400トンものイチジクが出荷されています。これらの川西産イチジクは、「川西産いちじく 朝採りの恵み」や「朝採り 完熟いちじく 桝井ドーフィン」といったブランド名で販売され、樹上で完熟させたものを早朝に収穫して出荷することで、最高の鮮度と食味を消費者に提供しています。
また、川西市以外にも、全国各地で桝井ドーフィンのブランド化が進められています。例えば、富山県富山市大沢野地区では、その地域で生産されたイチジクが「大沢野いちじく」として親しまれています。さらに、岐阜県海津市では、JAにしみの(西美濃農業協同組合)が管内の農産物を「にしみのブランド」として展開しており、その一環として「にしみのいちじく」が生産・出荷されています。これらの取り組みは、桝井ドーフィンという優れた品種の特性を最大限に引き出し、地域の気候や土壌条件に合わせて栽培することで、それぞれの産地ならではの高品質なイチジクを消費者に届けることを目指しています。このような地域に根ざしたブランド化は、消費者が産地や品質にこだわってイチジクを選ぶ際の重要な指標となっています。
桝井ドーフィンの育て方:庭先での栽培のコツ
自宅の庭で桝井ドーフィンを豊かに実らせるには、植え付けのタイミング、樹の形を整える剪定、土壌の状態管理、肥料の種類と与え方、そして水やりの頻度が大切です。【植え付けと剪定】では、イチジクの木の形を作る方法として、「開心自然形」と「一文字仕立て」が一般的です。「開心自然形」とは、若い木のうちに丈夫な枝を3本選び、それぞれが外側へ広がるように育てる方法です。この形は木の背丈を抑え、手入れをしやすくする利点があります。また、新しい枝がたくさん出るので、剪定によって木の勢いを調整しやすく、実をつける枝も多くなるため、手入れ次第でたくさんの収穫が期待できます。一方、「一文字仕立て」は、2本の枝を左右にまっすぐ伸ばす方法です。この仕立て方には、キング、桝井ドーフィン、ネグローネ、姫蓬莱、バナーネ、ブルンスウィックといった品種が適しており、特にネグローネでは一文字仕立てにすることで収穫量が大幅に増えるという報告もあります。どの品種を、どのような環境で育てるかによって最適な仕立て方が変わるため、それを考慮することが、安定した収穫と品質向上につながります。
次に【土壌と肥料】ですが、植物由来や動物由来の栄養分を使った「有機肥料」(油粕、魚粉、鶏糞など)と、鉱物などの無機物を化学的に加工した「化成肥料」を上手に使い分けることが重要です。有機肥料は効果が出るまでに時間がかかりますが、効果が長く続き、土の構造を改善して水持ちや空気の通りを良くする効果も期待できます。一方、化成肥料はすぐに効果が現れますが、持続性は短く、微生物の影響を受けずに植物に直接吸収されやすいというメリットがあります。どちらが良いというわけではなく、それぞれ特徴が異なるため、育てる目的や時期に合わせて使い分けることが大切です。例えば、成長を促したい時期や花が咲く時期には、即効性のある化成肥料で素早く栄養を補給し、土壌の健康を長期的に保つためには有機肥料を定期的に与えるといった工夫が有効です。バランスの取れた肥料計画が、桝井ドーフィンを元気に育てるための基本となります。
イチジク栽培における水管理と病害虫・寒さ対策
イチジク栽培で【水やり】はとても大切ですが、誤解されがちな点もあります。イチジクの生産量が多いトルコ、エジプト、イランといった地域は、乾燥した土地に適していると思われがちですが、実際にはこれらの地域は温暖で降水量も比較的多く、肥沃な土地です。つまり、イチジクは乾燥に強いわけではありません。むしろ水を好む性質があります。そのため、特に芽が出る3~4月と、実が大きくなる乾燥しやすい7~8月には、庭植えの場合でも積極的に水やりをすることが大切です。適切な水やりは枝の成長を助け、実の甘さを引き出す効果があります。特に夏場は日差しが強く土が乾きやすいため、水不足で木が枯れてしまうこともあるので注意が必要です。ただし、水はけが悪いと根腐れの原因となり、生育が悪くなるため、植え付け時には水はけの良い土を選ぶか、有機物を混ぜて土壌改良を行うことが重要です。
最後に【害虫・病気・寒さ対策】ですが、桝井ドーフィンを健康に育てるためには、これらの対策も欠かせません。イチジクには、カミキリムシの幼虫による食害や、ハダニ、アブラムシなどの害虫、また、さび病や炭疽病といった病気が発生することがあります。病害虫の発生を早く見つけて、適切な農薬を使ったり、手で取り除いたり、剪定をして風通しを良くするなどの対策を行いましょう。また、桝井ドーフィンはある程度の寒さには耐えられますが、冬には地域に合わせた寒さ対策をすることで、寒さによる被害を防ぎ、木の健康を保ち、安定した収穫につなげることができます。例えば、寒い地域では木の根元を藁や不織布で覆ったり、鉢植えの場合は家の中に移動させたりすると良いでしょう。これらの管理を総合的に行うことで、桝井ドーフィンの持つ力を最大限に引き出し、美味しい実を安定して収穫することができます。
まとめ
桝井ドーフィンは、市場での人気が高く、夏と秋の二回収穫でき、日本の様々な気候にも適応できるため、日本のイチジク栽培において重要な品種です。広島県出身の桝井光次郎氏がアメリカから持ち帰り、様々な困難を乗り越えて「桝井ドーフィン」として広めたことは、日本の果樹栽培の歴史において大きな功績と言えるでしょう。桝井ドーフィンの果実は、しずくのような形をしており、夏に採れるものは大きく、秋に採れるものは小ぶりですが、どちらも木の上で完熟させると、ねっとりとした食感と上品な甘さが楽しめます。イチジクは収穫後に熟さないため、木の上で完熟させることが特に重要です。現在では、愛知県、和歌山県、兵庫県などが主な産地であり、「朝採りの恵み」といった地域ブランドを作り、高品質なイチジクを消費者に届けています。開心自然形や一文字仕立てといった適切な剪定方法、有機肥料と化成肥料のバランスの良い使い方、そしてイチジクが水を好む性質を理解した上での水やりは、桝井ドーフィンの栽培を成功させるために欠かせない要素です。このガイドが、桝井ドーフィンの魅力を理解し、自宅や農園でのイチジク栽培をより楽しむための一助となれば幸いです。
「桝井ドーフィン」と「ドーフィン」は同じ種類ですか?
はい、基本的に同じ種類を指します。正式な名前は「ドーフィン」ですが、明治時代に桝井光次郎氏がアメリカから日本に持ち込み、他の品種と区別するために自分の名前を付けて「桝井ドーフィン」と名付け、広めました。現在、日本では「桝井ドーフィン」という名前で広く知られています。
桝井ドーフィンの風味と特徴
桝井ドーフィンは、夏と秋の両方で収穫できる品種であり、その果実の大きさはさまざまです。夏果は100グラムから220グラム程度、秋果は50グラムから115グラム程度になります。果皮は黄緑色をベースに、濃い赤紫色が混ざりやすく、見た目にも鮮やかです。果肉はピンク色から赤色をしており、やや粗めの肉質が特徴的です。濃厚な甘さを持ち、特に木の上で完全に熟したものは、とろけるような舌触りで、しっかりとした甘みとともに、後味はすっきりとしています。日本で最も親しまれている生食用イチジクとして、そのまま美味しく味わうことができます。
イチジクは収穫後も熟しますか?
いいえ、イチジクは収穫後に熟成が進むことはありません。つまり、「非追熟性」の果物です。したがって、最高の風味を味わうためには、木の上で完全に熟した状態で収穫することが不可欠です。市場に出回っているイチジクの多くは、輸送の都合上、完熟直前に収穫されることが多いため、樹上で完熟したものとは異なり、さっぱりとした甘さであることが一般的です。













