チーズは、私たちの食卓に欠かせない食材の一つです。その歴史は古く、人類の食文化と密接に関わってきました。ヨーグルトやパンと同様、チーズの誕生は偶然の産物でした。しかし、その後の人類の工夫と創意により、多種多様なチーズが生み出されるようになりました。チーズの歴史は、人類が自然の恵みを上手く活用し、豊かな食文化を築いてきた過程を物語っています。
⾶⿃時代 古代⽇本にもあった!まぼろしの東洋型チーズ?!
日本列島には、古くから独自の酪農文化が存在し、乳製品の加工技術が伝承されていたことが、近年の発掘調査により明らかになってきました。弥生時代から古墳時代にかけて、渡来人の影響を受けた酪農が行われ、馬乳や山羊乳から作られた「まぼろしのチーズ」が、貴重なタンパク源として重宝されていたようです。 出土品に残る乳タンパク質やコレステロール、脂肪酸の痕跡は、この時代に乳製品の発酵技術が確立していたことを物語っています。しかし、その正体は未だ完全には解明されておらず、形状や風味、熟成方法などの詳細が不明なため、現代での再現は困難な状況にあります。 この発見は、チーズの起源に関する新たな視点を提供するとともに、日本の食文化が多層的な重層性を持つことを示す貴重な手がかりとなっています。古来の乳製品文化を再評価することで、日本の食の歴史に新たな光が当てられることになるでしょう。
江戸時代 乳製品ふたたび!
江戸時代、上流階級の間で珍重された乳製品の歴史的経緯を、以下のようにリライトいたしました。 時代は遡り、江戸期に入ると、日本でも乳製品が身分の高い階層に浸透し始めました。八代将軍徳川吉宗が白牛を輸入し、現在の千葉県内に牧場を設け、そこで生産された白牛の乳から「白牛酪」と呼ばれるバターのような製品を作りだしたのがその始まりです。当時、乳製品は疲労回復や栄養補給の目的で、煮詰めた状態で食されていました。 一方で、一般市民の間では乳製品を手に入れることは容易ではありませんでした。保存が困難なうえ、都市部への供給が限られていたからです。しかし、希少性ゆえに宮中や武家の臨席に用いられ、上流文化の証しとなっていました。 このように、江戸時代には階級によって乳製品の親しみ方に違いはありましたが、栄養価の高さと独特の風味は評価されていた実態がうかがえます。普及に時間を要しましたが、現代の食文化においても乳製品は欠かせない存在となっています。
明治時代 ⻄洋型チーズの製造が北海道で始まる!
明治時代、北海道は未開の地とされていましたが、開拓使の尽力により本格的な開発が進められました。1876年、米国人ウィリアム・クラークが北海道で酪農業の指導を行い、西洋型チーズの製造にも着手しました。当時は乳製品の概念すら無く、チーズ作りは試行錯誤の連続でしたが、クラークの指導により製造技術が確立されていきました。 1891年、小林虎之助らによって北海道で最初の本格的なチーズ工場「北海道チーズ製造所」が設立され、チェダーチーズやゴーダチーズなどの生産が開始されました。良質な原料乳に恵まれた北海道の地は、品質の高いチーズ製造に適しており、北海道チーズは東京や長崎など大都市にも出荷され、旨味と新鮮味で高い評価を得ました。このように、明治期から北海道はチーズ生産の一大拠点として発展を遂げ、我が国におけるチーズ王国の地位を築いていったのです。
昭和時代(戦後) チーズの本格的な普及が始まる!
戦後の混乱期を乗り越えた1950年代、日本の食卓にチーズの風が吹き始めました。それまで一部の階層にしか浸透していなかったチーズが、アメリカ文化の影響を受けて徐々に普及し始めたのです。占領期の米軍給食や洋食レストランの登場により、チーズが身近なものとなり、国産チーズ業界も北海道を中心に芽生え始めました。 この時期、チーズは日本社会に土壌を育んでいきました。遅れてきた分、チーズへの関心は一気に高まり、プロセスチーズからナチュラルチーズ、ピザ、チーズケーキへと広がっていきました。1964年の東京オリンピックを機に海外旅行者が増え、本格的なチーズ文化の普及が始まりました。さらにワインブームの到来により、カマンベールなどの高級チーズを楽しむ人々も現れ、最近では健康機能が注目されるなど、チーズは日本人の食生活に深く根付いているのです。
まとめ
チーズの歴史は、人類の知恵と工夫によって発展を遂げてきました。自然の恵みを活用し、さまざまな地域で独自の製法が生み出され、豊かな食文化につながっています。食べ物としての機能に加え、地域の伝統や文化を体現する存在となったチーズは、今後も人々の食生活を彩り続けることでしょう。