ふんわりとした食感と、口の中に広がる優しい甘さが魅力のカステラ。そのルーツは遠く16世紀のポルトガルに遡り、日本に伝わってから独自の進化を遂げてきました。卵、砂糖、小麦粉というシンプルな素材が生み出す奥深い味わいは、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。この記事では、カステラの歴史や製法の秘密を紐解きながら、伝統と革新が織りなす魅惑の世界へとご案内します。
カステラとは?基本情報と特徴
カステラは、主に鶏卵、砂糖、小麦粉を材料とする焼き菓子の一種です。製法上、広義には焼き菓子の一種と分類されます。カステラの材料となる小麦粉は、卵や砂糖、水飴によって作られる気泡を繋ぎとめる役割を担っており、その使用量は最小限に抑えられています。この点が、同様に小麦粉の使用量が少ないスポンジケーキと異なり、カステラは油脂を使用しないという特徴を持っています。和菓子は基本的に植物性の材料を使用しますが、カステラは鶏卵を使用する唯一の例外であり、これは南蛮菓子が和菓子に与えた影響を示すものとされています。また、近代以降には水飴の使用が一般的になり、現在では多くのカステラに水飴が使用されています。蜂蜜や白ザラメが加えられることもあり、明治時代と比較すると全体的に甘みが強くなっています。特に、一つずつ型に入れて焼き上げる「釜カステラ」は、水飴を使用しないあっさりとした味わいが特徴で、カステラの原型に近いと言われています。
カステラの様々な形状とバリエーション
カステラは、その形状によって様々な種類が存在します。最も一般的なのは、正方形や長方形の型で焼き上げる「棹カステラ」です。その他にも、薄く焼いた生地にクリームなどを巻いた「ロールカステラ」、手軽に食べられる「一口カステラ」、鈴の形が可愛らしい「鈴カステラ」、蒸し器で調理する「蒸しカステラ」、沖縄県の伝統的な「チールシコウ」、そして一つずつ型に入れて焼き上げる「釜カステラ」などがあります。これらの多様な形状は、カステラが日本各地で独自の進化を遂げてきた歴史を物語っています。
「カステラ」名前の由来と語源
カステラの名前は、一般的に15世紀にスペインに存在したカスティーリャ王国(Castilla)の発音である「カステラ」(Castella)に由来すると考えられています。「ボロ・デ・カステラ」(Bolo de Castella、カスティーリャ王国の菓子の意味)が、伝わる過程で「カステイラ」あるいは「カステラ」と変化していったとされています。1716年(享保元年)に発行された『長崎名物尋(ね)考』には、「カステイラという菓子は、本名カストルボルというを訛って言う」という記述があり、この説を裏付けています。別の説では、スペインやポルトガルで卵を泡立てる際に「城(castelo)のように高くなれ」という掛け声をかけることから、「カステロ」がカステラになったというものがあります。しかし、卵白をメレンゲ状に泡立てる手法は、カステラが日本に伝わった後に普及したものであり、この説は妥当ではないという見解もあります。夏目漱石は1907年(明治40年)に発表した『虞美人草』の中で、西洋菓子について「チョコレートを塗った卵糖(カステラ)を口いっぱいに頬張る」と記し、「卵糖」という当て字を使用しましたが、この当て字は一般的ではなく、実際にはチョコレートケーキに使われているスポンジケーキを指していた可能性も考えられています。
ヨーロッパにおけるカステラのルーツ
カステラのルーツについては、大きく分けてスペインの焼き菓子「ビスコチョ」(Bizcocho)に由来するという説と、ポルトガルの焼き菓子「パン・デ・ロー」(pão de ló)に由来するという説があります。ビスコチョは「二度焼き」を意味する言葉で、元々は乾パンのように硬いものでした。しかし、1611年に出版されたスペインの辞書『コバルビアスのコトバ辞書』には、当時のビスコチョについて「小麦粉と卵と砂糖で作る美味しい別のタイプ」が存在したという記述があります。渡辺万里は、旧カスティーリャ地方のレボホに伝わるパンに近いビスコチョ「レボホ・ドゥーノ」(硬いレボホの意味)を紹介し、このようなビスコチョが「ボーロ・デ・カステイラ」(カスティーリャ王国のパンまたは菓子)としてポルトガルで定着したのではないかと述べています。岡美穂子は、1680年にポルトガルで出版されたドミンゴス・ロドリゲス『料理法』に掲載されている「ビスコウト・デ・ラ・レイナ」(ラ・レイナla Reinaはスペイン語で女王・王妃の意味)に、初期のカステラとの類似点があることを指摘しています。彼女は、ラ・レイナとは1497年にポルトガル王室に嫁いだカスティーリャ王女カタリナを指している可能性が高いとし、カタリナがポルトガルにこの菓子を伝え、「カスティーリャの菓子」と呼ばれるようになったのではないかと考察しています。一方、パン・デ・ローは16世紀半ばに書かれた『カザ・デ・ルセナの帳簿』に初めて登場します。パン・デ・ローと砂糖を使ったビスコチョはどちらも16世紀に誕生しており、パン・デ・ロー自体がビスコチョから発展したのではないかという見解もあります。また、当時イベリア半島に進出していたアラブ文化の影響で、カスティーリャとポルトガルで同時期に似た菓子が生まれた可能性も指摘されています。
日本へのカステラの伝来と初期の記録
カステラは16世紀の中頃、具体的には1543年に日本へ伝わったと伝えられています。1636年(寛永3年)に記された『原城紀事』には、江戸時代中期に著された『耶蘇天誅記』からの引用として、1584年(天正12年)に唐津で伝道を行った宣教師たちが作った菓子類が記されており、その中に「角寺鐵異老」(カステイラ)という記述が見られます。日本で最初にカステラを製造した人物を特定できる史料は見つかっていませんが、候補としては、1557年に豊後府内に病院を設立し、患者に栄養食として牛乳や牛肉を提供し、大友宗麟を南蛮料理でもてなした宣教師ルイス・デ・アルメイダや、1592年(文禄元年)に肥前名護屋で豊臣秀吉に南蛮料理や南蛮菓子を振る舞った記録が残るルイス・フロイスなどが考えられます。1600年(慶長5年)頃に成立したとされる『南蛮料理書』には、「かすてほう路」という名前でカステラのレシピが紹介されており、1617年(元和3年)の徳川家康の二条城行幸や1630年(寛永7年)の島津家における将軍御成の際にカステラが献上された記録も存在します。さらに、1605年(慶長5年)に成立した『慶長見聞集』には、「長崎土産物」の項の「南蛮菓子色々」の中に「カステラボウル」という記述が見られます。地方においては、1644年(寛永21年)に加賀藩で、1681年(天和元年)に仙台藩でカステラに関する記録が確認されています。江戸時代中期には、カステラは既に江戸城でも日本の菓子として勅使の接待などで提供されるほど、広く普及していました。
江戸時代以降の日本におけるカステラの普及と変化
カステラの製法は、江戸時代の百科事典である『和漢三才図会』や、様々な製菓書・料理書に多数掲載され、一般家庭でも広く利用されるようになりました。ただし、当時の食べ方は現代とは異なり、貴重品であったため少量ずつ食べられていました。寒い時期には、吸い物椀に一切れ入れて熱湯を注ぎ、蓋をして蒸らして食べたり、暑い時期には冷水を注いで白玉のようにして食べることもありました。また、薄く切ってワサビや大根おろしを添えて酒の肴にしたり、喉の渇きを潤すための携帯食としても用いられました。加えて、カステラは鶏卵、砂糖、水飴、小麦粉といった栄養価の高い材料を使用していたことから、江戸時代から戦前にかけて結核などの消耗性疾患に対する栄養補助食品としても利用されていた歴史があります。しかしながら、江戸時代のカステラは卵、小麦粉、砂糖の配合比率がほぼ等しく、現代のものほど甘くなく、食感もあまり膨らんでいないものでした。近代に入ると、水飴の使用が広まるとともに、ガスオーブンや電気釜といった調理器具の発展により、安定した品質のカステラを製造することが可能となりました。太平洋戦争中の1939年(昭和14年)から食糧や生活物資の統制が始まり、カステラも価格が全国一律で固定されることになりました。しかし、公定価格の設定は重さ当たりの金額のみが定められ、味や品質は考慮されなかったため、カステラの品質は著しく低下しました。そのため、1941年(昭和16年)からはカステラの規格が定められ、砂糖と同量以上の卵、55%の小麦粉、20%の水飴(またはブドウ糖、デキストリン)を使用し、膨張剤を使わずに厚さ1寸6分以上とすることが義務付けられ、品質維持が図られました。
長崎カステラ
カステラと言えば「長崎」が有名ですが、これは単に長崎県で作られたという意味ではなく、長崎に伝わる伝統的な製法で作られたカステラを指します。長崎カステラが特産品として発展した背景には、江戸時代に鎖国政策がとられる中でも、長崎が出島を通じて約200年間、唯一の貿易港として開かれていたことが大きく影響しています。これにより、砂糖が大量に集まるようになり、カステラの主要な原料である砂糖が豊富に供給されるようになりました。また、長崎の温暖な気候がカステラ作りに適していたことも、長崎カステラが発展した重要な要因の一つと考えられています。
台湾カステラ
日本で「台湾カステラ」として知られているスイーツは、台湾では「古早味蛋糕(グーザオウェイダンガオ)」や「現烤蛋糕(シェンカオダンガオ)」、「布丁蛋糕(ブーディンダンガオ)」などと呼ばれています。興味深いことに、台湾には「台湾カステラ」という名称は存在しません。「蛋糕(ダンガオ)」は中国語で「カステラ」または「ケーキ」を意味し、「古早味(グーザオウェイ)」は「昔ながらの味」、「現烤(シェンカオ)」は「焼きたて」という意味です。日本のカステラと比較してサイズが大きく、食感はシフォンケーキに似ており、甘さが控えめな点が特徴です。日本のカステラと同様に様々な種類がありますが、特にチーズを加えたものが人気です。いくつかの説がありますが、20世紀初頭に日本人が台湾に持ち込んだ日本のカステラが、台湾の人々の好みに合わせて改良されたものと考えられています。現在のような、プルプルとした柔らかい食感の台湾カステラが確立されたのは2000年代に入ってからで、特に台湾北部の観光地である「九份(キュウフン)」で外国人観光客の注目を集めるようになりました。台湾には、古早味蛋糕や現烤蛋糕の他にも様々な種類のカステラがあり、例えば「蜂蜜蛋糕(ミーフーダンガオ)」は文字通り蜂蜜を加えたもので、棒状にカットされることが多いです。蜂蜜を使用しない日本の「長崎カステラ」と形状が似ているため、両者を同一のものと考える台湾人も少なくありません。また、「岩焼蛋糕(イェンシャオダンガオ)」はチーズケーキに似ており、チーズの他にタロイモやカスタードなどを加えることもあります。
カステラは和菓子?洋菓子?
カステラは「和菓子なのか洋菓子なのか」とよく議論されるスイーツです。見た目はシンプルなスポンジケーキに似ていますが、その歴史や製法をひも解くと独特の立ち位置にあることがわかります。
カステラのルーツは16世紀、南蛮貿易の時代にポルトガルから日本に伝わった菓子にあります。当時は「パン・デ・ロー」と呼ばれるカステラに似た菓子が原型とされており、日本で独自に改良されていきました。砂糖や小麦粉、卵を使って焼き上げるシンプルな製法ですが、日本人の口に合うように甘さや食感が工夫され、長崎を中心に広まっていきました。
そのため、起源は洋菓子でありながら、長い年月をかけて日本流に進化したことから、現在では「和菓子」として位置付けられることが多いのです。実際、和菓子専門店やお土産売り場でもカステラは定番商品として扱われています。
一方で、スポンジケーキのような製法や焼き菓子としての特徴から「洋菓子に近い」と感じる人も少なくありません。つまり、カステラは洋菓子由来の和菓子とも言える、日本独自のハイブリッドなお菓子なのです。
まとめ
カステラは、鶏卵、砂糖、小麦粉を主な原料とする、シンプルながらも奥深い味わいの焼き菓子であり、その歴史は16世紀のイベリア半島にまで遡ります。ポルトガルやスペインの南蛮菓子である「ビスコチョ」や「パン・デ・ロー」がルーツであり、日本へ伝来してからは、長崎を中心に独自の進化を遂げました。江戸時代には製法が広まり、様々な食べ方が楽しまれるようになり、一方で、戦時中には品質を維持するための規格化も行われました。現代では、伝統的な「長崎カステラ」に加え、ふんわりとした食感が特徴の「台湾カステラ」など、世界各地で独自の発展を遂げています。和菓子と洋菓子の境界線上に位置するカステラは、その豊かな歴史と伝統的な製法、そして人々の生活に寄り添う存在として、今もなお多くの人々から愛され続けています。
カステラの主な材料は何ですか?
カステラの主な材料は、鶏卵、砂糖、小麦粉の3つです。近代以降は、水飴が一般的に使われるようになり、蜂蜜や白ザラメなどが加えられることもあります。
カステラという名前の由来は何ですか?
カステラの名前は、スペインの古王国、カスティーリャ王国(Castilla)の発音にルーツがあると広く考えられています。「カスティーリャの菓子」を意味する言葉が変化して、「カステラ」という名になったと言われています。
カステラはいつ日本に伝わったのでしょうか?
カステラが日本に伝わったのは、16世紀中頃、具体的には1543年頃とされています。ポルトガルからやってきた宣教師や貿易商人によって、日本に紹介されました。
江戸時代のカステラは、現代のものと何が違っていたのでしょうか?
江戸時代のカステラは、卵、小麦粉、砂糖の配合比率がほぼ同じで、現代のものほど甘さは強くなく、ふっくらとした膨らみも少なかったようです。また、吸い物椀に入れて蒸したり、冷たい水に浸したり、ワサビや大根おろしと一緒に食するなど、様々な食べ方が存在していました。
「長崎カステラ」は、長崎県で作られたものでなければならないのですか?
「長崎カステラ」という名称は、長崎県で作られたという意味だけではなく、長崎に伝わる伝統的な製法に基づいて作られたカステラを指します。江戸時代に貿易港として栄えた長崎の歴史や気候が、カステラの一大産地となった背景にあります。
台湾カステラは、本場台湾ではどのように呼ばれているのでしょうか?
日本で親しまれている「台湾カステラ」ですが、実は台湾国内では少し違った名前で呼ばれています。一般的には、「古早味蛋糕(グーザオウェイダンガオ)」、つまり「昔ながらのケーキ」という名称がよく使われます。その他にも、「現烤蛋糕(シェンカオダンガオ)」、「焼きたてケーキ」や、「布丁蛋糕(ブーディンダンガオ)」、「プリンケーキ」といった呼び名も存在します。台湾では、「台湾カステラ」という名称はあまり一般的ではありません。