カカオに秘められた漢字の歴史:チョコレートの意外なルーツを探る

甘美な誘惑、チョコレート。その濃厚な味わいは、私たちを魅了してやみません。しかし、この西洋生まれのお菓子には、意外なルーツが隠されています。明治時代、日本にチョコレートが伝来した当初、その音を漢字に当てはめたユニークな表記が数多く存在したことをご存知でしょうか?まるで暗号のような漢字表記から、チョコレートが日本に受け入れられていく過程を垣間見ることができます。さあ、カカオに秘められた漢字の歴史を紐解き、チョコレートの意外なルーツを探る旅に出かけましょう。

チョコレートの漢字表記:驚くべき当て字の数々

チョコレートは西洋から入ってきた甘いお菓子ですが、明治時代には想像を超えるほど多くの漢字表記が存在していました。「貯古齢糖」「猪口令糖」「千代古齢糖」「知古辣」「楂古聿」「猪口冷糖」「知古辣他」「貯古令糖」「貯古冷糖」「猪口齢糖」「血汚齢糖」「千代古令糖」など、なんと12種類ものユニークな当て字があったと言われています。これらの表記は、チョコレートの音を漢字に強引に当てはめたもので、現代の私たちから見ると、その発想の豊かさに驚かされます。中でも「血汚齢糖」は、当時のチョコレートに対する誤解や、もしかすると偏見が込められた、少し不気味な印象を与える表現です。チョコレートの「チョコ」の部分には「貯古」「猪口」「千代古」といった漢字が、「レート」の部分には「齢糖」「冷糖」「令糖」といった漢字が頻繁に使用されていました。まるで漢方薬の名前のような組み合わせですね。ちなみに、中国語ではチョコレートを「巧克力」と表記します。これは発音も似ていますね。

日本におけるチョコレートの歴史:明治時代のセンセーション

チョコレートが日本で初めて市場に出回ったのは、明治時代のことでした。正確な時期については明治8年(1875年)または明治10年(1877年)という説がありますが、明治10年11月1日の東京報知新聞に掲載された「新製猪口齢糖」という広告が、記録に残る最初のチョコレート販売の告知のようです。日本で最初にチョコレートの製造・販売を手掛けたのは、凮月堂(現在の東京風月堂)の米津松造氏だとされています。しかし、当時のチョコレートは、現在のようにカカオ豆から一貫して製造するのではなく、海外から輸入したチョコレートを、ヨーロッパから招いた職人が日本国内で加工するという方法で製造されていました。そのため、チョコレートは非常に高価なもので、一般の人々が気軽に購入できるようなものではありませんでした。さらに、当時は牛乳を飲む習慣が一般的ではなかったため、チョコレートは未知の食べ物として捉えられ、「チョコレートには牛の血が混入されている」「チョコレートは泥を固めたものだ」といった根も葉もない噂まで流れたそうです。しかし、1899年(明治32年)に森永製菓が創業し、明治42年に板チョコレートの製造・販売を開始したことで、チョコレートは徐々に日本人の生活に溶け込んでいきました。そして、バレンタインデーに女性から男性へチョコレートを贈るという習慣が定着したのは、昭和30年代頃のことです。

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日本人が最初にチョコレートを味わったのは?

それでは、日本で最初にチョコレートを口にしたのは一体誰なのでしょうか。記録に残っている情報によれば、使節団の一員としてヨーロッパに派遣された岩倉具視や大久保利通、津田梅子などが、1873年(明治6年)にフランスのチョコレート製造工場を訪問した際、できたばかりのチョコレートを試食したとされています。岩倉使節団が政府に提出した公式報告書である『特命全権大使米欧回覧実記』には、「其味香しくして、些か苦味を含む」という記述があり、当時チョコレートに馴染みがなかった彼らにとって、その独特な苦みが強く印象に残った様子が伺えます。公式な記録ではありませんが、明治以前に外国から持ち込まれたチョコレートを長崎の遊女が口にしたという話も存在します。しかし、公的な記録としては、岩倉使節団のメンバーが最初であると考えられています。

カカオの漢字表記:意外にも「甘豆餅」

チョコレートの主要な原料であるカカオの漢字表記についても見ていきましょう。現代ではカカオを「加加阿」と表記するのが一般的ですが、これはあくまで音を漢字に当てはめたものです。明治時代にチョコレートが「貯古齢糖」などと表記されていた時代、カカオはなんと「甘豆餅」と書かれていたそうです。これも当て字ではありますが、なぜ「餅」という漢字が使われたのか、その理由は謎に包まれています。当時の日本では、西洋から入ってきたものをカタカナで表記するという習慣がまだ確立されていなかったため、このような独特な表現が用いられたと考えられます。

結び

この記事では、チョコレートの漢字表記の変遷と、日本における普及の歴史を紐解きました。「貯古齢糖」といったユニークな当て字や、「甘豆餅」というカカオの漢字表記は、チョコレートが日本に伝わった当初の時代背景を色濃く反映しています。また、岩倉具視や大久保利通といった歴史的人物たちが、初めてチョコレートを体験したという事実は、チョコレートの歴史に深みを与えています。現在では誰もが気軽に楽しめるチョコレートですが、その背景には、様々な人々の努力と、異文化との出会いがあったことを改めて感じさせられます。

チョコレートの漢字表記はどのように生まれたのでしょうか?

チョコレートの漢字表記は、明治時代に西洋から伝来したチョコレートの発音を、当時の日本人が漢字を用いて表現しようとした結果生まれたものです。まだカタカナが一般的に使用されていなかった時代、音の類似性に基づいて漢字を組み合わせ、独特の当て字が作られました。

チョコレートが日本で広く知られるようになった要因は何ですか?

チョコレートが日本で広く普及するきっかけとなったのは、1899年の森永製菓の設立と、明治42年からの板チョコレートの製造・販売です。これにより、チョコレートがより手軽に入手できるようになり、一般消費者の間に急速に浸透していきました。

岩倉具視たちが初めてチョコレートを口にした際の反応は?

岩倉具視らが初めてチョコレートを味わった時の様子は、公式記録に「其の味、香ばしくして、僅かに苦味を帯びる」と記されています。この記述から、当時チョコレートに馴染みのなかった彼らが、その独特の苦みに強い印象を受けたことがうかがえます。

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