チョコレートを口にする時、その原料であるカカオに思いを馳せることはありますか?私たちが普段何気なく味わうチョコレートの背後には、知られざるカカオ栽培の世界が広がっています。この記事では、カカオがどのように栽培され、チョコレートへと姿を変えていくのかを紐解きます。カカオの木からカカオポッド、そしてカカオ豆へと、その道のりを辿ることで、きっとチョコレートへの愛情がさらに深まるはずです。
カカオとは?チョコレートの原料となる基礎知識
普段、私たちが口にするチョコレート。その主原料であるカカオについて、深く意識することは少ないかもしれません。しかし、カカオについて知ることは、チョコレートに対する興味を深め、産地への関心を高め、より一層チョコレートを楽しむきっかけになるでしょう。カカオは、高温多湿な熱帯雨林地域で育つ植物です。カカオの木は、アオイ科に属する常緑樹で、学名は「Theobroma cacao L.」と表記されます。このカカオの木に実る果実が「カカオポッド」と呼ばれ、その中にある種子がチョコレートの原料となる「カカオ豆」です。「カカオ豆」という名称ですが、実際には豆類ではなく、アオイ科の樹木の種子にあたります。チョコレート製造の現場では、「カカオ」という言葉は主にカカオ豆を指しますが、広義にはカカオの木やカカオポッドを含めたカカオ生産全体を指すこともあります。
カカオの生育地域:カカオベルトについて
カカオは、赤道を中心とした南北約20度の範囲で栽培されており、この地域は「カカオベルト」として知られています。カカオの生育に適した環境は、年間平均気温が約27℃で、気温の変化が少なく、年間降雨量が1000mmを超える、比較的標高の低い場所です。そのため、アフリカ、中南米、東南アジアなどの国々で広く栽培されています。カカオと同様の地域で栽培される作物としてコーヒーが挙げられますが、コーヒーは赤道を挟んで南北25度のエリア(コーヒーベルト)で栽培され、標高1000m以上の高地でも栽培される点が異なります。
日本におけるカカオ生産の現状と将来展望
カカオベルトの分布図からも明らかなように、日本の気候はカカオの生育には適していません。しかし、近年では、ハウス栽培などの技術革新により、日本国内でのカカオ生産の事例が見られるようになってきました。近い将来、国産カカオを使用した Bean to Bar チョコレートが市場に出回る可能性も十分にあります。具体例として、TOKYO CACAO(平塚製菓株式会社)は、10年以上前に小笠原諸島で農園を開設し、プロジェクトを開始。2019年には、東京産のカカオのみを使用したチョコレート「TOKYO CACAO」を初めて販売しました。また、OKINAWA CACAOは、「沖縄にカカオを中心とした産業を創出したい」という理念のもと、2016年に事業をスタートさせています。宮崎カカオは2023年に宮崎市内に農園を開園し、代表の大田原氏がクラフトチョコレートの独特な風味に感銘を受け、自らの手でカカオ豆からチョコレートを作りたいと考えたことがきっかけで、栽培を開始しました。さらに、日本におけるクラフトチョコレートの先駆け的存在であるMinimalは、2021年から沖縄でカカオの栽培を始め、2024年5月には初めての収穫を迎えました。
カカオの主要な品種:クリオロ種、フォラステロ種、トリニタリオ種
カカオの代表的な品種としては、「クリオロ種(Criollo)」、「フォラステロ種(Forastero)」、「トリニタリオ種(Trinitario)」の3つが挙げられます。クリオロ種は、南米原産のカカオの原種であり、一般的に風味が豊かであると評価されていますが、病害虫に弱く栽培が難しいため、カカオ生産全体の数%程度の生産量にとどまっています。一方、フォラステロ種は、クリオロ種と比較して病害虫に強く、栽培しやすいという特徴があり、西アフリカや東南アジアで広く栽培されています。その生産量はカカオ生産全体の約80%を占めています。トリニタリオ種は、クリオロ種とフォラステロ種の交配種であり、クリオロ種の優れた風味とフォラステロ種の病害虫への耐性を兼ね備えているとされています。生産量はカカオ生産全体の10〜20%程度です。近年、カカオの遺伝子解析研究が進展し、カカオの品種を10種類に分類することがより適切であるという研究報告も発表されています。
カカオ豆ができるまで:栽培から発酵・乾燥までの道のり
チョコレートの原料となるカカオ豆。そのカカオ豆が私たちの手元に届くまでの道のりは、種まきから始まり、苗木を育て、花を咲かせ、実を結び、収穫、発酵、乾燥というプロセスを経て、ようやくチョコレートの原料となるカカオ豆となります。地域や農家によって栽培方法に多少の違いはありますが、ここでは一般的なカカオ豆ができるまでの各工程のポイントを解説していきます。
播種・育苗・生育:カカオの木を育てる
カカオの栽培は、まず種を土にまき、発芽させることから始まります。ここで使う種は、チョコレートの原料となるカカオ豆ではなく、カカオポッドから採取した種まき専用のものです。(チョコレートの原料となるカカオ豆は、発酵・乾燥の過程で発芽能力を失ってしまうため、種として使っても発芽しません。)発芽後、ある程度の大きさまで育てたら畑に植え替え、カカオポッドが収穫できる成木になるまで、通常3年から5年かけて大切に育てていきます。カカオは直射日光に弱い性質を持つため、日陰を作り、その下で栽培するのが一般的です。日陰を作る方法としては、「シェードツリー」と呼ばれる背の高い木(バナナなど)をカカオと一緒に植える方法がよく用いられます。これは、カカオ単体で農園を作るのではなく、土地全体の森林環境や生態系を考慮した「アグロフォレストリー」という考え方に基づいた農園経営と言えます。他の植物と一緒に育てることは、カカオの生育環境を整えるだけでなく、バナナなどの換金作物を収穫することで、カカオ農家さんの収入源を増やすというメリットにも繋がります。また、カカオの栽培では、種から育てるだけでなく、品質の良いカカオポッドが実る木から穂木を採取し、それを丈夫な台木に接ぎ木することで、優良な個体を増やしていく方法も用いられます。
開花・受粉:カカオの花の神秘
3年から5年の歳月をかけて成長したカカオの木は、小さな白い花を咲かせます。カカオの花は一年間に数千個も咲きますが、受粉して実を結ぶのはそのうちのわずか1%程度と言われています。これは、カカオの花が虫媒花であること、そして花のサイズが1~2cmと非常に小さいため、花粉を運ぶことができる昆虫が限られていることが主な原因です。植物学的には、同じ花の雄しべと雌しべで受粉する「自家受粉」では、遺伝的多様性が生まれにくく、環境変化に弱い性質を持つため、異なる個体間での「他家受粉」が推奨されます。しかし、自家受粉を防ぐ花の構造によって、昆虫による他家受粉も起こりにくくなっているため、カカオ豆の収穫量を増やしたい農家にとっては悩ましい問題です。カカオ農家は、受粉を媒介する昆虫が棲みやすい環境を整えるために、アグロフォレストリーの考え方を取り入れたり、一つ一つ手作業で人工授粉を行ったりするなど、地道な努力を重ねることで、少しでも結実率を上げ、カカオ豆の収穫量を増やそうと取り組んでいます。
結実:カカオポッドの誕生
受粉に成功したカカオの花は、やがて大きく成長し、カカオポッドと呼ばれる果実になります。カカオポッドは、カカオの木の幹に直接実るため「幹生果」と呼ばれます。前述の通り、カカオの受粉は難しく、結実率も低いため、一つのカカオの木から一年間に収穫できるカカオポッドは、わずか数十個程度と言われています。また、カカオポッドは、大きさ、形、色など、様々なバリエーションが存在します。これは、品種の違いだけでなく、生育環境や遺伝子の微妙な違いによっても変化するため、同じ地域で収穫されたカカオポッドであっても、見た目や風味が全く同じとは限りません。

選果・種採り・発酵:カカオ豆の個性を引き出すための必須ステップ
熟したカカオポッドは、一つずつ丁寧に手で収穫され、発酵を行う場所へと運ばれます。そこで、鉈のような刃物を用いてカカオポッドを割り、カカオパルプと呼ばれる白い果肉と共にカカオ豆を取り出し、発酵用の容器へ入れます。(果肉の水分量が多いと発酵に影響が出る可能性があるため、場合によっては一度ザルに移し、水分を適度に減らしてから発酵容器に入れることもあります。)発酵方法には主に、「ヒープ法」と呼ばれるバナナの葉で包む方法と、木箱を使用しバナナの葉や布で覆う「ボックス法」の2種類があります。発酵期間はおおよそ5日から7日間で、発酵中の温度を計測したり、定期的に攪拌するなど、注意深く管理します。
発酵の過程と目的:チョコレートの風味を決定する重要なプロセス
カカオ豆の発酵は、バナナの葉や木箱に存在する酵母などの微生物が、カカオパルプに含まれる糖分を分解することで進行します。チョコレートの原料として高品質なカカオ豆を製造する上で、発酵には主に以下の3つの目的があります。
- チョコレートの香り成分を生成:微生物による発酵の過程で、発酵によって生成された酢酸がカカオ豆に浸透し、熱が発生することで、豆の細胞組織が破壊されます。これにより、細胞に含まれるタンパク質が分解されてペプチドやアミノ酸が生成されたり、酵素反応によって還元糖が生じます。これらは、チョコレート製造における焙煎工程で加熱されることで、チョコレート特有の香りを生み出します。つまり、風味豊かなチョコレートを製造するためには、適切な発酵を経たカカオ豆が不可欠となります。
- 渋味や苦味の軽減:発酵前のカカオ豆は、ポリフェノールを含んでいるため紫色をしていますが、発酵によって放出されたタンパク質やアミノ酸がポリフェノールと反応することで、発酵後には茶色へと変化します。ポリフェノールは渋味や苦味の原因となるため、発酵によってポリフェノールが変化することで、渋味や苦味が抑えられ、チョコレートにした際に食べやすい風味となります。
- 発芽能力の除去:発酵によって発生する熱と有機酸の働きにより、カカオ豆は発芽能力を失います。発芽能力が残った状態では、輸送中などに発芽してしまい、成長のためにカカオ豆中のココアバターやタンパク質が消費されてしまい、チョコレート製造に利用できなくなってしまいます。したがって、発酵によって発芽能力を取り除くことは、チョコレート原料としてのカカオ豆を作る上で重要なポイントとなります。その他にも、発酵中にカカオパルプから様々な香気成分がカカオ豆に染み込むことで、チョコレートにした時にフルーティーなフレーバーが現れるなど、風味豊かなカカオ豆を得るためには、発酵は非常に重要な工程となります。
乾燥・選別・出荷:チョコレート製造のためのカカオ豆の完成
発酵を終えたカカオ豆は水分を多く含んでいるため、しっかりと乾燥させてチョコレート製造用のカカオ豆として仕上げます。乾燥方法としては、天日乾燥が一般的であり、広いトレーや網などの上に発酵済みのカカオ豆を広げて乾燥させます。気候条件によって乾燥に必要な日数は異なりますが、乾燥が不十分だと輸送中や保管中にカビが発生し、チョコレート製造に使用できなくなる可能性があるため、水分量をチェックしながら水分が8%程度になるまでしっかりと乾燥させます。天日乾燥の他に、木材などを燃やして人工的に乾燥させる方法もありますが、煙の匂いがカカオ豆に移り、風味に影響を与える可能性があるため、あまり一般的ではありません。乾燥を終えたカカオ豆は、小さすぎるもの、潰れたもの、虫食いのものなどを人の手で選別・除去し、麻袋に詰められて世界中のチョコレートメーカーやカカオ豆を扱う商社へと出荷されます。
まとめ:カカオ豆からチョコレートへの旅
カカオ豆がチョコレートになるまでの道のりは、自然の恵みと生産者のたゆまぬ努力によって支えられています。私たちが美味しいチョコレートを味わえるのは、これらの恩恵を受けているからです。チョコレートを製造する際には、素晴らしいカカオ豆があってこそであることを忘れずに、自然と生産者への感謝の気持ちを込めて、カカオ豆本来の素晴らしい風味を最大限に引き出し、皆様にお届けしたいと考えています。
参考資料
この記事を作成するにあたり、下記の情報を参考にしました。
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株式会社 明治「チョコレートができるまで」
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佐藤清隆、小谷野哲夫(2011: 幸書房)「カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン:神の食べ物の不思議」
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堀口俊英(2018: 新星出版社)「珈琲の教科書」
結び
この記事では、カカオ豆がチョコレートへと姿を変える過程を詳細にご説明しました。カカオの栽培から始まり、発酵、乾燥といった製造プロセス、さらにはカカオの品種や日本におけるカカオ生産の現状まで、幅広い情報を提供することで、読者の皆様がチョコレートをより深く理解し、その美味しさを堪能できるようになることを願っています。カカオ豆一つ一つに秘められた物語を知ることで、普段口にするチョコレートがより特別な存在に感じられるはずです。ぜひ、この記事で得た知識を活かして、様々なチョコレートの風味を味わってみてください。
質問1:カカオ豆はどのような地域で栽培されているのでしょうか?
回答:カカオ豆は主に、赤道付近の南北緯度20度以内の地域、通称「カカオベルト」と呼ばれる地帯で栽培されています。具体的には、アフリカ、中南米、そして東南アジアの国々が主要な生産地として知られています。これらの地域は、カカオの生育に適した高温多湿な気候条件を備えています。
質問2:カカオ豆にはどのような種類が存在しますか?
回答:一般的に、クリオロ種、フォラステロ種、トリニタリオ種の3つの主要な種類が存在します。クリオロ種は、その豊かな風味が特徴ですが、栽培が難しいとされています。一方、フォラステロ種は栽培が比較的容易ですが、風味はクリオロ種に劣ると考えられています。トリニタリオ種は、クリオロ種とフォラステロ種の良い点を併せ持つ交配種です。近年では、より詳細な分類に関する研究も進められています。
質問3:カカオ豆を発酵させる理由は何ですか?
回答:カカオ豆の発酵は、チョコレートの味わいを左右する極めて重要なプロセスです。この発酵の過程で、カカオ豆本来の苦みやえぐみが和らげられ、チョコレートならではの芳醇な香りを生み出す元となる成分が作られます。さらに、豆の発芽能力を抑制することで、輸送段階での品質低下を防止する役割も担っています。