あんみつの豆:甘味の主役、赤えんどう豆の秘密とあんみつの歴史
甘味処の定番、あんみつ。その彩り豊かな見た目と上品な甘さは、私たちを魅了してやみません。寒天、フルーツ、そしてあんこなど、様々な要素が組み合わさる中で、特に注目したいのが、あの独特な塩味がアクセントになっている「豆」です。あの豆の正体は、一体何なのでしょうか?本記事では、あんみつの主役とも言える赤えんどう豆にスポットを当て、その知られざる秘密と、あんみつが辿ってきた歴史を紐解きます。奥深いあんみつの世界へ、ご一緒に足を踏み入れてみましょう。

日本の甘味文化を彩る「あんみつ」誕生の物語

あんみつが生まれたのは、昭和5年(1930年)、銀座五丁目の「若松」でした。その起源は、明治27年(1894年)に上野で和菓子店を営んでいた森半次郎が、銀座でおしるこ屋を開業したことに遡ります。二代目の森半次郎が店を継いだ頃、常連客から「もっと甘いものが欲しい」という要望がありました。それに応える形で、当時人気だったみつ豆に、なめらかなこしあんを乗せ、さらに黒蜜をたっぷりとかけて提供したところ、その斬新な組み合わせが評判を呼び、あんみつが誕生したと言われています。「若松」の特筆すべき点は、その製法やレシピを秘伝とせず、他の甘味処での提供も許可したことです。この寛容な姿勢により、あんみつは特定の店にとどまらず、全国の甘味処へと広がり、今日では日本の甘味文化を代表する普遍的なスイーツとして、多くの人々に愛されています。

江戸から明治へ、庶民の味から進化した「みつ豆」の歴史

あんみつの原点である「みつ豆」の歴史は、さらに古く、江戸時代末期の屋台で親しまれていたおやつに遡ります。当時、新粉細工屋と呼ばれる香具師(大道芸人)がいました。彼らは、白米を臼で挽いて粉にした「新粉(米粉)」を水で練って蒸し、それを舟の形に整えました。その中に茹でた赤えんどう豆を入れ、甘い蜜をかけて屋台で売っていたそうです。このシンプルで手軽な甘味は、当時の庶民にとって身近な存在であり、現代のみつ豆の原型といえるでしょう。
この江戸時代の素朴な原型を、現代に続く「みつ豆」として大きく変え、洗練された甘味として再構築したのが、明治35年(1902年)創業の浅草「舟和」です。舟和は当初、芋ようかんやあんこ玉、栗蒸しようかん、煉ようかんなどを販売する和菓子店として開店しました。しかし、翌年の明治36年(1903年)には、画期的な「みつ豆」を考案し、提供を開始します。舟和のみつ豆は、茹でたての赤えんどう豆と、さいの目切りにした寒天をベースに、求肥、杏、パイナップル、みかんなどの色とりどりのフルーツをふんだんに盛り付け、モダンな銀の器に美しく盛り付けられました。さらに、おしゃれな銀のスプーンが添えられ、それまで子供のおやつとされていたみつ豆を、一気にモダンで洗練された大人の甘味へと昇華させました。舟和は、この新しいみつ豆を「みつ豆ホール」という喫茶店で提供し始めました。当時、「ビヤホール」や牛乳・パン・みかんなどを提供する簡易的な飲食店「ミルクホール」など、「○○ホール」と名付けられた西洋風の店舗が流行していたため、それに倣ったと言われています。西洋風の空間で味わう、見た目も美しい大人向けの甘味「みつ豆」は、たちまち東京で人気を博し、みつ豆の概念を大きく変えるきっかけとなりました。

シンプルな美味しさの極致「豆かん」とは?その魅力と発祥

日本の甘味文化において、あんみつやみつ豆と並び、そのシンプルな美味しさで多くのファンを魅了しているのが「豆かん」です。豆かんは、さいの目切りにした角切りの寒天に、たっぷりの茹でた赤えんどう豆を乗せ、上から甘い蜜をかけた、非常にシンプルな甘味です。みつ豆やあんみつによく見られるフルーツ、求肥、白玉などの具材は一切入らず、その構成要素は「豆・寒天・蜜」のわずか3つのみ。この究極のシンプルさが、豆かんの最大の魅力であり、素材そのものの味を存分に楽しむことができます。「豆」と「寒天」を組み合わせた、分かりやすく親しみやすいネーミングも特徴です。この「豆かん」を初めて提供したとされるのは、浅草に店を構える老舗甘味処「梅むら」です。テレビドラマ「孤独のグルメ」でも紹介された「梅むら」の豆かんは、器いっぱいに盛られた、つやつやと輝く赤えんどう豆が印象的で、下の寒天が見えないほどたっぷりと乗っています。特に、5時間かけて丁寧に煮込まれた赤えんどう豆は、ふっくらと柔らかく、それでいて豆本来のしっかりとした食感を残し、黒光りする見た目も食欲をそそります。あんみつ、みつ豆、豆かんの三つの甘味は、「赤えんどう豆が入っていて、蜜をかけて食べる」という共通点を持つ一方で、歴史的背景と構成要素には明確な違いがあります。もともと、あんみつやみつ豆の原型は、江戸時代末期に子供向けのおやつとして親しまれていた、赤えんどう豆に蜜をかけたものでした。この赤えんどう豆の蜜がけが、現在の「豆かん」の原型となり、やがて寒天が加わって「みつ豆」へと発展しました。江戸時代末期の屋台で親しまれたおやつが、明治時代に浅草「舟和」によって現代風に洗練され、昭和初期には銀座「若松」で「あんこ」を乗せた「あんみつ」として誕生しました。つまり、「みつ豆」と「あんみつ」の最大の違いは、あんこの有無にあると言えます。歴史を紐解くことで、それぞれの甘味が持つ独自の物語と進化の過程を深く理解することができます。

あんみつ、みつ豆、豆かんに欠かせない「赤えんどう豆」の知られざる栄養価と役割

日本の伝統的な甘味であるあんみつ、みつ豆、豆かん。これらに彩りを添える「赤えんどう豆」は、単なる付け合わせと思われがちですが、実は栄養満点な食材です。普段何気なく口にしているあんみつの豆ですが、その重要性や甘味の歴史との関わりについて深く知っている人は少ないかもしれません。エンドウ豆が日本にやってきたのは、9〜10世紀頃の遣唐使によってだとされています。赤えんどう豆は、硬い鞘を持つ「硬莢種」に分類され、スナップエンドウのように鞘ごと食べるのではなく、中の豆を取り出して乾燥させて使います。この赤えんどう豆は、グリンピース(未成熟なエンドウ豆)とは異なり、成熟した豆を茹でて使います。豆大福に入っている豆も同じ種類です。昔は、大豆が貴重なタンパク源として重宝され、枝豆はその若い豆、小豆は高級な和菓子の材料でした。空豆やいんげん豆もそのまま茹でたり炒めたりして食べられていました。その中で、エンドウ豆は比較的安価だったため、子供のおやつとして親しまれたという歴史があります。国内の赤えんどう豆の約6割は、北海道の上富良野町で栽培されており、日本の食文化に深く根付いていることがわかります。乾燥した状態ではしわくちゃですが、水で戻すとふっくらと丸みを帯び、煮崩れしにくい丈夫な皮を持つため、みつ豆や豆大福などの和菓子に最適です。
赤えんどう豆の栄養価は非常に高く、特にタンパク質、食物繊維、鉄分が豊富です。これらの栄養素に加え、カリウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラル、ビタミンB1やパントテン酸などのビタミンもバランス良く含まれています。特に注目したいのは鉄分の量で、鉄分が多いことで知られるほうれん草の約2.5倍も含まれています。また、食物繊維も豊富で、ニンジンや大根などの根菜よりも多く、腸内環境の改善や便秘の解消に役立ちます。さらに、赤えんどう豆にはビタミンB6も豊富に含まれています。ビタミンB6は、タンパク質の分解と代謝を助け、免疫機能を正常に保ち、女性ホルモンのバランスを整え、皮膚のターンオーバーを促進し、赤血球のヘモグロビンの合成を助け、肝脂肪の予防に繋がり、神経伝達物質やエストロゲンの合成をサポートするなど、様々な生理機能に関わっています。このように、赤えんどう豆は単なる甘味の添え物ではなく、日々の健康をサポートする優れた食材と言えるでしょう。

150年の歴史を誇る『伊豆河童』独自のあんみつ開発秘話

明治2年(1869年)創業の静岡県の老舗「ところてんの伊豆河童」は、5代にわたりところてんの製造・販売を行ってきました。長年の歴史の中で、平成19年(2007年)頃からあんみつ作りに挑戦しました。きっかけは、5代目社長が抱いた「お客様に本当に美味しい甘味を提供したい」という強い思いでした。当時、スーパーなどで売られているあんみつは、寒天の食感が悪く、口の中で崩れてしまうものが多かったそうです。ところてんと寒天は同じ海藻から作られるため、「ところてんをサイコロ状にカットすれば、もっと美味しいあんみつができるはずだ」と考え、昔使われていたサイコロ状のカット道具を探し出し、試作を始めました。しかし、試作品はところてんの酸味が残り、理想の味には程遠いものでした。それでも諦めずに試行錯誤を重ね、研究を続けました。
伊豆河童のあんみつ開発では、まず角切りところてんと相性の良い蜜の開発に力を入れました。定番の白蜜に加え、抹茶みつ、ほうじ茶蜜、柚子みつ、珈琲蜜など、様々な蜜を用意し、好みに合わせて味を選べるようにしました。また、あんみつの味を左右する餡子にも徹底的にこだわりました。全国各地の餡子を試食し、北海道産小豆を使った京都の老舗餡子専門店のつぶ餡が、伊豆河童の角切りところてんとの相性が抜群だと判断し、採用しました。さらに、あんみつに欠かせない豆にも独自の工夫を凝らしました。寒天ではなく「ところてん」を使っているため、「豆かん」ではなく「豆てん」と名付けられたこの商品は、特に赤えんどう豆の品質にこだわっています。赤えんどう豆は水に浸すと傷みやすいため、最適なボイル殺菌の方法を研究し、豆本来の風味とふっくらとした食感を最大限に引き出しました。豆好きも満足できる、赤えんどう豆がたっぷり入った「豆てん」として完成しました。
現在、伊豆河童では「フルーツあんみつ」の開発にも成功し、進化を続けています。フルーツあんみつの開発では、甘みを加えたフルーツの品質を維持するための殺菌方法の確立や、数種類のフルーツを美しく包装する技術が課題でした。これらの課題を克服し、「伊豆河童フルーツあんみつ」を商品化しました。伊豆河童のあんみつは、ところてんを使用しているため、一般的な寒天のあんみつとは異なる「コリコリ」とした食感が特徴です。こだわりの素材と他では味わえない食感が、多くの甘味好きを魅了しています。伊豆河童が自信を持って提供する「伊豆河童のあんみつ」と「豆てん」を、ぜひ一度お試しください。

まとめ

あんみつ、みつ豆、豆かんは、それぞれ独自の歴史と文化を持ち、時代と共に進化してきた日本の代表的な甘味です。江戸時代末期に赤えんどう豆に蜜をかけた子供向けのお菓子が「豆かん」の原型となり、そこから「みつ豆」が生まれ、浅草の「舟和」によって喫茶店で提供される洗練された甘味へと発展しました。そして、銀座の「若松」がみつ豆に餡子を加えることで「あんみつ」が誕生しました。これらの甘味に使われる「赤えんどう豆」は、大豆や小豆よりも安価だったため庶民に広まり、ほうれん草の2.5倍もの鉄分や豊富な食物繊維、ビタミンB6などを含む栄養豊富な食材です。また、あんみつに使われるのは成熟した「アカエンドウマメ」であり、未成熟なグリンピースとは異なります。明治2年創業の「伊豆河童」は、ところてん作りの技術を活かし、他にはない「コリコリ」とした食感のあんみつを開発しました。蜜や餡子、赤えんどう豆へのこだわり、そしてフルーツあんみつへの挑戦は、伝統を守りながら革新を追求する伊豆河童の精神を表しています。それぞれの甘味の背景にある物語や素材の持つ力を知ることで、普段何気なく口にする甘味への理解と味わいが深まるでしょう。ぜひこの機会に、日本の甘味の奥深さを再発見し、こだわりのあんみつを味わってみてください。

あんみつ、みつ豆、豆かんの明確な違いは何ですか?

あんみつ、みつ豆、豆かんは、それぞれに異なる特徴があります。どれも赤えんどう豆と蜜を使いますが、みつ豆は寒天、赤えんどう豆、求肥、フルーツ、蜜で構成されています。あんみつは、みつ豆に「あんこ」を加えたものです。豆かんは最もシンプルで、寒天と赤えんどう豆に蜜をかけたもので、フルーツや求肥、白玉などは入りません。

あんみつは、いつ、どこで生まれたのでしょうか?

あんみつは、昭和5年(1930年)に、銀座5丁目に店を構える甘味処「若松」から誕生しました。二代目店主がお客様からの要望に応え、みつ豆にこし餡と黒蜜をかけたことが始まりとされています。

みつ豆のルーツはどのようなものだったのでしょう?

みつ豆の原型は、江戸時代末期に屋台で販売されていた庶民的なおやつでした。新粉細工を商う店が、新粉を舟の形に仕立て、その中に赤えんどう豆を入れ、蜜をかけて提供していたそうです。現代のような洗練されたみつ豆は、明治36年(1903年)に浅草の「舟和」が考案し、喫茶店「みつ豆ホール」で提供を開始したのが最初と言われています。

なぜ、あんみつには赤えんどう豆が使われているのでしょうか?他の豆ではいけないのでしょうか?

あんみつに赤えんどう豆が用いられるのは、その歴史的な背景と、食材としての優れた特性があるからです。江戸時代末期には、大豆や小豆が高価だったのに対し、えんどう豆は比較的安価に入手できたため、子供向けのおやつとして赤えんどう豆に糖蜜をかけたものが広く親しまれ、それがみつ豆の起源となりました。また、赤えんどう豆は皮が丈夫で煮崩れしにくく、甘味との相性が良いため、和菓子に最適です。さらに、豊富な栄養価(特に鉄分、食物繊維、ビタミンB6)も、甘味に奥深さと栄養バランスをもたらす上で重要な役割を果たしています。あんみつやみつ豆に使われるのは、えんどう豆の若い種子であるグリンピースではなく、成熟した「アカエンドウマメ」を茹でたものです。豆大福に使われる豆もアカエンドウです。

あんみつに入っている赤えんどう豆は赤くないように見えますが、黒豆とは違う種類なのですか?

赤えんどう豆と黒豆は、まったく異なる種類の豆です。赤えんどう豆は、名前の通り「えんどう豆」の一種であり、他のえんどう豆よりも赤みが強いため、そう呼ばれています。グリンピースなどと同じ系統に属します。一方、黒豆は黒大豆の一種であり、えんどう豆とは植物学的に異なる分類の豆です。
あんみつの豆