辻占煎餅:金沢の伝統とフォーチュンクッキーの意外なルーツ
石川県金沢市で愛される伝統的な縁起菓子、辻占煎餅。正月の風物詩として親しまれ、その年の運勢が書かれた紙片が入っているのが特徴です。家族団らんの場で辻占を割って占いを楽しむ光景は、金沢ならではの文化と言えるでしょう。実はこの辻占煎餅、日本の古い占い「辻占」に由来し、驚くべきことに、アメリカで人気のフォーチュンクッキーのルーツとも言われています。本記事では、辻占煎餅の歴史、金沢の文化、そしてフォーチュンクッキーとの意外な繋がりを紐解きます。

辻占煎餅とは

石川県金沢市近郊には、正月に家族で辻占を楽しむという独特な習慣が深く根付いています。毎年12月に入ると、金沢市内の菓子店やスーパーの店頭には、新年の縁起物として辻占煎餅が並び、年の瀬の風物詩として地元の人々に親しまれています。辻占とは、最中の皮や餅粉で作られた、福寿草を模した繊細な形状の小さな焼き菓子で、中には新年の運勢を占う短いメッセージが書かれた紙片が丁寧に折り畳んで封入されています。その起源は古代日本の占いにあり、アメリカのフォーチュンクッキーのルーツとも言われています。詳細は後の章で詳しく解説します。

辻占の歴史と文化的背景

辻占のルーツは、日本古来の占いである「辻占(つじうら)」にあります。『万葉集』には、「ことだまの 八衢に 夕問ふ 占に告る 妹は逢ひ寄らむ」という歌があり、夕暮れ時から夜明けに道の辻に立ち、行き交う人々の言葉や身なりから神の啓示を受けようとする、古代の辻占の様子が描かれています。当初は目に見えない神のお告げでしたが、次第に、未来を暗示する占い文が書かれた紙そのものを「辻占」と呼ぶようになり、江戸時代後期には、この占い文を豆や金平糖などの菓子と一緒に袋に入れて販売する「辻占菓子」として広く親しまれるようになりました。辻占菓子は、江戸時代末期から明治時代にかけて最盛期を迎え、当時は売り子が街中を歩きながら販売していました。特に、恋愛に関する内容が多く書かれていたため、都市部の遊郭などで人気を集めたと考えられています。明治、大正時代になると、辻占菓子は一般の人々にも広まり、お汁粉、アイスキャンディー、海苔、楊枝、箸袋など、様々な商品に用いられるようになりました。中には、最中の皮を火で炙ると文字が浮かび上がるという手の込んだものも登場しました。しかし、戦中戦後の食糧難により辻占菓子は一時姿を消しましたが、現代では「おみくじせんべい」として全国の寺社などで土産物として販売されており、金沢をはじめとする一部地域では、正月の縁起物としてその文化が受け継がれています。

辻占の総本山:瓢箪山稲荷神社

大阪府東大阪市に位置する瓢箪山稲荷神社は、1583年創建という長い歴史を持ち、全国で唯一、夕暮れ時から明け方に道の辻に立って行う古来の「夕占(ゆうけ)」の風習に基づいた辻占ができる神社として知られています。『河内名所図会』(1801年)にも辻占で有名な場所として紹介されており、その歴史的な重要性が窺えます。幕末から明治時代にかけては、瓢箪型の最中の中におみくじを入れたり、火で炙ると文字が浮かび上がるおみくじが評判を呼びました。瓢箪山稲荷神社の辻占おみくじは、行商人の手によって全国各地に広まり、「淡路島通ふ千鳥の瓢箪山 恋の辻占いらんかへ」という掛け声で販売されるほど有名になりました。この神社は、辻占文化の発展と普及に大きく貢献した場所として、その歴史的背景を理解する上で欠かせない存在です。

フォーチュンクッキーとのつながり

薄焼きクッキーを割るとおみくじが出てくるフォーチュンクッキーは、アメリカやカナダの中華料理店で食後のデザートとして親しまれています。しかし、その発祥は中国ではなく、日本の「辻占煎餅」にあります。フォーチュンクッキー誕生のきっかけは、1894年にアメリカのサンフランシスコで開催された「万国博覧会」に遡ります。当時、日本庭園の設計・運営を手掛けていた萩原眞氏は、来場者をもてなすために、煎餅を二つ折りにして中にメッセージを書いた紙を入れたお茶菓子を提供していました。この「辻占煎餅」にヒントを得たお菓子が、フォーチュンクッキーの原型となったのです。特に、1915年には日系移民がサンフランシスコでこのお菓子を紹介し、広まったとされています。第二次世界大戦後、このお茶菓子は日本庭園とともに中国系の人々の手に渡り、そこからアメリカ国内の中華料理店へと広がり、フォーチュンクッキーとして定着していきました。そのため、本場である中国ではフォーチュンクッキーを知らない人も多く、遠く離れたアメリカやカナダの中華料理店でのみ広く親しまれているという珍しい背景を持っています。このように、日本の伝統的な辻占が海を渡り、異文化の中で形を変え、世界的なお菓子として広まったことは、その文化的な影響力の大きさを物語っています。

金沢で育まれた辻占文化の特色

花を模した意匠と職人の手仕事

金沢の辻占の特徴は、何と言ってもその愛らしい「花のような形」にあります。例えば、1849年創業の老舗落雁店、諸江屋の辻占は、縁起の良い「福寿草」をかたどっています。最中の皮を使い、淡いピンク、白、緑、黄で彩り豊かに着色し、表面には上品な甘さの砂糖が施されています。金沢の和菓子店では、パリッとした食感が特徴の最中の皮を使った「花型」と、もち粉を使用したもっちりとした「つくばね型」の2種類の辻占が親しまれています。大きさは2~3cmほどで、そっと二つに割ると、中には小さく折り畳まれた占い文が書かれた紙片が入っています。茶道が盛んな金沢では、四季折々の趣を感じさせる和菓子作りが職人たちの間で追求されてきました。その結果、繊細で美しい花のような辻占が生まれたと考えられています。一つひとつ丁寧に手作業で作られるその美しさと精巧さは、新年の「初釜」など、格式高い茶席でも重宝されています。

現代にも息づく、コミュニケーションツールとしての魅力

金沢で辻占が広く親しまれ、現代まで受け継がれてきた背景には、コミュニケーションツールとしての役割があります。諸江屋六代目の諸江吉太郎氏によれば、明治時代には現代と異なり、若い男女が自由に交流する機会は限られていました。そのような時代に、正月に親戚や友人たちが集まる場で楽しまれた「かるた取り」のような遊びが、若い男女の出会いの場となっていたそうです。かるた取りの際に辻占を行い、男女の恋に関する占いが出ると、その場は大いに盛り上がり、辻占の流行を後押ししたと言われています。現代社会ではSNSの普及により、対面でのコミュニケーションが減少しがちですが、金沢の辻占は、正月という特別な機会に家族や友人が集まり、占い文をきっかけに会話を楽しみ、共に一年を占うという、温かい交流を促す役割を果たしています。その価値は、現代においても再認識されています。

通年販売される「おみくじせんべい」と金沢の季節感

全国の寺社の参道などで一年を通して販売されている「おみくじせんべい」と、金沢市周辺で正月に合わせて限定販売される辻占煎餅には、明確な違いがあります。東京都日野市の高幡不動尊、神奈川県川崎市の川崎大師、三重県の伊勢神宮など、有名な寺社で販売されている辻占せんべいの多くは、新潟県三条市の小林製菓所が製造する「おみくじせんべい」です。これらの場所では、吉凶を占うことができる辻占菓子が、縁起物として一年を通して親しまれています。一方、金沢市周辺では、辻占は12月上旬頃から店頭に並び始め、お正月を迎える準備の一つとして捉えられています。年中行事が簡略化され、季節感が薄れつつある現代において、12月に店頭に並ぶ辻占は、新年の訪れを感じさせる貴重な「風物詩」として、金沢の人々に愛されています。この季節限定の販売スタイルこそが、金沢の辻占文化に特別な価値を与えているのです。

新潟・長崎との比較から見る、文化継承の現状

正月の縁起物として辻占の風習が残っている地域は、石川県金沢市周辺のほか、新潟県魚沼地方や長崎県平戸市などが挙げられます。しかし、その文化継承の状況には大きな差が見られます。新潟県魚沼地方では、かつて10軒もの菓子店が辻占せんべいを製造していましたが、現在ではすべて廃業し、三条市の小林製菓所から仕入れている状況です。長崎県平戸市でも、地元で辻占せんべいを作る人がいなくなり、新年に辻占せんべいを食べる風習自体が失われつつあります。一方、金沢市においては、2024年12月の調査時点で、金沢駅のお土産売り場にある21軒の和菓子店の内、5軒が辻占を販売しており、そのうち3軒は自社で製造、2軒は仕入れて販売していました。さらに、ほとんどのスーパーマーケットでも辻占が販売されており、地域全体でその文化が支えられていることがわかります。金沢の「歴史と伝統を大切にする精神」が、「正月といえば辻占」という文化を深く根付かせ、この縁起の良いお菓子が、地域の重要な「文化資産」として未来へと繋がっていることを示しています。

まとめ

その始まりは形のない占いの一種であった辻占は、江戸時代後期には「辻占菓子」として庶民に広まり、全国的に人気を博しましたが、現代において辻占菓子が継承されているのはごく一部の地域に限定されています。特に、辻占菓子を作る菓子店の廃業は、その地域から辻占文化そのものが失われる危険性を含んでいます。金沢における新年の縁起菓子である辻占文化を未来へと繋いでいくためには、単なる商品としてではなく、その背景にある歴史やコミュニケーションの価値を深く理解し、親から子、孫へとその風習をしっかりと伝え、世代を超えてその文化遺産の価値を再認識し、継承していく努力が必要です。金沢の辻占は、日本の豊かな文化と歴史を現代に伝える貴重な存在として、今後も大切にされていくべきでしょう。


辻占煎餅とフォーチュンクッキーの関係は何ですか?

フォーチュンクッキーは、アメリカやカナダの中華料理店で食後のサービスとして提供されるお菓子ですが、その起源は中国ではなく、日本の「辻占煎餅」にあります。1894年にサンフランシスコで開催された国際博覧会で、日本庭園を運営していた庭師の萩原眞が、辻占煎餅をヒントにしたおみくじ入り煎餅を配ったのが始まりとされています。その後、日系移民によって広められ、第二次世界大戦後に中国系の人々に引き継がれ、中華料理店で普及しました。

辻占の起源はどこにありますか?

辻占の起源は、日本に古くから伝わる占いの一種にあります。その始まりは、『万葉集』にも詠まれているように、夕暮れから明け方に道の辻に立ち、行き交う人々の言葉や服装から神のお告げを得るという、形を持たない「辻占(つじうら)」でした。これが江戸時代後期になると、占い文が印刷された紙を菓子の中に入れて販売する「辻占菓子」として発展しました。

金沢の辻占、その魅力とは?

金沢の辻占は、その愛らしい姿が大きな特徴です。最中種や餅粉を用いて「花を思わせる形」に仕立てられ、上品な色合いで彩られ、表面には砂糖が施されているものが多く見られます。たとえば、歴史ある諸江屋の辻占は、春を告げる福寿草を模しています。また、単なるお菓子としてだけでなく、新年に家族や親しい人々と占いの言葉を読み合い、一年を占うという、コミュニケーションを円滑にする役割も担っています。

辻占は日本のどこで味わえる?

辻占の歴史は古く、江戸時代末期から明治時代にかけて日本中で愛されましたが、今日では限られた地域でのみその文化が息づいています。とりわけ、石川県金沢市周辺では正月の縁起物として深く根付いていますが、新潟県魚沼地方や長崎県平戸市などでは、その文化は衰退しつつあります。お寺や神社の参道では一年を通して「おみくじせんべい」として売られていることもありますが、金沢のように季節限定の風物詩として大切にされている地域は多くありません。

辻占の中にはどんなお告げが?

辻占には、「未来は明るい」、「約束事は成就する」、「素敵な出会いが待っている」といった、これから起こりうる出来事を暗示する様々な占い文が記されています。昔は恋愛に関する言葉が多く、人々が親睦を深めるきっかけとなっていました。現代の金沢の辻占にも、新年の運勢を占う縁起の良い言葉が込められており、家族や友人との語らいを盛り上げる要素となっています。


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