トマトの故郷と栽培の始まり
トマトのルーツは、南米ペルーを中心とするアンデス山脈の高地です。この地域は、強い日差しと少ない降水量、そして昼夜の寒暖差が激しいという環境です。現在栽培されているトマトが乾燥に比較的強く、豊富な日照を好む性質は、この原産地の気候条件に起因すると考えられています。野生のトマトは、人や鳥によってメキシコへと運ばれ、そこで栽培が始まったとされています。
ヨーロッパへの伝来と、観賞用から食用への転換
ヨーロッパに初めてトマトを持ち込んだのは、スペイン人のエルナン・コルテスだと言われています。彼は、アステカ帝国を征服した征服者として知られています。スペインに持ち込まれた当初、トマトは有毒植物であるベラドンナに似ていたため、食用ではなく、もっぱら観賞用として栽培されていました。その後、イタリアの貧しい人々がトマトを食べるようになったことから、食用としての利用が始まり、品種改良が進められ、約200年の歳月をかけて現在のトマトに近いものが生み出されました。フランスでは「愛のリンゴ」、イタリアでは「黄金のリンゴ」という美しい名前で呼ばれています。
日本への伝来と普及の遅れ
日本には、江戸時代初期にオランダ人によって長崎に伝えられたとされています。江戸時代の本草学者であり儒学者でもあった貝原益軒の著書「大和本草」に、その記述が残っています。当初は、独特の青臭さや鮮やかな赤い色が敬遠され、ヨーロッパと同様に観賞用として栽培され、「唐茄子(とうなすび)」や「唐柿(とうがき)」などと呼ばれていました。当時のトマトは、現在市場に出回っているものに比べて色が濃い赤色で、香りも酸味も強かったため、淡泊な味覚に慣れていた江戸の人々には刺激が強すぎたようです。欧米で品種改良された品種が持ち込まれ、明治時代以降に日本でも食用として用いられるようになりましたが、依然として青臭さなどがネックとなり、普及はなかなか進みませんでした。トマトが日本で一般的に食べられるようになったのは、19世紀末、明治時代の後半頃からと言われています。洋食文化の普及や、日本人の好みに合う品種が登場したことなどにより、第二次世界大戦後に需要が拡大し、一般的な家庭でも食べられるようになりました。
トマトの分類:野菜?それとも果物?
植物学的には果実、つまり果物として分類されるトマトですが、日本の農産物における分類では「木になるものが果物」と定義されているため、トマトは野菜に分類されています。アメリカでは、かつてトマトが野菜であるか果物であるかを巡って裁判が行われたこともあるようです。このように、トマトは様々な見解が存在する興味深い植物ですが、日本でも世界でも、一般的には野菜として認識されています。
代表的なトマトの種類
日本国内の気候条件に適応しやすく、かつ日本人の嗜好に合うように、日々研究と品種改良が重ねられ、毎年新しい品種が生まれています。ここでは、特に代表的な品種をご紹介します。
桃太郎
国内市場で最も流通している生食用トマトの一つで、「桃色系」トマトに分類される完熟タイプです。日持ちが良く、果肉がしっかりとしているのが特徴です。
ファースト
果実の先が尖っているのが特徴で、かつては冬トマトの代表的な品種として人気を博しました。果肉がしっかりしており、型崩れしにくいため、生のままサラダで楽しむのに適しています。
ミニキャロル
強い甘みが特徴のミニトマトで、病害虫に強く育てやすいことから、家庭菜園でも広く親しまれています。
フルーツトマト
「フルーツトマト」という名称は、特定の品種を指すものではありません。これは、小型で完熟したトマトを、特別な栽培技術を用いて甘さと酸味のバランスを最適に調整し、まるでフルーツのように楽しめる高級トマトのことを言います。
トマトをより美味しく食べるために
生のまま食べるのも素晴らしいですが、栄養が豊富に詰まったトマトジュースやトマトケチャップ、その他のトマト製品を積極的に活用して、さらに栄養バランスの取れた食生活を目指しましょう。加熱することで旨味が増し、油との相性も抜群です。
まとめ
トマトの歩みを振り返ると、当初は観賞用として扱われていたものが、食用へと変化し、品種改良を経て様々な風味を楽しめるようになったことが分かります。現在では、私たちの食卓に不可欠な存在となったトマトについてより深く理解することで、その美味しさをさらに引き出すことができるでしょう。
トマトの原産地はどこですか?
トマトが最初に生まれた場所は、南米のペルーを中心とするアンデス山脈の高地です。