オーストリア チョコケーキ:ザッハトルテの魅力と歴史
オーストリアを代表するチョコレートケーキ、ザッハトルテ。その名は世界中で知られていますが、単なる甘いお菓子として片付けるにはあまりにも奥深い魅力と歴史が詰まっています。濃厚なチョコレートの風味、アプリコットジャムのほのかな酸味、そして全体を覆うチョコレートフォンダンの絶妙なバランス。この記事では、ザッハトルテがどのようにして生まれ、世界を魅了する存在となったのか、その秘密を紐解いていきます。

ザッハトルテの基本:定義と歴史

ザッハトルテは、ただのチョコレートケーキではありません。その名前は広く知られていますが、詳細な歴史や独特の特徴を深く理解している人は案外少ないかもしれません。ザッハトルテは、オーストリアのウィーンを象徴する伝統的なチョコレートケーキであり、小麦粉、バター、砂糖、卵、そしてふんだんなチョコレートを使用した濃厚なバターケーキをベースに、アプリコットジャムの薄い層で覆い、さらにチョコレートフォンダンで全体をコーティングする独自の製法が特徴です。その長い歴史と独自の製法から、「チョコレートケーキの王様」と称されることもあります。世界中に多くのファンを持つこの有名なケーキは、ウィーンを訪れる観光客にとって外せないデザートとして、また多くの洋菓子店で提供される人気商品として広く認知されています。

ザッハトルテの起源は、19世紀初頭のオーストリア帝国時代に遡ります。約2世紀の歴史を持つこのチョコレートケーキは、1814年に当時の外務大臣、クレメンス・フォン・メッテルニヒがウィーン会議に出席する貴族のために新しいデザートを求めた際に生まれました。料理長が病気だったため、当時16歳の料理見習いだったフランツ・ザッハーがこの難題を引き受け、今日私たちが知るザッハトルテの原型を作り上げました。このケーキはメッテルニヒ公爵に非常に喜ばれ、翌日にはウィーン中で話題になったと言われています。若きザッハーは、この期待に応え、ザッハトルテの成功を通じて大きな名声を得て、料理人としての才能を認められることになります。その後、ザッハトルテはフランツ・ザッハーの得意料理として広く知られるようになり、彼の名声を確立しました。彼の息子、エドゥアルト・ザッハーが1876年にウィーンに「ホテルザッハー」を開業した際、ザッハトルテを秘伝のレシピとしてレストランやカフェの看板メニューとして提供し始め、その地位は確固たるものとなりました。ホテルザッハーのザッハトルテは、ウィーン菓子の象徴として世界中にその名を広めることになったのです。この豊かな歴史的背景を持つザッハトルテは、単なるデザート以上の文化的意義を持つ存在と言えるでしょう。

ザッハトルテの「トルテ」という言葉自体にも、そのお菓子の特徴が表れています。トルテ(Torte)はドイツ語で、一般的に「円形のケーキ全般」を意味します。オーストリアの公用語はドイツ語であり、ウィーンのあるオーストリアではドイツ語の方言であるオーストリアドイツ語が話されており、「トルテ」という言葉は様々なお菓子の名前に広く使われています。日本で「ケーキ」と呼ばれるような、円形に作られた焼き菓子やデコレーションケーキが、この「トルテ」のカテゴリーに含まれます。したがって、「ザッハトルテ」とは、「ザッハー氏が作った丸いケーキ」を意味し、文字通りには「ザッハーのケーキ」となります。そのシンプルながらも歴史と文化を感じさせるネーミングです。

ザッハトルテをめぐる歴史的論争:ホテルザッハーとデメルの物語

ザッハトルテといえば、ウィーンの二大名店である「ホテルザッハー」のザッハトルテと、老舗洋菓子店「デメル」のザッハトルテが特に有名です。この二つのザッハトルテの間には、かつて「ザッハトルテ戦争」とまで呼ばれる激しい法廷闘争がありました。元々、ザッハトルテのレシピは秘伝とされていましたが、いくつかの説が存在します。最も一般的な説の一つは、フランツ・ザッハーの息子エドゥアルトが創業したホテルザッハーが、その息子(エドゥアルトの孫)の代に財政難に陥った際、ウィーン王室御用達でもあった老舗洋菓子店デメルに資金援助を依頼する代わりに、ザッハトルテの販売権を譲渡したというものです。これにより、デメルでもザッハトルテが製造・販売されるようになり、ホテルザッハー側はデメルがザッハトルテの名称を使用することを快く思わず、両者の間で競争が激化し、最終的に裁判に発展しました。

この法廷闘争は約7年間にも及び、1963年に和解が成立しました。その結果、ホテル・ザッハーが「Original Sacher-Torte」の商標を正式に取得し、ホテル・ザッハーは「オリジナルザッハートルテ(Original Sacher-Torte)」を、デメルは「デメルのザッハトルテ(Demel's Sachertorte)」を販売することが認められました。この和解により、ホテルザッハーのザッハトルテには丸いチョコレートのメダルが、デメルのザッハトルテには三角形のチョコレートのメダルが添えられることになり、消費者が両者を区別する際の目印となっています。さらに、この二つのザッハトルテには、見た目だけでなく製法にも違いがあります。ホテルザッハーのザッハトルテは、一般的に生地を2枚にスライスし、その間にアプリコットジャムがたっぷりと挟まれています。一方、デメルのザッハトルテは、生地が1層で、その表面にのみ薄くアプリコットジャムが塗られているのが特徴です。このように、それぞれの伝統と製法を守りながら、異なる魅力を持つザッハトルテが提供され続けています。この歴史的な争いがあったからこそ、ザッハトルテは単なるお菓子としてだけでなく、ウィーンの文化遺産としての価値をさらに高めることになったと言えるでしょう。

本物のザッハトルテを見極める:一般的なチョコレートケーキとの違い

残念ながら、日本では「ザッハトルテ」と名付けられていても、厳密には本物のザッハトルテとは言えないものが多く見られます。これは、ザッハトルテが日本においてチョコレートケーキの代表的な存在として広く知られるようになった結果、その特徴や定義を正確に理解せずに、単に「チョコレートケーキ全般」を指す言葉として使われるようになったことが背景にあります。そのため、ザッハトルテについて詳しく知らない人は、普通のチョコレートケーキと混同したり、誤解している場合も少なくありません。本物のザッハトルテと一般的なチョコレートケーキには、製法、材料、そして味わいにおいて明確な違いがあります。この違いを理解することで、真のザッハトルテの魅力を十分に堪能することができるでしょう。

具体的な違いの例として、「ガトーショコラ」との比較が挙げられます。ガトーショコラは、フランス語でチョコレートやカカオパウダーを含むケーキを「ガトー・オ・ショコラ」と呼ぶことから広まったとされる、チョコレートケーキ全般を指す言葉です。つまり、ガトーショコラは幅広い種類のチョコレートケーキの総称であり、その製法や材料は多岐にわたります。一方、ザッハトルテは、チョコレートケーキの中の特定の1種類であり、確立された独自のレシピと製法を持つ点が大きく異なります。ザッハトルテの最も重要な特徴は、バターを豊富に含む濃厚な生地、そして生地の間や表面に塗られたアプリコットジャムの存在です。このアプリコットジャムの有無こそが、ザッハトルテを一般的なチョコレートケーキやガトーショコラと区別する最も重要なポイントと言えるでしょう。

ザッハトルテの魅力:独自の特性と味わいの秘密

それでは、ザッハトルテがどのようなケーキなのか、その具体的な特徴を詳しく見ていきましょう。ザッハトルテの最大の魅力は、そのユニークな構成と味わいにあります。まず、ザッハトルテの生地は、一般的なスポンジ生地とは大きく異なります。小麦粉、バター、砂糖、卵、そしてチョコレートを非常に多く使用し、特別な製法によって円柱状に焼き上げられたチョコレート風味のバターケーキがベースとなっています。この生地はしっとりとしていながらも密度が高く、濃厚なチョコレートの風味がしっかりと閉じ込められています。日本のケーキに慣れている人には、ややパサついた食感に感じるかもしれませんが、それがザッハトルテ本来の生地感であり、独特の重厚感と見た目通りの濃厚な味わいを生み出しています。

そして、ザッハトルテのもう一つの非常に重要な特徴として挙げられるのが、アプリコットジャム(あんずジャム)の使用です。生地の表面や、水平にスライスされた生地の間に薄く塗られるこのアプリコットジャムは、チョコレートの濃厚な甘さの中に、フルーティーでさわやかな酸味と香りを加えるという重要な役割を果たします。特に、スポンジを上下に切り分け、その間にアンズジャムを塗る製法はザッハトルテの大きなポイントです。アプリコットジャムを塗る場所や量は、作り手やレシピによって多少異なりますが、一般的にはケーキを水平にスライスした間に挟むか、焼き上がった生地の全体に薄く塗ることで、チョコレートとの絶妙なハーモニーを生み出しています。

さらに、ザッハトルテの顔とも言える特徴が、ケーキ全体を覆うチョコレートの「糖衣」です。この糖衣は、単なるチョコレートコーティングではありません。フォンダン(砂糖衣)やシロップを溶かしたチョコレートと合わせて作られ、生地の表面に濃厚で厚みのあるチョコレート層をまとわせます。この独特の糖衣は、チョコレートなどを上掛けしてつやを出す一般的なグラサージュ(フランス語)やグラズール(ドイツ語)とは異なる製法で作られており、「チョコレートの糖衣」とも呼ばれます。溶かしたチョコレートにシロップやフォンダンを加える際に、砂糖の再結晶化を利用して作られるため、口に入れると「シャリシャリ」とした独特の食感が加わります。この甘く濃厚なチョコレートが口いっぱいに広がる体験は、ザッハトルテならではのものです。この少し変わった、まるで砂糖の結晶のような食感と、濃厚な甘さが、ザッハトルテを愛する多くの人々を魅了しています。

ザッハトルテの味を一言で表現するなら「甘め」です。上掛けされたチョコレートの糖衣には、砂糖を多く使用したシロップやフォンダンがたっぷりと含まれています。そのため、生地やコーティング用にはスイートチョコレートがよく使用されているものの、チョコレート本来のほろ苦さよりも、強い甘さが際立つ印象を受けます。この濃厚な甘さは、日本の繊細な甘さのケーキに慣れていると、最初は驚くかもしれません。しかし、この甘さこそがザッハトルテの個性であり、ウィーンの伝統的な味わいなのです。

そして、ザッハトルテを味わう際に、もう一つ欠かせないのが「無糖のホイップクリーム」です。好みにもよりますが、本場ウィーンでは、甘さの強いザッハトルテには必ずと言っていいほど、無糖のホイップクリームが添えられます。この無糖のクリームが、ザッハトルテの濃厚な甘さをまろやかに包み込み、口の中をリフレッシュさせることで、ケーキの味わいをより一層引き立てます。この組み合わせこそが、ザッハトルテを最高の状態で楽しむための伝統的な方法であり、ぜひ試していただきたい食べ方です。

家庭で作る絶品ザッハトルテ:手作りレシピをご紹介

本場のザッハトルテはウィーンの有名店で味わうのが一番ですが、ご自宅でも本格的な風味を気軽に楽しめるレシピがあります。ここでは、本格的な味わいを再現しつつ、比較的簡単に作れるザッハトルテのレシピをご紹介いたします。

材料(目安:直径15cmの丸型1台分)


無塩バター:80g
薄力粉:70g
純ココアパウダー:10g
製菓用チョコレート:100g
グラニュー糖:30g
生クリーム:100ml
鶏卵:4個(卵黄と卵白に分離)
アプリコットジャム:適宜
お好みのブランデー:大さじ1(風味づけ)

作り方(簡単バージョン)


1.最初に、チョコレートとバターを湯煎にかけて溶かし、滑らかになるまで混ぜ合わせます。
2.別のボウルで卵黄と砂糖を混ぜ、白っぽくふんわりするまで泡立てたら、溶かしたチョコレートとバターの混合物に混ぜ込みます。
3.さらに別の清潔なボウルで卵白を泡立て、白っぽくなったらグラニュー糖(15g)を数回に分けて加えながら泡立て、ピンと角が立つしっかりとしたメレンゲを作ります。
4.卵黄とチョコレートの生地に、薄力粉とココアパウダーを合わせてふるい入れ、粉っぽさがなくなるまで丁寧に混ぜます。メレンゲを数回に分け、泡を潰さないように優しく混ぜ合わせます。
5.生地をケーキ型に流し込み、170℃に予熱しておいたオーブンで約30~40分間焼きます。
6.焼き上がったら粗熱を取り、必要に応じてケーキを水平に半分にスライスし、アプリコットジャムをたっぷりと塗ります。このジャムが、本場のザッハトルテ特有の風味の決め手となります。
7.次に、コーティングチョコレート(ガナッシュ)を作ります。温めた生クリームに溶かしたチョコレートを加え、よく混ぜ合わせます。お好みでブランデーを少量加えると、より豊かな香りとコクが加わります。なお、本場のザッハトルテを特徴づける、シャリシャリとした食感のチョコレートグラズール(糖衣)とは異なります。
8.アプリコットジャムを塗ったケーキ全体に、チョコレートのグレーズを均一にかけ、冷蔵庫で冷やし固めたら完成です。

まとめ

ザッハトルテの最大の特徴は、何と言ってもケーキ全体を覆う独特のチョコレートグレーズにあります。このグレーズがあるため、カットする際にナイフが入りにくいという難点もあります。また、その製法や材料の配合から、日本人には馴染みのあるふんわりとしたスポンジケーキとは異なり、ややドライな食感に感じられるかもしれません。さらに、その濃厚な甘さから、好みが分かれる可能性もあります。しかし、ザッハトルテは、オーストリアの首都ウィーンを代表する伝統的なお菓子であり、贅沢に使用されたチョコレートとバター、そして特徴的なチョコレートのグレーズが織りなす、非常に濃厚で奥深い味わいが魅力です。数あるチョコレートケーキの中でも「特別な存在」として評価されるザッハトルテの魅力は、他にはないチョコレートグレーズに凝縮されています。その長い歴史や、ホテルザッハーとデメルという2つの名店の間で繰り広げられた逸話、そして独自の製法について知ることで、「チョコレートケーキの王様」とも称されるこのケーキの奥深さと独特の魅力を、より一層深く味わうことができるでしょう。機会があれば、ホテルザッハーとデメルのザッハトルテを実際に食べ比べて、それぞれの個性を楽しんでみてください。


ザッハトルテと一般的なチョコレートケーキの違いは何ですか?

ザッハトルテは、贅沢なバターと上質なチョコレートをふんだんに使用した、ずっしりとしたバターケーキです。その特徴は、アプリコットジャムをケーキの内部に挟み込む、または表面に塗り、全体をフォンダンやシロップで作られた独特なチョコレートグラズールでコーティングすることです。このグラズールは、独特の「シャリ」とした食感と、濃厚で強い甘味が特徴です。対照的に、一般的なチョコレートケーキは、スポンジ生地をベースに、チョコレートクリームやガナッシュで飾り付けられることが多く、多様な風味や食感を楽しむことができます。特に、ガトーショコラはチョコレートケーキの総称として用いられますが、ザッハトルテは、その中でも特定の、厳格な製法で作られる特別なケーキとして区別されます。

ザッハトルテはなぜ「チョコレートケーキの王様」と呼ばれるのですか?

ザッハトルテは、19世紀にウィーンで誕生して以来、長い歴史を持つ伝統的なチョコレートケーキです。オーストリアの由緒あるホテルザッハーによって世界的な名声を得ました。その独自の製法が生み出す奥深い味わい、そしてホテルザッハーとデメルという二つの名店の間で繰り広げられた商標権を巡る争いという劇的な歴史的背景が、格式と伝統を象徴する存在として、「チョコレートケーキの王様」という称号を与えられる理由となっています。

ザッハトルテの「トルテ」とはどういう意味ですか?

「トルテ(Torte)」はドイツ語で、「円形の焼き菓子」を広く指す言葉です。オーストリアではオーストリアドイツ語というドイツ語の方言が用いられており、日本でいうところの「ケーキ」のように、丸い形をした焼き菓子やデコレーションケーキ全般が「トルテ」と呼ばれます。ザッハトルテは、考案者の名前である「ザッハー」と「トルテ」という言葉を組み合わせたもので、文字通り解釈すると「ザッハー氏のケーキ」という意味になります。


ザッハトルテ