バレンタインの起源
毎年2月14日を迎えるバレンタインデーは、日本では主に女性が意中の男性にチョコレートを贈る日として認識されています。しかし、この愛を称える記念日は、そのルーツをはるか古代ローマ時代にまで遡り、世界中で実に多彩な祝われ方をしています。特に、日本の「チョコレートを贈る」慣習は独特の発展を遂げ、義理チョコ、友チョコ、さらにはホワイトデーといった文化を生み出してきました。本稿では、バレンタインデーの謎めいた起源に迫り、世界各地における個性的な祝い方、そして日本独自の習慣がどのようにして形成され、現代に至ったのかを詳細に掘り下げていきます。この解説を通して、バレンタインデーが内包する奥深い意味と、その多様な側面を再発見し、この特別な日をこれまで以上に心豊かな気持ちでお過ごしいただけることを願っています。
「バレンタイン」は司祭ウァレンティヌスの名前に由来
バレンタインデーの淵源は、西暦269年2月14日に殉教したとされる司祭ウァレンティヌス(またはヴァレンタイン)を記念する日であったと伝えられています。このウァレンティヌス司祭は、多くの聖人ヴァレンティノの一人とされる人物で、イタリアのテルニ市で生を受け、後に司教に任じられました。当時のローマ皇帝クラウディウス2世は、軍事力を強化するための方策として、「若者が戦場へ赴くことを躊躇するのは、故郷にいる家族や恋人との別れを惜しむからだ」と考え、兵士たちの婚姻を禁止する命令を下していました。こうした状況下で、結婚することなく戦地へ送られる若者たちを深く憐れんだキリスト教司祭のウァレンティヌスは、密かに若い兵士たちの婚礼を執り行っていました。その事実を知った皇帝はウァレンティヌスを厳しく問い詰め、二度と法に逆らわないよう命じますが、ウァレンティヌスはこの命令にも服従しなかったため、処刑されてしまいます。この処刑された日こそが、聖ヴァレンティノの殉教日である2月14日です。正確な殉教年は269年説と273年説がありますが、彼の生涯を貫いた愛と忠誠の精神は、後世の人々に深い感動を与えました。やがてウァレンティヌスは「聖バレンタイン」として、広く聖人の列に加えられることになります。
古代ローマの「ルペルカリア祭」との関連性
バレンタインデーの祖形と目されているのが、古代ローマで催されていた「ルペルカリア祭」です。この祭祀は、豊穣と繁栄を願う儀式として毎年2月15日に執り行われていました。
ルペルカリア祭では、一部の伝承によると、祭りの前日に若い女性が自身の名前を記した札を壺の中に入れ、翌日男性がその札を引き、引かれた女性と祭りの期間中一時的なパートナーとして行動を共にすることが慣習とされていたとも言われます。しかし、このくじ引きの慣習は、後世に広まった俗説であり、古代ローマの一次史料には見られないとの指摘もあります。
この祭りは当時非常に盛況でしたが、5世紀に入りキリスト教の勢力が拡大するにつれて、異教の祭りであることが問題視されるようになります。これを受け、ローマ教皇グラシウス1世はルペルカリア祭を公式に廃止しました。そして、かつてルペルカリア祭の前夜祭であった2月14日を、3世紀に殉教した聖ウァレンティヌスの祝日と定めたのです。これは、民衆に根強い人気があったルペルカリア祭の形式を実質的に引き継ぎつつ、その精神をキリスト教的な教義へと転換させていったものと解釈されています。
聖ヴァレンティヌスと愛の伝説
チョコレートブランドがバレンタインデーの由来を探索する中で、イタリアのテルニ市に息づく「聖ヴァレンティヌスと恋人たちの伝説」に辿り着きました。古代ローマ帝国の初期、テルニに駐屯していたローマ兵サビノは、キリスト教徒の娘セラピアに深く心を奪われます。しかし、当時のローマ軍人はキリスト教の信仰が禁じられていたため、二人の結婚は許されない運命でした。それでも彼らの愛は揺るがず、サビノは掟を破り、聖ヴァレンティヌス教会で司教から洗礼を受け、セラピアと夫婦の契りを結びます。ところが直後、セラピアが不治の病に冒され、絶望したサビノは「どうか共に神の御許へ召されますように」と司教に懇願しました。その切なる願いは司教の深い祈りによって聞き届けられ、二人は手を取り合って天国へと旅立ったと伝えられています。
その後、聖ヴァレンティヌス司教は、ローマ帝国の迫害を受けながらも、多くの恋人たちの結婚を次々と支援しましたが、273年についに反逆罪で処刑されてしまいます。テルニの人々は、この愛の聖人の命日である2月14日を「愛の日」と定め、花や菓子を贈り合うことで、司教への感謝の念と敬意を表すようになりました。このようにして、バレンタインデーの原型が形成されたとも考えられています。
バレンタインが祝祭となったのは14世紀頃
ヴァレンティヌスが殉教した後、毎年2月14日はローマ市民がお祈りを捧げる日として記憶されました。時を経て、14世紀頃からは「バレンタインデー」として、恋愛と結びつけられる特別な行事が始まったと言われています。特に中世ヨーロッパでは、2月14日が「恋人たちの日」として文化の中に深く根付いていきました。詩歌や文学作品の中で2月14日が愛と密接に結びつけられるようになり、恋人たちが愛情を表現し合う大切な日として広く浸透していったのです。また、この時期に鳥たちが巣作りを始めることから、「鳥が愛の歌をささやき始める日」として、自然界の繁殖期と人間の恋愛を結びつける思想も見られるようになりました。中世の貴族社会では、愛のメッセージを交換する習慣が生まれ、これが今日のバレンタインカードの源流となっています。1644年にはローマ教会から聖人の称号が授与され、テルニの街の守護聖人となりました。その後、彼にまつわる様々な逸話や、親子が愛の教訓や感謝を記したノートを交換する風習などが融合し、20世紀に入ると、バレンタインデーは男女が愛を告白する日へと変化していったようです。現代においてもバレンタインデーは、恋人たちが永遠の愛を誓い合う日として、世界中で多様な形で祝われています。
カトリック教会における記念日の現状
カトリック教会においては、後の典礼改革によって、史実上の実在が確証できない聖人たちが典礼暦から整理された際に、2月14日のヴァレンティヌスの記念日は除外されました。このため、現在では公式には祝日として祝われていません。実際、聖バレンタインに関する伝説は複数存在し、ローマ殉教録によると、この日に同名の司教が殉教したと記録されています。複数の伝説や奇跡の物語が重なり合い、細部が異なる形で伝えられているとされています。
歴史的変遷と商業化の波
バレンタインデーは、時代の流れとともにその様相を変え、商業的な側面を帯びるようになりました。
18世紀末から19世紀のカード文化の普及
1797年には、イギリスの出版社が『青年のバレンタインライター』という感傷的な詩集を刊行し、バレンタインデーにメッセージを贈る習慣を後押ししました。その後、大量生産されたカードの印刷が始まり、1835年には英国で6万通のバレンタイン・カードが郵送されるまでに成長しました。1840年の郵便制度改革と料金引き下げにより、郵送されるカードの数は飛躍的に増加。切手の発明からわずか1年後には40万通が郵送されるなど、手軽なカード送付が定着しました。これにより、厳格な時代にもかかわらず、匿名で官能的な詩を交換することも可能になったと考えられています。
20世紀のチョコレート産業の台頭
19世紀以降、手書きのメッセージは印刷されたカードに取って代わられ、19世紀半ばのバレンタインデーの商業化は、米国における祝日の商業化の先駆けとなりました。この時期、英国のチョコレート会社「キャドバリー」が、バレンタインデー向けに美しく装飾されたチョコレートボックスを発売し、これが瞬く間にこの休日を象徴するものとなりました。キャドバリーはこれに前後してハート型のキャンディボックスも販売したとされており、これらのチョコレートボックスなどがバレンタインデーの恋人などへの贈り物に多く使われるようになり、後にこの風習が他の地域にも伝播していきました。ただし、具体的な発売年については諸説あり、確固たる一次史料は確認されていません。20世紀後半には、カード交換だけでなく、花や宝飾品、菓子類など、あらゆる種類の贈答品が交換されるようになりました。
デジタル時代における変化と現代の様相
米国ではバレンタインデーの商業規模は拡大を続けており、例えば2024年には、お祝いをする人々の平均支出は1人あたり192.80ドルに達すると予測されています。これは2023年の175.41ドルから増加しており、バレンタインデーの総支出額は258億ドルに上ると見込まれています。ミレニアムを境にインターネットの人気が高まるにつれ、デジタルツールを活用した挨拶メッセージの作成・送信も新たな伝統となりました。バレンタインデーの商業化が進んだことで、それがこの休日の独特な特徴であると考える人々もいます。現代では、イングランド教会とルーテル教会において、結婚の誓いを更新する任意の儀式を含むバレンタインデーの礼拝も行われています。
シェイクスピアとバレンタインデー
ウィリアム・シェイクスピアの傑作『ジュリアス・シーザー』の冒頭、第1幕第2場には、古代ローマのルペルカリア祭の様子が描かれています。この場面で、劇中の預言者から「3月15日には用心せよ」という、後に起こる悲劇を予感させる忠告が発せられます。このように、古くからバレンタインデーの起源とも関連するような祝祭や慣習は、文学作品にも登場し、人々の暮らしに深く根付いてきたことがうかがえます。
日本におけるバレンタインデー
冒頭でも触れた通り、バレンタインデーにチョコレートを贈る慣習は、日本独自の進化を遂げた文化として知られています。海外でもバレンタインデーにチョコレートを贈ることはありますが、その場合はチョコレートに限定されず、カードや花束、様々なお菓子などが、恋人や家族、友人といった大切な人々に贈られます。贈り物の主役がチョコレートである点は、日本のバレンタインデーに特有の文化と言えるでしょう。私たち日本人にとって馴染み深いバレンタインデーは、どのようにして始まり、現在の形になったのでしょうか。ここでは、日本のバレンタインデーがどのようにして生まれ、変化してきたのかについて、数ある説の中から一つをご紹介します。
バレンタインデーが日本社会に定着するまで
諸説ある中で、日本でバレンタインデーが広く認知され始めたのは1958年頃からだと言われています。戦前に来日した外国人によって一部行われていたものの、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界が販売促進の機会として普及を試みました。しかし、本当に日本社会に定着したのは1970年代後半のことでした。当初は男女問わずチョコレートを贈り合う形式で宣伝されましたが、毎年2月の売上減少に悩んでいたある菓子店主が、新たな企画を立ち上げたとの説があります。「女性が男性へ、日頃の感謝や好意を込めてチョコレートを贈る」という、現在の「日本型バレンタインデー」の様式が確立されたのもこの時期でした。文化的に日本の男性は女性に物を贈る習慣が希薄だったため、女性から男性へ贈る形へと転換したことで、徐々にこの文化が広まっていったのです。これは菓子店の綿密な企画、魅力的な広告、キャッチコピー、巧みな宣伝方法、そして百貨店との連携による商業戦略の成功であったと評価されています。
モロゾフによる日本初のバレンタインデー
バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を日本で最初に提唱したとされる説の中で、特に有力なのが兵庫県の洋菓子メーカー「モロゾフ」の創業者、葛野友太郎氏によるものです。モロゾフは1931年に神戸でチョコレート専門店を開業し、翌1932年には、米国人の友人から得た知識を基に、日本で初めて「バレンタインデーにチョコレートを贈る」というスタイルを紹介しました。当時のモロゾフは、ハート型容器の「スイートハート」や、花束のようにチョコレートを配した「ブーケダムール」といった特別なバレンタインギフトを販売。1935年2月には英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』に、日本で初めてバレンタインチョコレートの広告を掲載し、太平洋戦争開戦前の1940年まで毎年広告を出し続けました。これらの活動は、西洋文化が栄える神戸ならではの先見的なマーケティングとして評価されています。現在では、神戸市がバレンタインデー発祥の地の一つとされ、イタリアのテルニ市から「愛の像」が贈られるなど、国際的な交流も続いています。
メリーチョコレートカムパニーの参入と定着
モロゾフによる初期の試みがあったものの、日本社会にバレンタインデーが本格的に定着する大きなきっかけとなったのは、1958年にメリーチョコレートカムパニーが伊勢丹新宿店で開催した「バレンタインセール」だとされています。このキャンペーンでは、「女性から男性へチョコレートを贈る」という、現在の「日本型バレンタインデー」の原型となるコンセプトが初めて打ち出されました。当初は売れ行きが低調だったものの、この試みが後のバレンタイン商戦の基礎を築き、多くの企業が追随することで、日本独自の文化として広がる土壌を作りました。
森永製菓の原邦生氏による提唱
バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣が日本で確立されたきっかけとして、森永製菓の原邦生氏が提唱し、実践したという説も有力です。原氏はこの時、「一年に一度、女性が愛を伝える絶好の日」という魅力的なフレーズを考案したと伝えられています。この新しいアイデアは口コミで広がり、メディアもこれを積極的に報じました。また原氏は自身の著書で、1958年にパリ在住の先輩商社マンから届いたハガキについて触れています。そのハガキには「パリではチョコレートや花、カードなどを贈り合う”バレンタイン”の風習がある」と記されており、原氏はこの「チョコレート」の部分に強く注目し、「ヨーロッパでは女性が好意を抱く男性にチョコレートを贈るものだ」と誤解してしまったと述べています。このほか、ウーマンリブ運動の高まりや、主要な消費者が女性であるという当時の社会背景も、この習慣の普及に影響を与えたとする見方もあります。
そのルーツと変遷
日本におけるバレンタインデーとチョコレートが結びついた具体的な初期の提唱内容については、前述のような様々な説が存在するものの、明確な歴史的根拠は依然として曖昧です。いずれの説も、当初は社会に大きなインパクトを与えることはなく、商品の売り上げも低調だったようです。多くの主張は、バレンタインデーが日本社会に浸透した後に、それぞれの企業が自社の宣伝のために後付けで提唱したものであり、誇張が含まれている可能性が高いと考えられています。
全体的に見て、1930年代の時点では、「バレンタインデーの贈り物といえばチョコレート」という認識はまだ形成されていませんでした。当時の新聞広告を紐解くと、バレンタインデーに推奨される贈答品の中にチョコレートの姿はなく、森永製菓の広告でさえ、チョコレートはあくまで贈答品に添える「おまけ」程度の位置づけでした。例えば、1960年の森永製菓の新聞広告には、「チョコレートを贈る日」ではなく、「(手紙などに)チョコレートを添えて贈る日」として表現されていました。また、贈り手も女性に限定されているわけではありませんでした。
しかし、「愛の日」という点は一貫して強調されていました。これはつまり夫婦や婚約者を対象としたものであり、当時の一般的な社会通念からすると、見合い結婚を前提としない恋愛や、未婚の若者(19歳以下)が特定の相手に贈るというシチュエーションは想定外でした。しかしながら、このような限定的な販売戦略を続ける間は、チョコレートの販売数は大きく伸びることはありませんでした。
日本独自の発展と多様化
デパート各社がバレンタインデーの定着に尽力したものの、なかなか普及せず、1968年には客足がピークアウトし、「日本での定着は困難」との見方が広まりました。しかし、1973年のオイルショック以降、高度経済成長が終焉を迎えた1970年代前半頃から、チョコレートの売上が急伸します。不況にあえいでいた小売業界がより積極的なマーケティングを展開したこともあり、この時期は日本の資本主義が成熟し、豊かな消費社会が確立された時代と重なります。バレンタインデーにチョコレートを贈るという習慣は、特に小学校高学年から高校生といった学生層を中心に広まったとされています。1980年代後半には、夫や父親、義父といった身近な男性に贈る主婦層にも浸透しました。さらに、人気アイドルやスポーツ選手、ゲームの開発部門やキャラクター宛にチョコレートが贈られるケースも現れ、こうした行為は後に「推しチョコ」と呼ばれるようになりました。中には、贈られたチョコレートが動物園へ寄付されるといったユニークな事例も見られました。
前述の通り、当初のバレンタインデーの提唱からすれば、贈答品はチョコレートに限られておらず、また意中の男子に女子から贈るという形ばかりでもありませんでした。バレンタインデーの普及に商業活動が一役買ったのは間違いありませんが、日本社会に受け入れられやすい要素とそうでない要素があったことが指摘されています。今日、一般的に「バレンタインデーはチョコレート業界のマーケティング戦略」と認識されている風潮とは裏腹に、その定着の過程には、小学校高学年から高校生といった若年層による主体的な選択が大きく寄与したと分析されています。
「日本型バレンタインデー」の主な特徴
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主に女性から男性へ贈り物がされる。
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贈る品物はチョコレートに限定される傾向が強い。
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相手への告白や好意を伝える意味合いが強い。
これらに加え、職場における義理チョコなどの贈答文化が盛んな点や、キリスト教との直接的な関連がほとんど意識されていない点も、日本独自のバレンタインデーの顕著な特徴と言えるでしょう。
義理チョコとホワイトデー
1970年代後半に、女性が男性へ愛の告白と共に本命のチョコレートを贈るという、日本独自のバレンタインデーの形が定着すると、それに続く形でさらに二つの習慣が生まれました。それが、1980年代初頭に登場したホワイトデーと義理チョコです。ホワイトデーの発祥については、福岡県の菓子店である石村萬盛堂が提唱したキャンペーンと、全国飴菓子工業協同組合の取り組みが主な説として挙げられます。1977年、石村萬盛堂はバレンタインデーの返礼として「マシュマロデー」を始めました。これは社長が女性雑誌の読者投稿欄から着想を得たものとされています。その後、1979年には他のお菓子メーカーと協力し、「ホワイトデー」という名称を共同で使用したと伝えられています。
一方、全国飴菓子工業協同組合の見解では、1978年6月の総会で「ホワイトデーキャンペーン」の実施が決定され、1980年に初めて「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンを実施したとされます。そして、翌1981年の第2回キャンペーンでは、「好きな女の子にキャンディを贈る」という趣旨に変更されました。「贈り物を受け取ったらお返しをする」という日本ならではの文化から生まれたホワイトデーは、現在では中国、台湾、韓国といったアジア諸国にも広がりを見せています。
20世紀終盤から2000年代以降の多様化
日本の年間チョコレート消費量の約2割が2月14日に消費されると言われるほど、バレンタインデーは社会に深く根付いた行事となっており、特に2000年代以降はその内容が目覚ましく多様化しました。
女性が男性にチョコレートを贈り、愛を告白するという本来の目的以外にも、すでに交際しているカップル間や、夫婦、子ども同士の間でも行われるようになりました。また、片思いの相手や、上司、同僚、友人といった恋愛感情を伴わない関係の相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」という慣習が広く浸透しました。しかし、義理チョコは1990年代後半から縮小傾向にあり、2000年代後半から2010年代前半にかけてもその傾向は続いています。
また、2000年代初めからは女性同士でチョコレートを贈り合う「友チョコ」の動きが広がり、バレンタイン市場を支える重要な存在となっています。特に2000年代後半以降、友チョコの市場規模は拡大の一途を辿っています。チョコレートの売上停滞に危機感を抱いた関連業界の企業は、友チョコを重視したプロモーションを行ったり、男性が女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」のような新たな展開で消費の活性化を図っています。逆チョコは特に森永製菓が積極的に推進しており、1960年代と同様に2000年代後半以降も大規模なキャンペーンを展開し、逆チョコ仕様の「小枝」を期間限定で発売するなど力を入れています。この時期には、チョコレート販売店で特設コーナーが設けられ、商品の種類も多岐にわたるため、その試食を目当てにしたり、輸入品や高級品といった店頭で珍しい商品を自分のために購入する「自分チョコ」を選ぶ人も2000年代以降増加しています。
コロナ禍がバレンタインデーに与えた影響
日本のバレンタインデー市場規模は、2017年以降、一時的に減少傾向が見られました。例えば、2020年には前年比4%の増加があったものの、2021年には前年比20%減の1050億円に留まりました。しかし、その後は回復傾向にあり、2023年には市場規模が1,180億円に達するとの予測も出ており、多様化する需要に応えつつ推移しています。
新型コロナウイルス感染症は、バレンタインデーのあり方にも大きな影響を及ぼしました。例えば、プロバスケットボールチームでは感染拡大防止の観点から2020年10月より飲食物の差し入れを禁止しており、2021年のバレンタインデーの際にも改めて注意喚起を行いました。また、ゲーム会社の中には、2020年12月から在宅勤務制度を本格導入していることから、緊急事態宣言が解除されない状況でのチョコレートの受け渡しが困難であるとして、飲食物の贈与を控えるよう呼びかける企業もありました。
海外のバレンタイン事情
これまでご紹介したように、バレンタインデーの習慣は世界各国で多種多様です。最後に、いくつかの海外のバレンタイン事情をご紹介しましょう。
アメリカ合衆国
アメリカの場合、日本とは対照的に、男性が女性に贈り物をすることが一般的です。定番の贈り物としては、花束、ジュエリー、そしてメッセージカードなどが挙げられます。バレンタイン当日には、多くのカップルや夫婦がディナーや演劇、ミュージカルなどを楽しみ、街は活気に満ち溢れます。結婚してアメリカで10年暮らす日本人女性の話によると、夫が時々忘れてしまうこともあるそうですが、一般的には男性が恋人や妻に花束やスイーツ、ジュエリーなどをメッセージカードと共に贈るのが慣習とのことです。ハート型のバルーンも人気のアイテムだそうです。子供たちも学校で、カードや小さなお菓子(小袋に入ったお菓子や鉛筆など)を贈り合います。この時期には、スニッカーズやスキットルズといったお馴染みのチョコレート菓子も、ピンクを基調としたバレンタイン限定パッケージで店頭に並びます。
フランス
フランスでは、バレンタインデーは「恋人たちのお祭り」として知られています。この特別な日には、愛し合うカップルがお互いに贈り物を交わしますが、伝統的に男性が女性へ愛情を示す日とされています。定番はやはり美しいバラの花束や心温まるメッセージカード。あるフランス人男性は「日本ではチョコレートが主流ですが、フランスではバラの花束とロマンチックなディナーが2月14日の夜を彩る定番ですね」と語っていました。当日、パリの花屋が男性客で賑わう光景は、もはや風物詩となっています。
イギリス
イギリスのバレンタインデーは、少々ミステリアスな伝統を持っています。ここでは、密かに思いを寄せる相手へ匿名でメッセージカードを贈り、それを受け取った側が次のアクションを起こすという風習があります。カップルや夫婦になってからは、男性が女性へ花束やスイーツなどを贈るのが一般的です。カードには「あなたのバレンタインより」という意味の「From Your Valentine」や、「私の恋人になってください」という意味の「Be My Valentine.」といったフレーズがよく使われます。また、現在に続くバレンタインのチョコレート贈答文化は、キャドバリー社が発売した装飾的なチョコレートボックスがきっかけになったと言われています。
イタリア
情熱の国イタリアでは、バレンタインデーもまたロマンティックな色彩を帯びています。この日も、男性が女性へ愛の贈り物を届けるのが主流です。特に人気が高いのは、愛の象徴であるバラの花。その他にも、輝くアクセサリーやジュエリーを贈ったり、高級レストランで特別なディナーを楽しんだりするのが定番です。イタリアでは、このバレンタインデーを機にプロポーズを決行する男性も少なくないそうです。チョコレートショップでは、この時期に合わせて真っ赤なギフトボックスなどが特別に並べられ、恋人たちの愛を演出します。
ベルギー
ベルギーのバレンタインデーは、感謝の気持ちを伝える日としての側面が強いのが特徴です。恋人や配偶者に限らず、日頃お世話になっている大切な人へ贈り物をします。ここでも男性から女性へのプレゼントが一般的ですが、その内容は多岐にわたります。美しい花束から、おしゃれな衣類、上品な香水まで、贈る相手への思いやりが込められています。高級レストランでの食事も人気が高く、この時期の有名店は早めの予約が必須となるほど賑わいます。
スペイン
長年にわたり協力してきたスペインの雑誌編集者によると、スペインではバレンタインデーは未だに「外国の祝祭」という認識が強く、ハロウィーンと同様に一般的には定着していないとのことです。しかし、この10年ほどで祝うカップルが増えつつあり、特に陽気で情熱的なイメージのある南スペインでは、一時的な流行と見なされていたものが根付いてきているようです。彼自身は妻に特別な贈り物をすることは無いと言います。ちなみに、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方には、2月14日とは異なる、独自の愛を祝う日が存在します。それは4月23日の「サン・ジョルディの日」で、別名「愛の日」とも呼ばれ、「本の日」として親しまれています。かつては男性が身近な女性たち全員にバラを贈るのが習慣でしたが、現在は大切な人と本を贈り合うのが主流となっています。
北欧諸国
スウェーデンではバレンタインデーの習慣はそれほど浸透しておらず、パートナーに贈り物を贈る人の割合は男性で40%、女性で48%にとどまります。また、スウェーデンやエストニアでは、この日を友人に花を贈る日として捉える傾向があります。一方で、フィンランドやデンマークでは、他の西欧諸国と同様に、恋人たちの愛を誓い合う日として認識されています。
正教会が優勢な地域
正教会を信仰する地域では、西欧文化の影響を受けるまで、バレンタインデーのような習慣はほとんど存在しませんでした。そもそも正教会において、3世紀に殉教した聖職者である聖ワレンティン(ウァレンティヌス)は2名記憶されていますが、その記念日は2月14日ではなく、7月または8月に定められています。さらに、同世紀に殉教した別の聖ワレンティン(兵士と伝えられる)は、現代のブルガリア地域で記憶されており、その記念日はユリウス暦で4月24日(グレゴリオ暦では5月7日)です。正教会では、これらの聖ワレンティンのいずれも、西欧に起源を持つ恋人と結びつけるような習慣は特別行われません。ただし、教会内部では祝われないものの、商業主義の影響により、教会とは無関係なイベントとして「バレンタインデー」が広がる傾向は、正教会が優勢な地域でも見られます。ギリシャでは、そこまで盛大な祝い方ではないものの、商業的な推進によって年々規模が拡大しつつあります。独立国家共同体(CIS)諸国では、ソビエト連邦崩壊後の1990年代に入ってからバレンタインデーが祝われ始めたと言われています。
中国
中国ではこの日が「情人節(チンレンジエ)」と呼ばれ、男性が恋人や妻にバラの花束を贈って愛情を示す記念日となっています。また、旧暦の七夕も「七夕情人節」と呼ばれ、同様に恋人たちを祝う日として親しまれています。
台湾
台湾では、バレンタインデーは大切な人との愛を祝う日として定着しており、ロマンチックなデートや特別なディナーを楽しむカップルが多く見られます。近年では、日本の文化が浸透し、性別を問わず、大切な人へ贈り物を贈り合う習慣も広がりつつあり、その返礼として、ホワイトデー(白色情人節)も重要な意味を持っています。
韓国
韓国のバレンタインデー文化は、日本と共通点が多いのが特徴です。2月14日は、女性が想いを寄せる男性にチョコレートを贈り、愛を告白する日とされています。その一ヶ月後には、男性が女性へ感謝の気持ちを込めて贈り物をするホワイトデーが設けられています。近年では、日本と同様に海外ブランドの高級チョコレートや洗練されたギフトを選ぶ傾向も見られますが、一般的には、様々なお菓子を豪華に詰め合わせ、華やかにラッピングされたカゴが贈られることが多いです。バレンタインデー当日には、そうした大きなカゴを抱えて街を歩く男性の姿が数多く見受けられます。また、韓国にはユニークな派生文化として、4月14日に恋人がいない男女が集まって黒い服を身につけ、真っ黒な麺料理であるチャジャンミョンを食べる「ブラックデー」が存在します。
ベトナム
ベトナムでは、中国の慣習と類似しており、男性が女性へ愛情を捧げ、尽くす日として知られています。
サウジアラビア
サウジアラビアでは、比較的最近までバレンタインデーの概念が広く知られていなかったが、国際的な文化交流の進展により、その存在が徐々に認識され始めました。しかし、2004年2月には、同国の最高位の宗教指導機関から、バレンタインデーを禁止するファトワー(宗教的見解)が発布されました。その声明では、『バレンタインデーは偶像崇拝を伴うキリスト教の祭りであり、イスラム教徒がこれを祝うことは許されない。神の怒りと報復を恐れ、この祭りを忌み嫌い否定することがムスリムの義務である』と厳しく指摘されました。このファトワーに基づき、サウジアラビアの宗教警察機関である勧善懲悪委員会は、『バレンタインデーはイスラムの教義に反する』として、本格的な取り締まりを開始。関連商品の店頭からの撤去命令などが実施されました。
それでもなお、宗教的な禁止令にもかかわらず、多くの人々がバレンタインデーを祝い、様々な業者が関連商品を販売し続ける状況が見られました。2009年には、バレンタインデーを祝うことに対する厳しい警告が報じられるなど、一時取り締まりが強化された時期もありました。しかし、2018年にはサウジアラビアの最高宗教評議会がこれを合法であるとの見解を示し、状況は劇的に変化しています。
まとめ
バレンタインデーの起源が、ある司祭の殉教の日であるという事実は、驚きをもって受け止められるかもしれません。しかし、その後の長い歴史の中で、この日は多様な文化として世界中で定着していきました。現代では、海外のバレンタインデーに見られるように、恋人や意中の人に限らず、友人や日頃お世話になっている人々へ感謝の気持ちを込めてチョコレートを贈るのも良いでしょう。バレンタインデーは、古代ローマの祭礼に端を発し、中世ヨーロッパで恋人たちの祭典となり、日本では戦後の独自文化として花開きました。時代や地域を超えて形を変えながら、多くの人々に愛され続けてきた特別な日なのです。この記念日の背景にある物語を知ることは、日常に新たな視点をもたらし、バレンタインデーをより深く、意味のあるイベントとして楽しむきっかけとなるでしょう。
よくある質問
バレンタインデーの本当の起源は何ですか?
バレンタインデーの起源は、主に二つの要素に遡ります。一つは古代ローマで執り行われていた豊穣を願う「ルペルカリア祭」、もう一つは西暦269年2月14日に殉教した聖ウァレンティヌス司祭の物語です。ルペルカリア祭は異教の祭りでしたが、後にキリスト教が広まるにつれて、聖ウァレンティヌスを記念する日へとその意味合いが変えられていきました。
聖ウァレンティヌスはどのような人物でしたか?
聖ウァレンティヌスは、3世紀のローマ帝国に生きたキリスト教の聖職者でした。当時の皇帝クラウディウス2世は、兵士の士気を高めるため、結婚を禁止する命令を出していました。しかし、ウァレンティヌス司祭は、愛し合う若いカップルたちの結婚を密かに執り行い、彼らを助けました。この行為が皇帝の耳に入り、怒りを買った結果、彼は2月14日に処刑されたと伝えられています。彼は愛と忠誠を貫いた人物として、後世に愛の守護聖人として崇められるようになりました。
なぜ日本のバレンタインデーではチョコレートを贈るのですか?
日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣が広まったきっかけは、1930年代に神戸のモロゾフ製菓が外国人向け英字新聞に広告を掲載したのが始まりとされています。その後、1950年代後半から1970年代にかけて、洋菓子メーカーや百貨店が、販売促進戦略として「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」というキャンペーンを大々的に展開しました。この巧みな広告戦略が大成功を収め、日本独自の文化として定着し、現在に至っています。
日本と海外のバレンタインデーの過ごし方に違いはありますか?
はい、バレンタインデーの祝い方には日本と海外で顕著な相違点が見られます。日本では、主に女性から男性へ、感謝や好意を示すためにチョコレートを贈る習慣が深く根付いています。これに対し、欧米をはじめとする多くの国々では、男性から女性へ、あるいは恋人同士が互いに贈り物をするのが一般的です。贈られるものも、花束、メッセージカード、宝飾品など多岐にわたり、チョコレートに限定されることはあまりありません。
ホワイトデーは日本独自の文化ですか?
まさにその通り、ホワイトデーは日本で誕生し発展した独自の文化です。バレンタインデーに受け取った好意へのお返しとして、日本中の人々が贈り物をし合う日として知られています。この習慣は1970年代後半に、全国飴菓子工業協同組合や石村萬盛堂といった菓子メーカーによるキャンペーンがきっかけとなり、広く社会に浸透しました。今日では、その影響は中国や韓国といったアジア諸国にも広がりを見せています。
義理チョコや友チョコはいつから始まった文化ですか?
義理チョコは1980年代頃から、主に職場の同僚や上司に対し、日頃の感謝や敬意を表すためのチョコレートとして定着しました。一方、友チョコは2000年代に入ってから、友人同士が友情を深め、お互いへの感謝を分かち合う新しい文化として、特に若い世代の間で急速に広まりました。これらは、バレンタインデーが単なる恋愛関係だけでなく、多様な人間関係を表現する機会へと変化していった証と言えるでしょう。
バレンタインデーは商業戦略と関係が深いのですか?
はい、バレンタインデーは歴史的に商業戦略と非常に密接な関係を築いてきました。特に19世紀以降、グリーティングカードメーカーやチョコレート会社が販売促進のために様々な広告キャンペーンを展開し、現代に見られる多様な贈り物の文化を形成する上で大きな役割を果たしました。日本においても、百貨店や菓子メーカーの巧みな広告戦略が、バレンタインデーの普及と定着を強力に後押しし、国民的イベントとしての地位を確立する要因となりました。

