ローマ時代から現代まで:バレンタインデーの歴史とその進化

バレンタインデーは、愛と友情を祝う特別な日として世界中で広く認識されていますが、その起源と進化の歴史は意外にも複雑で多層的です。この祝祭は、古代ローマ帝国時代の異教の儀式にその萌芽を見出すことができますが、キリスト教の教えと結びつき、中世のヨーロッパで愛に焦点を当てた形へと変貌を遂げました。近代に至っては商業化が進み、花やカードなどの贈り物として定型化されたバレンタインデーの姿が形成されました。本記事では、その奥深い歴史をひも解き、現代に至るまでの進化の過程を探ります。

バレンタインデーについて

日本では、バレンタインデーと言えば、多くの人にとって女性が男性にチョコレートを贈る日として知られています。しかし、海外では、男性が女性に花束を贈ったり、恋人同士でお互いにプレゼントを交換するなど、さまざまなスタイルが存在します。共通して言えるのは、贈り物を渡す日だということです。2月14日にプレゼントを贈る習慣は、どのようにして始まったのでしょうか。バレンタインデーの歴史をひも解いてみましょう。

バレンタインデーの歴史的背景とは

かつて2月14日は、聖人を追悼する日にちなんでいました。ここでは、いくつかの説が存在するバレンタインデーの由来を一部ご紹介します。

バレンタインデーはかつて聖人の命日にあたる追悼日だった

キリスト教の伝統の中には「聖人暦」というものが存在し、年間の全ての日に特定の聖人が称えられることになっています。2月14日は、かつて「聖ヴァレンティノ」の日に指定されていましたが、現在では聖人暦から外れています。聖ヴァレンティノに関する伝説は複数あり、内容は様々です。紀元175年頃、ローマ帝国が最盛期にあった時代に、イタリアのテルニという町でヴァレンティノ(英語読みではヴァレンタイン)が生まれ、後にこの地の司教となりました。その時の皇帝クラウディウス2世は、兵士の婚姻を禁じる強硬な政策を導入していましたが、ヴァレンティノは若い恋人たちの思いを汲み、多くのカップルを秘密裏に結びつけました。この行為が皇帝の怒りを買い、彼は処刑されることとなりました。処刑されたのは2月14日で、この日がヴァレンティノの殉教日とされます。処刑された年は、269年とも273年とも言われており、正確な年次は定かではありません。

バレンタインデーが愛の告白の日となったのは20世紀以降のこと

ヴァレンティノが活動していた時代、キリスト教は異教扱いされていましたが、313年にローマで公式に認められました。そして、2月14日、ヴァレンティノの死を悼む行事が始まります。14世紀には、彼の愛に尽くす姿にちなんで、愛の告白が行われるようになりました。1644年、彼はローマ教会で聖人とされ、テルニの守護聖人となりました。後に、彼の伝説や家庭での愛の教訓を記したノートの交換が結びつき、20世紀にはバレンタインデーが愛の告白の日として定着しました。

日本で愛されるバレンタインデー

日本でよく知られているバレンタインデーがどのように始まり、現在までどのように発展してきたのでしょうか。今回は、日本のバレンタインデーの歴史とその進化についてご紹介します。さまざまな説がありますが、その中のひとつをお届けします。

神戸が起源となった日本のバレンタイン

バレンタインデーにチョコレートを贈る風習は、兵庫県の洋菓子メーカー「モロゾフ」の創業者、葛野友太郎氏によって始められたと言われています。彼はイタリア・テルニの司祭ヴァレンティノの伝説に触発され、日本で贈り物のスタイルを普及させ、新しい生活習慣を創出したいと考えていました。そのため、昭和11年(1936年)に英字新聞で「バレンタインデーにチョコレートを贈ろう」というコンセプトで、箱入りチョコレートの広告を掲載しました。

この試みは戦時中に一時中断しましたが、戦後は多くの菓子メーカーが協力し、バレンタインデーにチョコレートを贈る文化を根付かせるための取り組みが続けられました。こうした努力の結果、現代の日本では「バレンタインデーにはチョコレート」という文化がしっかりと定着しています。

バレンタインが人気を集めるようになった背景

1950年代には、モロゾフが赤いハート型のチョコレートの箱を発売し、そのバレンタインデー戦略は業界内で注目を集めました。70年代に入ると、モロゾフの影響を受けた洋菓子メーカーやデパートが積極的にバレンタインチョコレートの販売に力を入れ始めました。バレンタインデーに若い女性が男性にチョコレートを贈り、1ヶ月後の3月14日には男性が女性に白いお菓子でお返しをするという文化が洋菓子業界によって広まり、多くの若者に浸透していきました。

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