三重県紀北町に伝わる郷土の味:八つ頭の茎「くき漬け」の魅力と製法

三重県南部に位置する北牟婁郡紀北町海山区(旧海山町)では、夏場の食卓に欠かせない伝統的な漬物として、里芋の一種である八つ頭の茎を使った「くき漬け」が、古くから人々に愛されてきました。その人気は、地元を離れた人々が故郷の味を求めて取り寄せると聞けば、いかに深く根付いているかが分かります。この「くき漬け」の魅力は、目に鮮やかな赤色、口いっぱいに広がる爽やかな酸味、そして何よりもそのシャキシャキとした心地よい歯応えにあります。里芋の茎を食す文化の一端がここにあります。
茎を食べる里芋の品種と「ずいき」の活用
里芋は、その多様な品種によって利用部位が異なります。一般的に芋部分を食す子芋用品種や親芋用品種が多い一方で、茎(葉柄)部分を主として利用する葉柄用品種、さらには芋と茎の両方を楽しむことができる兼用種も存在します。市場で多く見かける里芋は芋を食べる目的ですが、八つ頭や海老芋のような兼用種では、栄養豊富な茎も大切な食材として重宝されます。特に、葉柄専用に栽培される蓮芋の茎は「ずいき」と呼ばれ、地域によっては兼用種の茎も同様に「ずいき」と称されることがあります。また、乾燥させた「いもがら」も広く流通しており、これらは煮物や味噌汁の具材として、風味豊かな「里芋の茎 食べ方」を提供します。全国各地には、この里芋の茎やいもがらを用いた漬物が数多く存在し、甘酢漬けとして親しまれています。
紀北町の「くき漬け」に使われる八つ頭は、地元では「八つ口」とも呼ばれる品種です。地元の農家、川端浩之さんによると、茎を美味しく利用するには、赤みを帯びたものがえぐ味が少なく、より風味豊かに仕上がるとのことです。収穫の際には、漬け込んだ際に葉の青い色素が茎に移るのを避けるため、一本一本葉を切り落とす作業が欠かせません。この処理がアク抜きの最初のステップとなります。
伝統的な「くき漬け」の仮漬け工程

「くき漬け」の伝統的な製法は、まず収穫したての八つ頭の茎を水洗いで汚れを落とした茎は、仮漬けのために用意された細長い容器へ並べられます。この仮漬けの工程は、美味しく仕上げるための重要なアク抜きです。茎の重さ10kgに対し、塩100gの割合で均一に塩を振りかけ、茎全体に行き渡るように混ぜます。その後、容器に蓋をし、茎の重量の約3倍の重しを乗せて、一日静置します。この過程で茎から余分な水分がじっくりと抜かれ、同時にえぐ味も軽減されます。この丁寧な水抜き作業が、後の本漬けで茎に豊かな味と鮮やかな色を深く染み込ませるための、まさしく肝となる下準備なのです。
鮮やかな赤色を生み出す本漬けと赤紫蘇の秘訣
下漬けで水分を抜いた里芋の茎は、いよいよ本漬けの段階へと移ります。地元の農家である川端光さんは、下漬けで十分に水分が抜けた茎は、余分な水気を切ってから本漬けへ進みます。ここで赤紫蘇の汁を吸わせることで、色合いと味わいが格段に向上すると言います。本漬けの前に、下漬けで出た余分な水分はすべて捨て去ります。
本漬けに不可欠な赤紫蘇は、収穫した「赤ちりめん紫蘇」の葉を丁寧に取り除き、よく洗浄してから軽く水気を絞ります。この赤紫蘇を塩で揉み、アクを出す作業を二度ほど繰り返した後、ほぐして少量の梅酢を加えることで、さらに一層の鮮やかな赤色を際立たせます。この赤紫蘇こそが、くき漬け特有の美しい色彩と豊かな風味を生み出す源なのです。
漬け込みの技術と発酵が織りなす風味

本漬けに使用する桶の底には少量の塩を敷き、その上に下漬けを終えた里芋の茎を並べた茎の間に、塩で揉んだ赤紫蘇と塩を振りかけ、茎が互いに交差するように漬け込んでいきます。この工程では、下漬けした茎10kgに対し、塩揉みした紫蘇1kgの割合が基本となります。全ての茎と紫蘇を漬け終えたら、中蓋を乗せ、その上に重石を置きます。重石の目安は茎の重量の3倍とされますが、茎の太さに応じてやや重めに調整することもあります。この状態で約5日間静置することで、漬け込みがゆっくりと進行します。
漬け込みの過程で不可欠なのが「天地返し」と呼ばれる作業です。桶の底にある茎は味が染みにくいため、漬け始めて2日目を目安に上下を入れ替えることで、漬けムラを防ぎ、全体を均一に仕上げます。川端さんは、「直接桶に手を入れて混ぜても良いのですが、別の空の桶を用意し、ほぐしながら移し替える方が、より均等に混ざりますよ」と、実践的なコツを教えてくれます。また、漬け汁が十分に上がってきたら、茎が浸る程度の重さに徐々に重石を軽くしていく調整も施されます。
「くき漬け」の美味しい食べ方と食卓での楽しみ
完成したくき漬けは、食卓に出す前に手で皮を剥き、細かく刻んで準備します。地元で古くから愛されている食べ方としては、生節や新鮮なすりおろし生姜、そして少量の醤油を加えていただく方法が挙げられます。さらに、茹でて身をほぐした小ぶりのカツオと混ぜ合わせるのも、特におすすめの食べ方です。くき漬けの持つ甘酸っぱい風味と魚の旨味が互いに引き立て合い、「これだけでご飯が2杯も進む」と川端さんは笑顔でその美味しさを語ります。子供たちも、ご飯の上を真っ赤に染めるほどたっぷりのくき漬けを頬張る光景は珍しくなく、その美味しさは世代を超えて広く愛され続けています。なお、八つ頭の芋の部分は、くき漬けとは別に煮物などにして、余すことなく有効活用されます。
まとめ
本稿では、三重県紀北町に受け継がれる伝統の味「くき漬け」の詳細な製法について深く掘り下げてきました。八つ頭の茎を用いるくき漬けは、鮮やかな発色、清涼感のある酸味、そして独特のシャキシャキとした食感が特徴です。その製法は、下漬けから本漬け、赤紫蘇と梅酢の巧みな利用、さらには天地返しといった、古くから伝わる丁寧な手作業によって丹念に生み出されます。さらに、カビの発生が良好な発酵の証とされ、その奥深い味わいの秘密の一端が明らかになりました。他方、萱津神社と香の物祭は、漬物が単なる保存食の枠を超え、地域の歴史、信仰、そして人々の暮らしに深く根差した文化財であることを示唆しています。ナスやウリの塩漬けに始まる漬物の歴史、日本武尊の逸話にその語源を持つ「香の物」という呼称、そして五穀豊穣と人々の健康を願う漬込神事など、日本の漬物文化が内包する精神性、そして地域で脈々と受け継がれる知恵と技術の結晶を改めて認識することができました。これらの伝統は、現代の私たちの食卓を豊かに彩り続け、地域文化の魅力を今もなお伝え続けているのです。

